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みんなで集まる日のための、一人の日

1日家にいて、2日目も家にいると、3日目にはそろそろどっかに行こかな?と、思い始めるんですが、特に週休2日と決まっていた頃の土日には、外に出ないでいると「せっかくのお休みなんだけど、何か損しているような気分」にもなったりしてました。かと言って別に用はなく・・・スーパーに行くだけ行ってみるとか、公園に行ってボーッとしてみるとか、風呂に入ったのに銭湯に行くとか。そしてサザエさんを見て、朝ドラで月曜日を迎えて、仕事場に行くと人と久しぶりに話せて、あー仕事しててよかった。みたいな、そうやって日曜の夕方に足早に家路に着くような人を街中で見かけると「なんだか懐かしいなぁ」と、感じたりします。

逆にずっと仕事でずっと休みのような感覚になっているフリーな今だと、周りからすれば、平日の真っ昼間からあの人なにしてるんだろう?と、ちょっと変な人なんだろうなぁーと、ニヤリとするのでした。「変わっているよねー」とかは、昔から言われいていたので、ピッタリそうなれていて心地よいのですが、一人で色々とやることが多くなると、やっぱりちょっと人恋しくなるものです。職場があればあればで人間関係に悩んで・・・人はなんて無い物ねだりなワガママな性質なんだろうと感じるばかりです。

そんな強制的に、人がギュッと入れられているビルのオフィスやマンションに、拘束された時間いなきゃ状態がない日々の中で、みんなが集まる日というのは、けっこ貴重な時間なんだろうと最近感じます。貴重というのは、単に集まる日にちを調整するのが難しいということではなくて、過ごしたい相手がいて、集まれる時間があるというのは、人生の中で大変に貴重だろうと。


その時間までの間、みんなそれぞれにいるのですが、みんなと過ごす時のために頑張っているといってもいいんじゃないかと、ふと思ったりもします。


それくらいに人は人を必要としているのが、当たり前なんですが、とっても不思議だなと感じることもあります。人といると、自分がここにいるってことが、ちゃんと自分で理解できるからなんでしょうかね。




ランドリー・・・


どこか懐かしさを感じる、帰る場所としての「 写真 」「 道具たち 」を扱っております。

 [ ものがたり ] 盆暮れ正月となれば、何かをするためというわけでもなく、とりあえず帰ろうとする。でも「 帰ってきた 」と、心から深くそう感じられる場所へ、ふと帰りたいと思って振り返った時には、いつの間にか、もうその場所はどこにも無いと気づくこともある。そんな時に、何気なく撮っていた一枚の写真がその役割を果たす時があるように、家のどこかでなにか見覚えのあるような道具たちも、心の帰れる場所があるのでは?と思ったのでした。みなさんにとっての「ただいま」を、感じてもらえる体験となれたらと思います。



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