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感情を身体に通す

久しぶりにめちゃくちゃ泣いた。

感情が頭から突き抜けるかのような感覚と、全身が真っ赤になるような感覚。

なんでこんなに込み上げてくるのだろう?と考えていると感情を打ち消してしまうので、その時とにかく湧き上がってくるものを全部感じることを決めた。

感情が込み上がっていると、いろんなことが出てくる。なんで?なんで?どうして?どうして?

マジシャンがカードを切る速さでいろんなものが捲れ上がっていく。

その中に、ひときわ私の中にあったのは、

悲しい。
悲しい。
悲しい。
悲しい。
悔しい。
恥ずかしい。

悲しいが98%を占めていたが、残りの2%に悔しいと恥ずかしいが混じっていた。

そうか、悔しくて恥ずかしかったのか。
一瞬と少し自分を見る隙間ができた。

でもまだ感情が滲み出てるので、その前に出てくる湧き上がってくるものをとにかく出した。

涙が止まるまで、延々に泣いた。

感情の取り扱い方としてはここで出し切るのが一番楽な方法。

泣きたいんだから、泣けばいい。
悲しかったんだから、悲しいをやり切る。

「うわ〜〜〜〜〜〜〜!!!
悲しい〜〜〜〜〜〜」

と泣きながら30分歩いて帰った。
家まで、歩いたら30分あってよかったと初めて思った。

ほどなくして、私は泣き止んだ。
20分くらい歩いて、涙が止まった。

もう、十分。と言われてるかのようだった。

そうすると、「なんか食べるか」
となってきて、くら寿司に入った。

あんまり味はしなかったけど、空腹よりよかった。

家に帰ってからも、凹んではいたし、悲しい気持ちはあった。

でも最初の感情のビッグウェーブは過ぎ去っていて、自分を整える方へ向かえていた。

悲しかったの中の、悔しかったと恥ずかしかった。「なんで悔しかった?」と少しずつ自分に問う余裕も生まれていたが、

今日は凹む!落ち込むのだ!と決めてたので、向き合うのをやめた。

自分のことを自分で選択している自覚が持てたことで、存分に落ち込み、早めに寝た。

そして今、こうして昨日のことを書き記しているくらいには俯瞰的になっている。

感情は循環させる。留めない。
身体がある、体感がある、感じてるものを消さない。練習の積み重ねが、自分の扱い方になるのだなと思う。

全然ダメだった〜!!と落ち込んだけれど、このように自分のことを扱える自分、かつ戻ってこれる自分であることは成果として受け取っていいんだなと改めて。

自分のことをフェアにみる、も同時に。
できなかったところは伸びしろで。

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