七割炭酸

七割炭酸

最近の記事

段階的な文脈

基本情報が無い噂話はなんとなくで読み進めた英文の様な疎外感がある。 聞き返す勇気も持てずに適当な相槌を打ってみたり、色々あるねなんて何も言ってないような言葉を投げた。 曖昧に対する返答は曖昧で、意味の無い音が並ぶ。 ゆっくりと積み上がってきた文脈ができている場所に入ろうとするのが間違いなのだろうけど、もう他の場所への行き道は分からなくなってしまった。 席替えに望みを託している時点で他力本願なのだろう。 noteに言い訳を書いている時点で終わりなのだろう。 始まりもして

    • この目で見たものは偶像か

      想像は妄想か。妄想は偶像か。 あの子が泣いている。 それが事実だとしても、あの子の感情を想像したら、勝手な偶像を作り上げているはずだ。 人と関わる上で想像は大事だ。 だが、それは想像でしかないという前提を忘れてしまえばただの身勝手では無いのか。 私はあなたになれない。

      • 記憶処理に勝ちたい

        地球外知的生命に会いたい。 ずっとそう思っている。 ある日、気がついてしまった。 覚えてないだけで会っているのかもしれない。 地球外知的生命だ。 地球人と会ってしまったら危ない。 記憶を消すに決まっている。 そうだ。会ったことがあるのに覚えていないだけだ。きっとそうだ。 必死に思い出そうと頑張っている。

        • カンストしたルーメン値

          劣等感で吐きそうなのは、劣等感に負けて吐き続けてきたことが理由なのだろう。 バチバチと光を放っているあの人たちにも悩みがあるのだろうか。 あったとしてもあの人たちから出る光は強くなるだけなのだけど。 なんでこんなことにと思う度に自業自得だと思い出す。 こんなことをnoteに書くから抜け出せない。

        段階的な文脈

          休学、秋。

          全部夏のせいだと主人公になりきる季節も終わる 調子どう?と書かれた連絡は手を付けられないまま秋が来た。 夏休みが終わってしまえば平日昼間に歩く高校生は普通からはみ出ている。 普通である必要もないけれど、普通である方が生活が上手くいくのは確かだ。 依存性のある薬だと説明されたのに今朝も飲み忘れた。 休学届は200mlのオレンジジュースと一緒に運ばれてきた。 帰宅して劣等感と一緒に飲んでいるはずなのにいつも通りの味を感じる自分が嫌だった。 当たり前を普通に過ごすお前らを

          人の為の裏腹に

          いくら人のことを考えたって自己解釈の妄想なのに思いやりを持った気になって優しさに浸かる。 結局は人に優しくすること自体が自己満足の自己防衛であると思う。 優しさでした。思いやりでした。あなたの為でした。そんな自分勝手で事実を拒絶する。 ただの自己満足なのに人の為とラベリングをしておけば見た目も良い。 優しさの押し売りで悦に浸る

          人の為の裏腹に

          カフェオレの分離

          夜が嫌いで朝を待つ。ぐじゅぐじゅと傷口の開く夜に勝てる日は来ない。月を見上げれば寝違えた首が痛む。ジャックポットに入ったように鳴り響く警報は朝になれば止まると思い続けている。シュレッダーにかけたはずの感情たちは勝手に復元されていく。やり直しだ。どこから朝なんだろうか。うやむやな境界線に溶けていく時間たちに朝だ夜だと色を塗る。

          カフェオレの分離

          気化熱

          夏を終わらせようと氷を持って外に出た。ポタポタと手のひらから零れる氷だったものはもう袖を濡らすだけ。ハンカチなんて持ってるはずもなくフラフラと風に頼ってみる。このままズボンを握ることに抵抗があるのは幼稚園から成長していないせいだ。

          エモいが塗りつぶす

          「ことばとは何か」という文章が教科書に載っていた。 聖書の考え方は"言葉"とは元から存在するモノにラベルを付けるような考え方で、 ソシュールの言語観は"言葉"とは、人間がモノをモノとして認識するためにある定義の幅の名前。 内容に関してはそんな解釈をした。 「悲しい」と「寂しい」 そんなあやふやな感情に幅を決め、言葉として名前を付け、それぞれ分けているから言語として共通認識が使えている。 そんなことを考えた。 そして「エモい」という言葉を使いたくない理由に気付いた。 エ

          エモいが塗りつぶす

          いちご以外もあげる

          本当はいちごだけじゃなくてショートケーキごとあげたい。 人との距離感が分からない。 嫌われないように近付いても嫌われないように離れてもダメらしい。 自分の意思を大切になんて言われるが、強いて言うなら目的は今の空間から追い出されないことだ。 何をしたい訳でも無いが、ここから弾かれないようにしたいだけ。 嫌われるかもしれないという不安を解消できるように人の為とラベリングをして自分の為に動く。 パックいちごもホールケーキも買ってくるよ

          いちご以外もあげる

          主語はどこまで

          必ず一人称の解釈を挟むのに噂話をしてしまう。 噂になるまでの理由も自己解釈でしかないのに勝手に勝手に話してしまう。 その感情に行き着くまでの過程も知らないのに勝手に共感をしてしまう。 自分の勝手な妄想を通しているということにすら気付かない時が多くある。 主観でしかない。あなたにはなれない。 そんな当たり前に吐きそうになる。

          主語はどこまで

          表裏一体に蓋を

          現実を見るのが嫌なのは理想があるからで、理想を見るのが嫌なのは現実があるからだ。 正しさは優しさが無いし、優しさは正しさが無い。 その優しさも正しさも本当に優しくて、本当に正しいのか、信じられるのか、そんなことは分からないけど、両立が難しいことだけは知っているつもりだ。 片方を大切にするとどこかで崩れる。 表裏一体はありふれた当たり前だが、罠である。 クラクラになるまで表に酔えば裏を見ずに済むだろうか。 裏が気にならないくらいまで表を伸ばせばいいのだろうか。 バランスが

          表裏一体に蓋を

          後出しジャンケン

          会話は全て後出しジャンケンのように思える。 相手が求めることに対して適切な手を出す時もあれば、相手が後出しのキラーカードで大逆転を起こそうとする時もある。 共感をされたいなら、アドバイスを求められているなら、ただ聞いて欲しいだけなら、ハッキリと言って欲しい。 コミュニケーションが出来ないのはこういうところなのだろうか。 そして後出しをしないで欲しい。どう思う?と聞くなら己の考えは一度捨てろ。お願いだ。 後出しジャンケンならば対策をしようじゃないか。嫌がらせの応報も。

          後出しジャンケン

          本心と善意の曲解

          本音、偽善、そんな単語ばかりが目に付いてしまうのはこの言葉たちを好きになれないからなのだろう。 これが本音です!これが偽善です!と正直に主張する奴をあまり見たことが無い。 本音では無いと、偽善であると文句を付けてくる奴への対抗か、あるいは他の目的があるのか。 様々な理由や現象を外から歪めていくだけの言葉たちは好きになれない。 本音というカバーに包んで偽善の言葉を投げかけるのであれば私にそれは分からない。 だからこそ怖いのだ。 勝手に人の感情を良いように受け取って一喜一

          本心と善意の曲解

          本気でとか

          本気で頑張ったことは無い。と言っておきたい。 あれが本気なのwwwwとか思われたら耐えられないからだ。 人それぞれのものさしなんて便利な言葉は存在しているが、この言葉自体ある一定の基準を超えている人しか口に出せない。 あたりまえの壁を越えられなかった怠惰な奴がこれを言うと言い訳になる。 足の調子が悪いと50m走の直前に言い訳をするサッカー部の気持ちはこうなのだろうか。 ダサいことを言う人間にはなりたくなかった。

          本気でとか

          頭が悪いのでお前らを殴ります。仕方ないですね。

          善悪の判断ができないんです。ごめんなさい。 ついでに性格も悪いんです。あなたのことを斜めから見て悪口を言ってしまうかも知れません。 でも、頭が悪いし、性格も悪いので仕方ないですよね。 なんなら私、可哀想ですよね。気使って下さい。 こんな保身の仕方をすれば無敵になる世の中であるように思える。 今までこれは芸術の範囲で見ることが多かったように思う。 これを受け取った側は、こう思って擦れちゃいそうになる日もあるけど真っ直ぐ生きよう。という解釈をしていた気がする。 ただ、どこかで

          頭が悪いのでお前らを殴ります。仕方ないですね。