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【短編小説】悴んだ恋文

君の足音は聞こえない。
天使の翼から離れた羽毛のように、フワリフワリと優しく地面に降りたつ君は悲しげな雨のようにパチリパチリと大地や水面を叩いたりしないし、木々や小道をフオウフオウと走る風のように喜びの声をあげたりもしない。
だから、私はいつも君の来訪にすぐに気づくことが出来なくて、朝目覚めた時のブルルと震えるような凍える寒さと辺り一面に散らばった白い足跡で少し前に君が通り過ぎていったことを知るのだ。

君の足跡を追いながら、誰もいない雪原をたった一人で歩き続ける。ブウツが泥濘んだ地面からグチャグチャと泥を攫って私のズボンに引っ掛けていく。ハッハッハと口から溢れでる吐息は煙突から湧き出た煙のように瞬に白く染まりすぐに空へと消えていく。いくつもの事柄がリズミカルな足跡を奏で耳触りの良い耳障りな音を形成し、君の静かな足跡をひとつひとつ塗り潰していく。
君は今年もあの場所で待ってくれているのだろう。

君の足跡はやはり森の中へと続いていた。雪の帽子をこんもりと頭に乗せた木々たちがまるで、ここは誰も通っていないと語りかけてくるかるようにじっと私の方を見つめている。しかし、君の足跡は続いている。私は木の枝や叢を掻き分けて森の奥へと進んでいく。パキパキ、ボトボト、ガサガサと木々の音々が私の足音に加わり、森の中にこだましていく。チチチとなく冬鳥が私の到着を君に伝えに行ってくれていた。

何年も前から、この森の奥にはピアノがひとつ置かれている。誰がここにどうやって持ってきたのかはわからない。しかし何年もの間朽ちることなく、この森に佇み続けている。そしてそのピアノの前に、今年も君はいた。君は先ほどついたばかりなのか、それとも全く動かず私を待ってくれていたのか、君の足跡は最低限の数しかない。

「   」

「   」

寒空の下を歩き続けた私の体はとうに悴んでしまって、ピアノを弾くことも君の指に指を絡ませることも出来なくなっていた。だけど、君を抱きしめることは出来た。それだけでよかった。
私の体温を奪いながら少しずつ、君の体が溶けていく。君の顔はとても幸せそうな顔をしていたけれどどこか寂しそうでもあった。
そうして私がゆっくりと吐き出した息が五度空に消えて見えなくなったころ、君の姿は消え、僅かに残った足跡と冷たくなった私だけが森の奥に残った。雲に隠れていた太陽が私を照らし体を温めてくれるまで、私はその場から動くことすら出来なかった。


だけど、手を合わせることは出来た。
来年もまた会えますようにと消えた君に祈りながら。

お題:「雪」

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