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対等に接する

最近、友人の子供たちに会う機会が増えた。

その時に、自分が子供たちにどう接したい、またはどう接しているのかを観察してみた話。

自分が大切したいことを自覚する

私は、子供だからというコミュニケーションをあまりしない。

というか、私がそう接したくない。

なぜなら、わたしが大切にしたいことの一つに、対等でありたいという気持ちがある。

上も下もない、彼ら(子供たち)も1人の人である、と尊重したい。それはわたしもそのようにしてほしいからという気持ちからきているものだと観察していて気づいた。

子供との対峙

よく会う友人の5歳の男の子がいる。

これまで彼に対して感情がぶわっと湧き上がることが何回かあった。

「なんでそんな態度を取るのか」と、とても怒りが湧いてきたことが何回もあった。

感情がおさまった後に彼に「わたしはあなたの○○という行動がとても悲しかったよ」と伝えたことがある。

感情が湧いたのは一瞬の出来事だったが、瞬間湯沸かし器のようだったことをよく覚えている。

彼の目をみて自分の気持ちを伝えたら、「ごめんね」と笑いながら謝ってくれた。

その夜に、体調を崩した友人は布団で寝込んでいたのもあり、なぜか2人だけでコタツを囲んでご飯を食べた。彼はいつもよりたくさん食べていたそうだ。

彼は言葉にはしないけれど、なんだか嬉しそうなことだけは感じていた。

そんな話を人にしたら「子供だからしょうがないではなくて、あなたは子供を1人の人として見ているんだね。」と言われて、みんなそう接するわけじゃないんだ…と初めて知った。

再会

今日、久しぶりに彼に会った。

言葉を交わす数が増えたわけでもないけれど、彼と対峙したあと、彼と私の関係性に変化があるのを感じていた。

今日は、彼が作った部屋の秘密基地に招待してくれた。

「冷蔵庫を作った」「あきとふゆで、飾りを変えるんだ」「ちょっと待ってて」「そこにいてね」と、暗い少し酸素が薄いテーブルの下で、会話をしていた。

彼なりに私に甘えてくれているのだとわかった。

コミュニケーションは、言葉を交わした数じゃない。と、子供たちと交流していておもう。

帰り際、「また絶対ぜったいきてね!!約束だよ!」と、彼は言う。

そんなに何かを話すわけでもないけどなぁと思いながら、「約束する」と言って別れた。

彼と私の関係性は変わり続けていて、信頼してくれていることがとても嬉しいなと感じた日。

子供たちの応えてくれるスピードが速い。それが、私は嬉しい。

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