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身体は全受容

呼吸・整体を学ぶ仲間たちと授業の中でもらったテキストを音読する及び熟読する会に参加している。

その中で、中心となってまとめてくださっているセラピストである麻由美さんの言葉に、「本当にそうだよな。」と肚の底から共感したことをシェアしたいと思う。

※麻由美さんのnoteは、"息を基準に生きる"をnoteの中で書いてくださってるので、呼吸や身体のことに関して気になる方はぜひ読んでみてほしい。


「身体は全受容ですよ。」とテキストを読んで各々感じたことをコメントしたあと、麻由美さんが言った。

「生まれてから身体は、全部私たちの言うことを聞いてくれている。全受容してくれている。」

「だってもう身体が全受容してくれているから、誰かに受容してもらう必要はないんです。身体はぜーんぶ応えてくれているから。」

と、聞いて、

「そうだ。身体は生まれてこの方、自分のしたいに従って全部動いてくれているではないか。」

「ひとつも自分のことを否定することなく、言うことを聴いてくれている。でも自分は身体の言うことを聴かないで生きてきた。」

「息が苦しい止まる=身体からのNGに関して、全く私はその声を聞かずに生きてきた。」

過去、ずっと誰かに愛されたい、受容してほしい、受け入れてほしいと願ってきたが、一番してほしいことをしてくれている身体のことは無視していた。

灯台下暗しにも程がある。

もうすでに在るというのは、身体はすべて私たちの欲求を満たしてくれていること、そもそも肉体として身体がそこに在るということ。

身体の範疇を超える

傍若無人な声を毎回聴いてくれている身体も、「ちょっとこれ以上は無理」となると、病気したりして教えてくれている。

身体が痛い、どこが痛いのも、「その動きは、身体はNGですよー」と教えてくれている。

その身体の使い方を変えていくのは"自分"である。

愛されたい、受け入れられたい、認められたい、の前に「身体の声を聴くことをしてますか?」が先決であると思う。

それがわからなかった私は、頭の欲求の声が自分の欲求だと思い込んでいた。

だけど身体はいつでもそこに在るし、全受容してくれている。

そこに気づくことが"自分"というものを基準に生きる一歩なのではないかと思う。

身体が言うこと聴かないのではなくて、自分が身体の言うことを聴けていないだけ。自戒を込めて。

身体は全受容。

私がずっと知りたかったのは、自分を愛するという抽象的な言葉ではなく、息が止まる、詰まる、ウッとなるのは、身体からのNOという明確な答えだったなぁと思う。

だからそれをやめる。身体の声を聴く=息が止まらない選択をする。それだけ。

それをしていった先に、身体が楽になる。

自分が変わる。

身体は全受容。大事なことなので2回。

その視点に立つと、そもそももう全て持っているのだ、それをどう活かすかなのだと改めて思った時間だった。

ありがとうございました。

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