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豊岡市長選挙に見る、選挙とまちづくりの難しさと地方の消滅可能性

先日の地方首長選挙群のなかで、ひときわ衝撃的だったのがこの選挙結果だ。

というのも、豊岡市の市長の評判は、少なくとも兵庫県内で、まちづくりに詳しい方々の間では、すこぶるよかったのだ。幾人かの、私が信頼している関係の方々も、中貝市長の政策を評価していた。女性の活躍場所をいかに作るかなど、非常に問題意識は高かった市長だと推測している。

恐らく、それだから負けたのだ。

幾人かの人が指摘しているが、当選した関貫氏も、芸術によるまちづくりは100%否定しているわけではなく、市民サービスももっと上げていかなければならない、という点で対抗馬だった。ただ、このコロナ禍で、観光や産業が大きな打撃を受けており、『演劇が盛んになったところで我々の生活は一向に改善しない』という不満層を集めたものと思われる。



このTwitterのまとめは非常にいい論点を指摘している。

選挙戦当時、両候補とも演劇によるまちづくりの良い影響は肯定している。ただ、そのためにどういったサービスを『犠牲にしていくか』に近い問いかけについて、関貫氏の指摘に対して、中貝氏が十分にこたえているかといえば何とも言い難い。

こうなると結局、マスコミの方としては『演劇によるまちづくりに対して是か非か』と取り上げることになってしまう。関貫氏が指摘した、(≒演劇に力を入れすぎないで)市民サービスの低下を防ごうという主張もこれを後押ししてしまう。関貫氏は市民に対して分かりやすい話としてこども医療の無料化などを訴えた。また同時に、演劇もいいが、殊更平田オリザ氏に肩入れ必要することはないと説いた。これが表面上の中貝氏の敗北原因だと考える。

しかし、今回の豊岡市長選挙の結果は、これだけが問題ではない。ましてや、豊岡市は演劇など文化に興味がないとか、表面上の批判は全く意味をなさない。

要は、これからの豊岡は何をもってしっかりとまちの礎を築いていくかということに対して、豊岡市民は自らの手でその可能性を閉じかけているのである。豊岡といえば城崎温泉があり、カバンの産業があるが、それとは別の柱として、『若い人が、世界中からの人が、豊岡に訪れて、暮らし、生業を築いていく』ための演劇という立ち位置があったはずである。それに対して、豊岡は演劇をまちづくりの核としない、というメッセージを発信してしまった。これは、当の豊岡市民も、実は関貫氏自身も思っていないことだとは思うが、これが世間に浴びせる発信力は大きいことは気が付いたほうがいい。

一方、世間では、選挙の際に『コロナ対策と称して現金をばらまく』と公約し当選した市長が、結局その公約を達成できなかったということでリコール運動が巻き起こるまでになっている。

しかし、よくよく考えてみれば、議会の主流でもない党派の人間で、お金を使うということを公約にしたところで、それは絶対議会に諮らなければならないのだから『おカネをばらまく』という公約をする人間自体に投票するほうがおかしい。それを公約違反だということでリコールするというのは、投票する市民として恥ずかしい行為だと思った方がいい。

今回の豊岡市の選挙では、マスコミの影響もあるにせよ、演劇のまちづくりという軸は、やり方などに修正改善の余地は多分にあるといっても、『豊岡は農業、観光だけでこれからも若者の流出防止や女性の働きたい職場・地域づくりが達成できるのか』というもっと大きな論点がかき消されてしまった。

ちなみに、こども医療無料化などは今後の少子化対策として必須ではないかという声もあろうが、そもそも『若い女性が豊岡市からどんどん流出する』という根本的原因の解決にはならない。また、医療無料化はどこまでがあるべき姿かというのはいささか議論の余地がある。近隣と比べるというのももってのほかで、その地の状況に合わせるべきである(豊岡市の近隣はもっと若者人口が少なく、無料化したところで大した影響はない)

地方から若者が出ていってしまう、それを食い止めるために必要なのは、『大学』という手段と、『都会にも負けない魅力ある仕事づくり』の両方が必要である。ただ、大学を誘致するといっても、このご時世なので、ただ普通の大学の一部のみ誘致したところで限界がある。慶應大学くらいを連れてくるなら別だが(ちなみに合併前の城崎町町長で、旅館西村屋の会長西村肇氏は慶應出身で但馬地方の大学OB会の会長を長らく勤め、「北の将軍様」という名前で但馬地方の人から呼ばれるくらい影響力が強い)。

その地域の起爆剤となるには、『専門性が高く、また独自のコンテンツを持つ』という魅力が必要だ。地方創生学部や農学部といった学部の新設が特に近畿圏では相次いでいるが、そこの2番煎じでは勝てない。ましてや、農学部を新設するのが立命館や摂南大学といった近畿でもアクセス・知名度などが格段に良い大学に勝てない。ならば、特殊なコンセプトの大学を新設するしかない。

兵庫県は、大学の誘致ということで狙い通りの成功ができていない経験がある。それは兵庫県淡路島、南あわじ市が兵庫県の支援もあって誘致した吉備国際大学である。淡路島の活性化として、統廃合で使われなくなった高校跡地を活用して新たな若い力をはぐくむ、、、もちろん理想としては高いのだが、現実的には、広く島外からも学生を集められているかというと、兵庫県内や一部四国、岡山県などもいる程度だ。(私自身がここで講師を務めているので何とも言えないが、『この大学がいい』と思ってきている学生が多数かといえば残念ながらそうは思えない。より良い場所にある農学部に受験ができるならばそちらへ行っただろう、という学生が多い)

南あわじ市の人口動態で見ると、H25年3月末時点で人口が5万人ちょいだったものが、令和2年3月末時点で46000人と、7,8%くらい減少している。大学のキャンパス一つに地域活性化を託すのも酷な話だということが分かる。

だからこそ、地方にはとびぬけた戦略が必要なのである。そのためには、豊岡市ならば何をするべきなのかということがどこまでこの選挙で議論されたのか。市長選挙だけでなく、市民の間でも。コウノトリの里、芸術のまち、というだけで何とかできるわけでももちろんない。でも、どうすれば女性を中心とした若い人間の流出が止まるのかを真剣に議論で来ていたのだろうか。あるいは、若い人が豊岡で生活をしてもらうにはどうすればいいかを考えたのだろうか。もちろん観光業もカバンなどの製造業も大切なのだが、それだけでは流出が止まっていないことに対しては冷静に考えなければならない。また、こども医療無料化だけでも、ましてや今住んでいる人(≒高齢者)の生活の向上ということを多少対策を打っても流出は止まらないのだ。関貫氏はこども医療無料化などは但馬地域の他のエリアと同等に、というが、本当に少子化や若者流出を防ぎたいなら、若者が流出して住んでしまっているエリアを念頭においてそのレベルで対策を打つのが本来ではないか。

地方の選挙を見ていると、そもそもどういう論点で議論するかということやどういう具体策を経てこの地域の未来を切り開くか、今までの政策の何が間違っていて、どう修正しなければならないか、その中で市民村民にはどのような行動をしていただきたいかということが全く生ぬるいと考えている。5万円や10万円配ってくれるからというだけで投票している人がそこまで多くないと信じたかったが、リコール運動まで起きるとなると、そもそも選挙というもので首長を選ぶこと自体が地方活性化の妨げなのではないかと危惧してしまう。

恐らく、豊岡市においても、関貫新市長は演劇の大学を廃校にするなど思ってもみないし、平田オリザ氏に対して注文は付けるだろうが、追い出すようなことはしないだろう。平田氏が出ていくことはありうるかもしれないが、当面はなんとか新市長と折り合いをつけていくことに腐心するだろう。そもそも関貫氏も中貝氏も同じ自民党系派閥であり、関貫氏はその議会の中で特段主流派だったという情報は入っていない。議会は新市長の手前、ある程度地元に配慮した予算を承認するだろうが、演劇のまちづくりを否定するような活動は、それまで自分が行ってきた政治決断の否定にもつながるので、行わないだろう。そこに対して、今回関貫氏に投票した人がどのような反応を見せるかどうか。正直、そういう理由で関貫氏を明確に批判する人が出てきたら、その人たちは特に注意したほうがいい。その人たちこそ地域のことを全く考えていない人である可能性が高い。

『演劇が盛んになったところで我々の生活は一向に改善しない』という不満は分かるが、はっきり言えば、そもそも演劇以前の問題で、その人たちの生活はもはや何をしようが改善しないところまで来ている。その原因は市の行政の問題ということだけでなく、地方全体の衰退や少子高齢化や国際的な変化などである。徐々に衰退する地域に対して近視眼的に文句を言って、今後10年先の可能性を狭めるような選択をする人が多ければ多いほどその地位の衰退は加速度的に増加していく。ない袖は振れぬ。新しい袖をいち早く、覚悟をもってそれに集中して取り組めるか。

中貝氏に反省があるとすれば、そういう覚悟を持って取り組んでいるように市民に丁寧に説明することが欠けていたということなんだろう。

今後、このように先進的取り組みをしていた市長が選挙で敗北していくということは増えると思われる。もちろんその市長の全面的肯定をするわけでないが、どうやって地域は生き残っていけるのかという真剣な問いかけを市民一人一人が年代を問わず考えることがなければ、地方創生など実現はできないはずである。

なお、私自身は平田オリザ氏の演劇自体は別として、考え方や哲学、日本の今後に対する捉え方については否定的である。しかし、城崎温泉を抱える豊岡市であっても、世界を見据えたようなまちづくりまで振り切らないと、10年後が無いだろうという危機感は持っている。その前に、大学関係で縁の有る西村屋に泊まりに行っておくか。






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