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自分が決める体験

自分で決めるという体験は貴重だなと思うこの頃。

自分で決めているかのようで、親の思惑の中の選択であったり、自分で決めているという自覚がないまま、「これがいいらしい。」という外の情報から良さそうなものを決めていたり。

「自分が、決めている」いう純粋な体験は一体どこでできるのだろうか。

わたしが学生の頃、当たり前に中学から高校へ。高校から大学へ進んだ。

だけど、高校から大学へ行くことを決めた私は、自分で決めていなかったと思う。

四大に行かないと就職できない。
みんな行ってるから大学には行かないと。
だから大学には絶対行かないとって思っていた。

特に学びたいものがあるわけでもなかった。ただ歴史を覚えるのが得意だったので、歴史学科にした。それだけであったような気がする。

高校から、海外へ留学しに行った同級生がいた。彼は、自分で決めて行ったように思える。

少し、羨ましかった当時の自分がいたのも覚えている。

自分が選択することとは、なにか。

「自由に決めていいよ」

と言われたら、
今、どんな感じがするだろうか。

「え?」と動揺するだろうか。

それとも

「やったぁ!」と喜ぶだろうか。

反応はさまざまであるとおもうが、わたしは後者だ。

「自分で決めていい」って、私にとっては自由の象徴。

自分で決められることって、嬉しいことという認識になっている。

決められたことから選ぶのではない。自分が最初から最後まで、これがいい!と決めるのだ。

思えば、小さい頃から自分はずっとそうしたかったように思う。

自分で決めたかった。
自分が決めたかった。

そういう体験の中で、自分を生きたいと強く願っていた。

自分の人生を生きることが目的ならば、自分で決めることしかないなと私は思う。

相手に委ねる世界ではなく、自分に委ねる世界。

息で決める体験

「決める」練習ができる呼吸・整体の深呼吸の衝動というワークがある。

気持ちいい深呼吸ができるタイミングを自分で決めるのだ。

この文章から、「知る」だけではなく、体感して、体験して、自分で決める。

しかも、何度も失敗できる。失敗しても自分がちょっと苦しくなるだけだ。

こんなに「決める」練習ができるなんて、すごいことだと本当に思う。

気持ちよく鼻から息を入れて、口から出す。

ぜひ誰しもにこのワークを体験してもらいたいと思う。

8月に、深呼吸の衝動を体験できる場をつくります。またその時に。


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