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身体と呼吸をととのえて、自分軸で生きていくための呼吸レッスンをしています/専門学校デジ…

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身体と呼吸をととのえて、自分軸で生きていくための呼吸レッスンをしています/専門学校デジタルマーケティング講師/SNSプロフィールブランディングなども承ってます。呼吸レッスンはInstagramにて告知しています。

マガジン

  • 呼吸とからだのこと

    2021.01〜から、呼吸DOJOに通った感想や、呼吸や身体における日々感じたことを書き留めています。

最近の記事

鍋を磨く

「鍋を磨く。」 ひたすらに鍋を磨くことをした。 「鍋みがいてほしいんです」。といわれ、 鍋を見たら、別に汚くない。 全然綺麗では?と思ったら、 「もっと光沢が出るんで、光沢出るまで磨いてください」 と言われて、たわしとカネヨンで磨いてみた。 ある程度、力をいれないと擦れない。 5個くらい磨いているとだんだん 鍋の光沢感がよくわかるようになり、 「鍋ってこんなに光るんか」。ってくらい ピカピカになった。 1鍋につき6〜7分くらいしか 磨いてないけど10個、15個

    • 「ないもの」として見る世界について

      「ない」と思ったら自分の中で「ないもの」として、見てる世界を見ることになる。 つまり「認識しない」。 なんかある、と思いながら見るのと、そんなものはない!と思って見ると脳の中での認識が取れないため、そのものを認識できない。 「できない」 「やれない」 「自分にはそんな能力はない」 自分でそのように認識してたら、0なのだ。 もし、そのようにできる、できるようになる自分がいても、芽が出ても、気づかない。 と、ようやく腑に落ちている。 「まだまだなんです」=「自分には

      • 身体は全受容

        呼吸・整体を学ぶ仲間たちと授業の中でもらったテキストを音読する及び熟読する会に参加している。 その中で、中心となってまとめてくださっているセラピストである麻由美さんの言葉に、「本当にそうだよな。」と肚の底から共感したことをシェアしたいと思う。 ※麻由美さんのnoteは、"息を基準に生きる"をnoteの中で書いてくださってるので、呼吸や身体のことに関して気になる方はぜひ読んでみてほしい。 「身体は全受容ですよ。」とテキストを読んで各々感じたことをコメントしたあと、麻由美さ

        • 気持ちよく吸って吐くだけ。

          呼吸・整体のワーク「深呼吸の衝動」という気持ちよく吸いたい分だけ吸って、吐くだけの超絶シンプルなワークがある。 たびたびこのnoteでも紹介している。 このワークをやっていくと、こうするともっと気持ちよく深呼吸できるコツはたくさんあるが、肝は「吸いたくなったら吸いたい分だけ吸って、吐く」である。 ただ、それだけをひたすら自分にしてみる時間を取ってみた。 気持ちよく深呼吸できそうなタイミングを見計らって、いまだ!と、吸いたい分だけ吸って吐く。 深呼吸したくなくなるまで

        鍋を磨く

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        • 呼吸とからだのこと
          11本

        記事

          なりたい自分を諦めなくていい

          「なりたい自分を諦めなくていい」 自他共に言えることでもある。 これから、私が呼吸のことや身体のことを伝えていきたい理由の一つを書いていこうと思う。 なぜ伝えたいのか? いまの自分から変わりたい人、よりよくなりたい人がきっといると思う。けれど、その自分にはなれないのではないか、とどこかで思ってる人もいると思う。 現状、何かこのままではいけない気がする。または、このままでは嫌だが、なんとなくある。 しかし、何をどうしたらいいかわからない。何をどうしたらよくなるのかがわ

          なりたい自分を諦めなくていい

          関わり、再交流

          昨日で30歳になった。 誕生日は、普段そこまでメッセージのやりとりがないけれど、今まで関わってきた人たちとの交流が再度生まれる日でもある思う。 今日、私が6年前に初めて会った人に「誕生日おめでとう」とメッセージをいただいた。 お礼とプレゼントが欲しいです!と率直に希望を伝えた。欲しいものはこれです!というAmazonの欲しいものリストを添えて。(結果、買ってくれた) 6年前の私 その人と出会った6年前、その友人からみてわたしの様子は「苦しそう(いろんな意味で)」だっ

          関わり、再交流

          感謝に至るまで

          今日は20代最後の日。もうそんなに年数が経っていたのかと感じる。時が経つのが早い。 毎日を普通に過ごせる今の自分があることがありがたいと思う。 大病したわけでもないが、生き苦しさは20代からずっと感じていた。だから普通に過ごせることがしあわせである。 その生き苦しい時代に手を差し伸べてくれた人がいる。 けれどその人たちに感謝ができなかった期間があった。 見守ってくれててありがとう。と、ようやく腑に落ちた今日。いままで関わってきた人たちへの感謝が自然と生まれた。 自

          感謝に至るまで

          言葉をつかうということ

          日常、自分がコミュニケーションをしている中で当たり前に使うもの。それが言葉。 私も今、noteに言葉を使って綴っている。しかし、前からこのように書けるわけではなかった。 昔は、頭の中にたくさん自分の考えていることがあったものの、アウトプットができない。 伝えたいことがあるのに伝わらないという悲しみもたくさん体験したし、その期間の方が長かった。 ただ、やっぱり自分の見てる世界や、体験した世界を伝えたい、共有したいと心のなかで強く思っていた。 こんなふうに感じている。

          言葉をつかうということ

          感情はどこで感じるか?

          どこで私たちは、感情を感じているのか。 頭だけ?身体のどこか一部だけ? ここが感情の感じるポイントとして 胸が苦しいとか、あるかもしれないけれど 感情は身体全部で感じている。 だけど私たちはそれを身体のどこかを力ませて感情を感じないようにできる。 例えば、上腹部(鳩尾の近くの部分)であったり 肩を上げてこらえていたり。手をぎゅっとしたり。 感じたくないから身体のどこかでこらえることをしていることがある。 わたしは過去、そうやって自分の感情を感じないように生きていた。

          感情はどこで感じるか?

          湧いてきたものを見る

          最近、チラつく小さな体験がいよいよそろそろというところまで来ていたので、それを見た。 昨日の記事の感情が出たことにも繋がる。 記事の中で、涙が出るほどの「何か」が私の中にあることがはっきりとわかった。けれどそれを俯瞰して見られるくらいまでは横に置いておいた。 感情が湧いてる時は、"自分"ではなくて"相手"にフォーカスが当たるので、一旦引きで見られるようになるまで、身体を整えたり、気持ちを整理したりする。 「自分は何を体験してるんだろう?」 その視点で今回のことを見た

          湧いてきたものを見る

          感情を身体に通す

          久しぶりにめちゃくちゃ泣いた。 感情が頭から突き抜けるかのような感覚と、全身が真っ赤になるような感覚。 なんでこんなに込み上げてくるのだろう?と考えていると感情を打ち消してしまうので、その時とにかく湧き上がってくるものを全部感じることを決めた。 感情が込み上がっていると、いろんなことが出てくる。なんで?なんで?どうして?どうして? マジシャンがカードを切る速さでいろんなものが捲れ上がっていく。 その中に、ひときわ私の中にあったのは、 悲しい。 悲しい。 悲しい。

          感情を身体に通す

          自分が決める体験

          自分で決めるという体験は貴重だなと思うこの頃。 自分で決めているかのようで、親の思惑の中の選択であったり、自分で決めているという自覚がないまま、「これがいいらしい。」という外の情報から良さそうなものを決めていたり。 「自分が、決めている」いう純粋な体験は一体どこでできるのだろうか。 わたしが学生の頃、当たり前に中学から高校へ。高校から大学へ進んだ。 だけど、高校から大学へ行くことを決めた私は、自分で決めていなかったと思う。 四大に行かないと就職できない。 みんな行っ

          自分が決める体験

          諦めなければいい

          ずっとそうなったら、そうなれたらいいなと思っていたことがある。 楽に生きることができたらいいな。 「気持ちも、身体も軽やかになりたい。」と強く願ったのは4年前くらいだったか。 その時、私の身体は土砂降りにあったような重さがあるのが常だった。 気持ちも、いわゆる重度のメンヘラ。 でも、呼吸・整体の深呼吸の衝動というワークや、いろんな身体の調整をしていくと重さが消えていく。 身体が楽になると、考えていたモヤモヤが遠くなっている。 気持ちとか、そういうの抜きにして淡々

          諦めなければいい

          自分と繋がるという体験

          私は、呼吸・整体の呼吸ワークを通して、自分と繋がることを体験し続けてきたと思う。 まだまだ先はあるとおもうし、できてないところもあると思う。 結構、いろんなセッションを受けてきたし、自分と向き合うのをかなりやってきたと思う。 いろんなものを受けて、自分と向き合い、思い込みを外し、ブロックやらなんやらいろいろやってきたが、 つまるところ身体感覚がある、身体がある、実体感覚があることがベースにないと、めちゃくちゃ遠回りだなと心の底から思う。 心と身体セラピー 呼吸と身

          自分と繋がるという体験

          感情の取り扱い方①

          今回、私なりに学んで、勉強して、得た感情の取り扱い方について何回に分けて書いていこうかなと思う。 自分の感情のコントロールができない、と言うのが20歳くらいから悩みだったのと、 これを書こうと思った理由に、やっぱり感情の取り扱いって頭の中ではなくて身体のことも絶対必要だよね、と身をもって体感したので、書くことにした。 まずお伝えしたいこととして、感情を取り扱う上で、身体の感覚があることがすごく大事であること。また感情はなくならないし、より鮮明になるけれど、自分なりに扱え

          感情の取り扱い方①

          対等に接する

          最近、友人の子供たちに会う機会が増えた。 その時に、自分が子供たちにどう接したい、またはどう接しているのかを観察してみた話。 自分が大切したいことを自覚する 私は、子供だからというコミュニケーションをあまりしない。 というか、私がそう接したくない。 なぜなら、わたしが大切にしたいことの一つに、対等でありたいという気持ちがある。 上も下もない、彼ら(子供たち)も1人の人である、と尊重したい。それはわたしもそのようにしてほしいからという気持ちからきているものだと観察し

          対等に接する