本心と善意の曲解

本音、偽善、そんな単語ばかりが目に付いてしまうのはこの言葉たちを好きになれないからなのだろう。

これが本音です!これが偽善です!と正直に主張する奴をあまり見たことが無い。
本音では無いと、偽善であると文句を付けてくる奴への対抗か、あるいは他の目的があるのか。

様々な理由や現象を外から歪めていくだけの言葉たちは好きになれない。

本音というカバーに包んで偽善の言葉を投げかけるのであれば私にそれは分からない。

だからこそ怖いのだ。
勝手に人の感情を良いように受け取って一喜一憂する。分かる訳が無いとするのも外から歪めているようであの言葉たちと同じだ。

会話ひとつひとつが本音風の言葉をカツアゲしているみたいで怖い。
人の本当を知ろうなんて頭がおかしい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?