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まえもうしろも、みぎもひだりもなくなって

 この引きこもり期間によって、どんどん時間の感覚がふわふわしてくる。
 曜日もわからなくなり、時間の経過を体感するのも怪しくなってくる。もう夕方か、と思うときもあれば、まだ10分も経ってないのかと驚くこともある。

 そんな経験をするたびに、私は己の感覚と、「時間というもの存在や概念」を疑う。いい加減な感覚と、存在もさらに意義さえも時にわからなくなるもの。こういうとらえようもなく、考えることがめんどうくさくなることに思いを巡らせるのが、私は嫌いじゃない。

 難しすぎて途中で投げ出してしまっているが、時間というものが絶対的なものではなく、とらえどころのない、突き詰めても矛盾ばかりが出てくるものだと説かれた本も少なくはない。なんでも、高さによって時間の過ぎる速さは変わっているようで。ははーん、タワマンに住むセレブになれば私の老化も抑えられるのかしら。セレブってそんなところまで優遇されてるのね、なんて冗談もそこそこにして。

 こんな非日常の世界なのだから、あえて自分から時間の概念からはずれるように行動するのもいいなって思う。そもそも文明なんてものがない生き物は、今でだって細かい時間の感覚なんてないんだもの。
 休みのときならば、好きな時間に寝て、好きな時間に起きて、お腹がすいたなと思ったときに食べて。すごく動物的。ひとり暮らしではないからやれる完璧にそうできるわけではないけれど、それでも。

 日常でルールを守って生きていかなきゃって思ってることがあちこちあるんだなって気付く。
 そして時にはずれてみるとわくわくする気分になれるのは、私だけではないはず。例え大変なときだろうと。

 こんな明け方に寝たり起きたりしてる言い訳では……ないんだよ。うん、断じて。決して昼夜逆転してるわけでは……やりすぎもよくないらしいから、精神的に。
 そもそもやりすぎて、シャバに戻れるのかしら。私は。

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