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ただ街を歩いているだけでも、自分を好きになれる。

さて、台湾旅行記の途中ではありますが、年が明けて最初の更新ということで新年のご挨拶を。

2024年もあっという間に1週間が過ぎ、すでに仕事が始まり日常に戻っているという人も多いかと思います。くぅー!

私は今回の年末年始、だいぶ余裕をもっていつもより長めに休暇を取り、今日が仕事始めでした。
今年は去年よりたくさんお仕事したい!増やしたい!です。

そして今日は成人の日ということで、土日が成人式だったところも多く、普段は歩く人も珍しい私の住む田舎の飲み屋街も、週末はフレッシュさみなぎる若者たちで賑わっておりました。

いまだに昭和を彷彿とさせる渋い看板が並ぶ通りで、若さを象徴するような高くて大きな声たちがあちこち響き渡る様子に、改めて子どもや若者が元気に笑っていられるような世の中であれという気持ちは強まるばかりです。

「君たちの未来は希望に溢れ輝いているぞ!」と声高に伝えるのがどこかはばかられてしまうような世相に、大人としての不甲斐なさみたいなものを感じていたけれど、私だってまだまだ何も諦めていないし、たくましく生きていってやる!と意気込んでいるので、「君たちの未来は…」とか先輩面して声をかけるより、「私もどうにか頑張るから、君らも君らなりに楽しく強く生きていってくれな!もし困ったら誰かに頼ることを覚えてな!」というスタンスでいるのがしっくりくるかな、と誰に声をかけるわけでもないのに考えてみるのでした。


それにしても、普段人がいない場所にたくさんの人がいることで、町に”人がいない寂しさ”と”人がいるという安心感”を、コントラスト強めで同時に感じたのは不思議なものでした。

町に人がいないのが当たり前になりすぎていたけれど、見える景色に名前も知らないけど誰かが歩いている。
小さな子供やお年寄り、家族や仲良しグループなど、老若男女さまざまに誰かしらが自分の他にも存在するということは、そこに暮らす人の精神的な活気みたいなものに繋がるのかもしれない。

町づくりって、人が集まる施設や便利なサービスの充実も大事だけど、もう何よりもまず、”人がいる”ってことが重要なんだな~と、まさかの町づくりにまで思いを馳せてしまう新年でした。


私は高校生くらいの頃から、「私の大切な人や大好きな人が自分を嫌ったり粗末にしたりするのはすごく悲しい。だから、私は私を大切にしてくれる人のために自分を大事にする。」と思って生きてきたのだけど、そんな大げさなことじゃなくても、新年に見た町の景色がそうであったように、私がただ存在するだけで誰かの安心感になれることだって、もしかしたらあるかもしれない。

近所のスーパーでも、街中でも帰り道でも、ただ居るだけで、歩いているだけで、心細く思っている誰かに、”あ、あそこにも歩いている人がいる”って、安心にも満たないようなものを、本当に本当にちょこっとだけ息が吐けるような感覚だとしても与えられるのかもしれない。

そんなの実際は確かめようがないけど、でも、私の経験のなかだけでも、ふと不安になった時、「あ、あそこに女の人がいた」「同じくらいの年齢の人もいるんだ」「あの人も1人で来ているのかな」みたいに、最後まで名前を知ることも会話することもなくても、ただそこに居る人に安心させてもらったことが何度もあるから。

コミュニケーションの得手不得手は関係ない。
”ただ健全に存在する”ということでも、きっと人の役には立てるのだ。

(あえて健全と加えたのは、他人に恐怖や危害を与えるような存在は、この場合あてはまらないと思うので。)

私はただ、もし居るだけで誰かを安心させられることができるとしたら、ふと思い出した時だけでも、ちょっとだけ背筋を伸ばせる気がしたんだよね。


2024年も、たくさんの人が自分を好きでいられたらいいなと思います。

”自分を好き”って、結構いろんな捉え方があって、私も過去にいろいろと聞かれてきたので、ここらへんはまたいつか書けたらいいな。

そして、台湾旅行記も備忘録的にのんびり書いてますが、たくさんの人に読んでもらえてありがたいです。

残すは花蓮後半と台北帰還編。ぜひ引き続き読んでもらえたら嬉しいんだからっ!!

それでは、今年もよろしくお願いいたします。

かとうかのこ

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