奈良県三宅町の取り組みに見る、行政の外部人材のまずい使い方のお話

さて、このニュースに対してプラスのコメントが多く見られるようなので、あえて言いますが、手法としては極めて良くないと思っております。

私がかつて奈良市の中心市街地活性化協議会でタウンマネージャーとしていてましたが、そのころから問題となっていた、行政による外部人材の悪い使い方の部分が全く解消されていない。

地域おこし協力隊使うなら建物の管理運営だけにして、コミュニティプロデューサー(CP)は本来ならしっかりした給料を出して雇うべき、というのが第一印象です。

最悪、2年間外部の人(それ相応のプロフェッショナル)を業務委託でCPとしてお願いして、町内の人材育成を行って、2年後にはその人がプロ役場職員として町を引っ張っていくような形にするべきだと思います。(その人が今後三宅町を拠点としながら複業として他の街や、他の会社で働くのはありとして)

はっきり言ってこの給料(月額18万+賞与)では町が求める人が来ない。あと、地域おこし協力隊制度使うと、時間の拘束(最低限働く時間)などが無駄に発生してしまう。それって副業?他に仕事なんてできなくなるよ?
地域おこし協力隊のメリットはその地域において若い力を誘致するいったんとなれるのですが、せいぜいそこそこの企業の大学新卒くらいのお金くらいの給料なので、専門的領域の知識や知見を持った人を招致するには条件が悪い。一方、企業人地域おこしのように、企業などで培った能力を地域のために使ってほしいということで設定されている制度もある。やるなら、こっちだったと思う。どうしても地域おこし協力隊のスキーム使うのであれば、まだ60代だがやる気があり、技能のある人に来てもらい、その人がまちの職員などを教育して、任期終了後はその若手がCPとなれるような仕組みにするべきです。

本来なら、行政がこういう若手を市職員として雇用して育てることぐらいしなきゃならない。そこまで覚悟を行政が持てないのが根本的課題です。

以前とある市で地域通貨の話を市長にしたときも、地域通貨の有効性については認めるものの、肝心かなめの制度作りや事務局や地元への説明などをしっかりと動ける人材がいないという理由で見送りになったが「ならばそれは自治体がしっかりとお金を出してでもその人材を雇えばいい」というのが私の意見で、それが人材の給料に見合うかどうかは2次的な話だ。なにせ給料に見合う仕事を行政マン全てができているのかといえば、そんなことは全くないのだから。公共セクターで、給料に対する成果とか言いだしたら、それこそ根本的な公務員制度の見直しが必要になる。

これ、想像するに、コミュニティプロデューサーだけだと時間がそんなに費やせないから建物の管理とかにも業務をお願いしているのだろうけど、建物の管理運営ってすごく面倒だし、これこそ相応のスキルが必要だったりする(この建物が町の建物だとしても)。
建物運営と、町の人のコミュニティプロデューサー(CP)は分けたほうがいい。むしろCPの活動が制限される場合がある。

CPが求められているのは「コミュニティマネジメント」「人と人、人と機会をつなぐハブとなる(コーディネーション)」「交流まちづくりを経営的な視点からプロデュース」の3つであるという。これ、電通とかに頼んだらそれぞれだけで単年度500万円~1000万円の案件である。それを、年収300万円クラスの金額で人材を応募しようとするのか。
成果が出たかどうかの議論はさておき、宮崎県日南市では商店街活性化のための人材を年収1000万円クラスで募集していた。

なぜ、行政はこういう外部人材活用をうまくやることができないのか。

結局は、外部の人間を使うということが「そこに任せる」、悪く言えば丸投げになることによる。なぜかというと、発注の仕組みに由来していると思う。(また、そもそも行政に人材を居ないように絞ってきた結果だとも思うが、そのあたりに切り込むと長くなるので割愛。)
行政の仕事としては、ほとんどのものは「単年度」での予算で実行するものであり、原則としていろいろな契約も「単年度」になる。そのため「官民が連携して」ということは一部建前で、毎年毎年3月になると事業の報告書祭りが起き、4月5月になると「公募案件」が出まくって、それに対して民間が「提案」して、選定委員会が行われて、然るべき提案をした会社に発注となる。近年、随意契約は悪の温床とされてどんな小さな話も公募案件(コンペティション)になる。

私からしてみればこれはとんでもない無駄の塊で、例えばであるが、地域活性化に必要なイベントなどが3月4月5月は打ちにくかったりする(もちろん行政がその予算でやることは別)。毎年同じようなことをするにも、公募があり、報告書があり、それだけで多くの人の手が止まる。観光協会やおおくの団体の仕事はこの2月3月とても多い。補助金が出れば出るほどこの事務作業は多くなる。そして、その報告書のさしたる反省などができないまま、5月にはまた同じような業務発注がされることもある。なにせ予算は昨年の10月ころからの概算要求でされてしまっているのだから。報告書や公募についてはさっさとDX進めて簡易化簡素化及び公募の書類作成も単純化してほしい。どうせ事前に委託業者決まっているくせに(この辺長く詳しく書くと消されるので割愛)。

これは大きな話になるが、行政が民間とともに事業を行っていくのであれば、3年がかりでの民間への発注や5年がかりということももっともっと頻繁に行われなければならない。そうした取り組みも増えているが、まだまだだと思う。逆プロポとかには相当期待している

また、外部人材や企業に丸投げというのではなく、「地域の中で行政マンがどのような役割を行うのか」を改めて考え、そういうポジションを創り上げていくべきである。三宅町の募集文章では、「行政のできない、不得意なところをやってほしい」というような文言があるが、「不得意だから外部にお願いする」という時点で思考停止になっているのが問題である。ならば、未来永劫CPの役割は外の人にお願いするのか。それじゃあスキームが知恵が何も三宅町の中にたまらないではないか、と。

しかしそれで年収300万そこらというのはあまりに「地域の中のコミュニケーション」という仕事を軽く見ているのではないか。地域内のコミュニケーションのハブになるということは、「相反する意見も聞いていく」という非常にストレスフルな役割も含まれる。地域のカウンセラーであり、持続可能なまちづくりなために収益性の高い仕組みも作るというのはさらにハードルも高い。

私は以前このような↑記事も書いたが、地域の中の「地域経済循環機能」「社会資本産出・循環(交換)機能」「まちの経済」という仕組みも作れてこそコミュニティが円滑に動いていくと思っている。今回の三宅町の求めるスキルの3つ目は、ある意味私の指摘をよくわかっているからこそのものであろう。


ただそんな人材おるかい!!!!!(おいでやすこが、のツッコミ風に)

だから、行政は優秀な人材をその内部に抱えられるようにしなければならない。というか、地域において優秀な人材を真っ先に抱えられるのは地元の企業ではなく行政なのだ。小さな町、これといった産業が乏しいところはもう行政しかないのだ。

しかし、選挙とともに今まで着々と積み上げてきたものがいっぺんに崩壊することもある。行政の泣き所は選挙である。首長と議員次第というところをいかに回避するかも考えなければならない。そのために、数か年の契約などを取り組む必要もある。そうでなければ外部の人材や外部の企業の力を十分に活かせない。まあ、それは結局市民町民次第じゃね?と突っ込まれたら元も子もないが。

ちなみに首長が優秀でも議会が、、というときのために議会もいろいろ納得しやすい資料づくりの仕事していると、この町は議会ないほうが円滑に行くことが多いだろうな、という民主主義を揺らがすような思いになることもしばしばである。

①行政と民間の複数年契約を当たり前にしよう。何でもかんでも公募とかしないでもいいようにしよう
②地域のためにとても優秀な人材が必要であれば、行政で育てよう。それが無理なら、企業人地域おこし使って、優秀な人材を企業から来てもらって、その人に数年がかりで市内の行政マンや住民を育ててもらおう
というのが私の主張である。


いちおう、昔奈良市のタウンマネージャーやってきて、制度上でとんでもなく面倒くさい思いをした人間の実体験からの指摘です。めちゃくちゃ柔らかくいっているが、本来なら、おいでやすこがのツッコミ張りに関係者全員に怒鳴りつけたいところです。

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