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大阪都構想の「勧め方」がとても無理筋な話

さて、いよいよ都構想選挙だが、いろいろ私のFBでもいろいろな言説が飛び交っている。虚々実々の状態でもあり、たぶん誰もその意味を分かってくれないような状況になっているが、それはそれとして、私がこの選挙を(最初から)眺めていて、思うところを書き記しておきたいと思う。

それは、「都構想」という言葉そのものが分かりにくく、また本来この「大阪市解体」によって得られる果実を正確に表していないのだ。そのあたりは維新の戦略ミスというか、「まちづくり的な視点がない」説明になってしまっているということだ。これは市民にとってというより、「府民」にとってとても不幸なことだし、また兵庫奈良和歌山などの関西圏に対して不幸である。京都はある特殊要因があるので省く。それは後半説明する。

① そもそも大阪市以外は大きく賛成しているのはなぜか

自民党の大阪府議団の原田氏(元箕面市議)はじめ、何人かの自民党府議も、この都構想に賛成している。これはなぜかというと、政治的駆け引きもあるだろうが、『大阪市が抱える財源を府が抱えることによって府全体の活性化を図れる』ことである。また、大阪府や全市町村の人口動態を見ていれば分かるように、「大阪市」に近畿圏や、大阪府内の人口集中が加速している。つまり、関西全体で見れば「大阪市一人勝ち」の状態である。

堺市は転出が進んでいる。

このままだと、人口がこの時代でも若干は(他府県や地方からの移住で)増えている世の中、大阪府はどうなるの?奈良や和歌山はこれまで以上に大阪のベッドタウンになるの?それどころかベッドタウンにもさせてもらえないの?という状況が見えてきている。

私は兵庫県尼崎市民だが、東京から関西に移り住んで19年になる。その間、大阪は地盤沈下というか「地方都市」としての性格を強く帯びるようになったといっていい。それは結局「東京の2番煎じ」でしかない商業施設が乱立したり、大阪に本社を置く企業が東京に行ってしまったりとうことである。ただ単に「日本で2番目に人が多いエリア(都市人口で言えば横浜にも、今後千葉埼玉にも負けるだろう)」でしかなくなった。お笑いの吉本興業がかろうじて頑張って独自性を出しているように見えるが、それとてエンタメの主役は東京である。独自性なら京都や札幌、福岡の方がまだましである。

要するに、この大阪都構想は「このままで関西はいいのか、大阪はいいのか」ということを問うている。大阪市が解体するかどうかというのは制度上の話であって、「大阪というエリアの経済的発展を今後どのように描くか」という議論が反対派から来ないのは悲しいことだが当然だとして、ビジョンを描く側からもその声がここ数か月聞こえてこないのは悲しい限りである。


②2重行政というより都市の役割を論じて欲しい

私はかつて大阪市と、2つの仕事で携わったことがある。
1つは、大阪市内の農業活性化のためのワークショップ講師で、2つめは大阪市職員に関するICT研修(2日間×2回 各回90名くらい)である。

その経験から言わせてもらうと、大阪市は解体しても問題ない。ただ、システム面でどういう業務のカタチになるかを丁寧に設計して選挙に臨むべきだったと思う。

大阪市にも少数ながら農家が存在し、伝統野菜の天満菜や源八ものとよばれる「彩の野菜」、難波ネギなどの作物がある。しかし、どれも農地は小さく、生き残りが厳しい状況である。8年ほど前に、大阪市北区の職員さんと一緒に天満菜の保存のための団体も立ち上げたが、厳しい状況に変わりない(今は野菜ソムリエの方が活動を引き継いでいただいている)。
この農家にスポットを当てるために大阪市も予算を割いているが、はっきり言って微々たるものだし、都市農業の根本的な課題である「土地問題」に切り込めているかというと全く切り込めていない。CSAを実践するならもっと違う手法で農業支援を行うべきだが、その視点もない。そして、市に技術的な意味で農業を分かる人も少ないので、大阪市の農業はしりすぼみの状況から止まらない。

では、大阪府はどうかというと、大阪府内の頑張っている農家にスポットを当てたPR活動を大々的にやっている。技術やビジネスモデルを切磋琢磨していけるような仕組みもある。もちろんこれには大阪市内の農家も参加できるし、八尾や吹田の農家も参加できる。私からしてみればCSAや地産地消、6次産業化や農商工連携を言いだすなら、市単位の取り組みでは非常に厳しい。予算規模の問題と、技術面などの支援体制の問題がある。なので、大阪府内の農家で6次産業化や新しい取り組みをするときは府の仕組みを使うことが多い。これは他の府県でも同じである。ある程度広域の中で支援をする方が知見もあるし、連携先(加工業者)、流通網の構築もしやすいことがある。CSAについては地元に近い方がいいのではないかという話もあるが、大阪くらいの都市農業になると、特に大阪市内だけで限るとファンは広くいないと厳しい。そもそも市内の地元の人が地域の小さな小さな農家に住民(しかも高齢化)が買いに来たところで焼け石に水だし、「地価の高い土地で高くつく野菜を高く買ってくれる人」がそうそういるわけではない。地域住民が農業を支えられないから農家が衰退したのである。私が支援している寝屋川のイチゴ農家はある程度周辺住民がその価値を感じているが、それとて米の生産で地域の人に買ってもらうだけでは儲からないからイチゴに切り替えているのである。

ICTの話になると少し話は複雑になるが、根本的には「大阪市」のシステム基盤は脆弱である。災害の時の対応(BCP-IP)がはっきり言ってこのままでは弱い(研修を通じて、職員のシステム面の知識が弱いことも感じたが、システム全体の在り方を考えられる人が少ないことを痛切に感じた)。
災害時の対応が大阪市解体で弱くなるという人もいるが、初動の対応は市や府の話ではなく地域住民の日ごろの意識だし、初期の災害支援は、南海トラフを想定するなら国や広域の話だし、初期~中期の行政機能回復ならシステム面でのバックアップの強さが必要だし、長期的な地域再生なら、それこそ広いエリアで交通や都市機能を考えなければならない。東日本大震災では住民の生活再生や「元あった状態に戻す」ことが最優先された結果おかしなことが多くなったことは大いに反省すべきである。スーパー堤防などではなく、災害に強いまちづくりとなると、より大きな機能がそれを仕切る必要がある。

そしてもう一つ研修の中で感じたのが、大阪市の業務が広すぎるということだ。その中で職員は異動もするし、様々な業務に向き合う。その広さについていっていない人が多すぎると感じた。そもそもシステムの研修は最終的なエンドユーザー「市民の対応内容を向上させる」ことなのだが、そのために現状のシステムの課題や業務の課題を洗い出そうという意識が希薄に見えた。これは行政特有の問題かもしれない。しかし、これをどうするかというと、職員の意識向上という言葉だけでは片づけられない。思い切った業務の簡素化も必要である。そのための内容はのちに記す。


③結局何が争点なのか

私に言わせれば、今回の論点で大阪市民の生活が、サービスがというのは末端に過ぎない。サービスは低下することはないし、向上することもない。下がったら文句を言えば解決するし、何なら特別区によって設置がしやすくなる施設もある。つまり、メリットもなければデメリットもない。市民目線では。

本質的なのは、「固定資産税」の府への移管であるが、これを「ネコババ」というのは無理がありすぎる市がこれをもって再開発するのが大阪市北区(梅田)ばかりだったのが現在の大阪である。この結果、あべのハルカスができても高島屋が改装しても梅田にみんな行くようになった。三宮は防波堤にすらなれなくなって、姫路や加古川からの買い物客が大阪に来ている(こういうことに対する危機感を自民党の国会議員も認めている。私は、こういう事実を抜きにして三宮の再開発をコンセプトなしに進める神戸市には危機感を感じる)。

先ほどにも話題にしたように、政令指定都市大阪は「業務範疇が広すぎる」のが最大の問題だと私は思う(その政令指定都市のステイタスを求めて相模原ごとき(銃声)までが政令指定都市である。さいたま市において、岩槻は何かメリットがあるのか。堺市になって堺市は発展したか。堺東の駅前も相変わらずさびれている。高島屋もそのうち撤退するだろう)。そのため、職員は疲弊している。システムは大きすぎて、業務が効率化されない。予算が大きいのだが、中心地梅田のみに集中しており、取り残される場所やジャンルが多い(大阪市が今のままでいいという人は、西成区の一部や大阪市でも特に何も特徴がないエリアのこれからはどうするのか。まだ大阪というだけで星野リゾートなどの民間の投資もあるが、あと5年もしたら民間企業は梅田以外、見向きもしなくなるかもしれない)。

橋下徹氏は大阪市の職員や外郭団体の腐敗構造を指摘するが、これは行政どこもあるある話である。ただ、「お上になびかないで自分で頑張ってやる、大阪の町」というのが大阪の特長だという声に対して私は疑問を投げかける。私の友人知人の多くのまちづくりに関する人は、行政と渡り合い、本当に素晴らしい町を自分たちの手で実現させている。でも、一方で行政におんぶにだっこでいろいろ食べている人も多いのが事実であるし、そういう人が増えている。都構想でそういう人が一掃されても、IRに絡む人が出てくるだけ、というのは事実だろう。しかし、停滞を求めるか、新しいことを求めるかというと、後者を選ぶしかないのが実情である。演劇や文化という大阪の面白い神髄を残すのであれば、「新しい人が多く訪れる」仕掛けは必須である。なぜなら大阪から多くの人が出ていってしまっているのであるから。大阪の今の人たちだけでは祭りも維持できなくなるのだ。コロナに関わらず。そういう状況をどう思っているのか。

都構想ですべてが片付く問題ではない。でも、水道だってこれから市民が減ってきたら水道局が立ち行かなくなる(八尾市の水道局に勤める大学後輩は年々下がる水道使用量をどうするかという課題に直面している)。となると公共サービスとしては規模の経済を働かすよりない(税収が増えないならば)。大阪市だけでなく、特別区になるかもしれない周辺の市町村と効率的な運営を考えていく必要がある。そのためには「政令指定都市」という化け物は必要ではなく、「観光、都市計画など大きな戦略を構築して実現できる府・県(あるいは広域連合)と、市民サービスに特化した基礎自治体(市町村)と、公共サービスを柔軟に連携できる隣接市町村の関係性」こそがこれからの日本において必要になる。

そしてその姿を運営面も含めて適正にすることができるのは市民の目である。県をまたいででも近隣で消防や水道の公共サービスを維持することだって考えていかなければならない。そういう視点が今のまちづくりで議員や行政自身が積極的に議論してほしいのだが、悲しいことに維新や自民にそういう視点は少ない(ただ、実はどちらの政党にもそういう人がそこそこ出てきている。先の兵庫県の自民党国会議員もファクトベースでの政策立案を推進している)。立民や共産?そんな視点があったらあの政党には籍を置かない。奈良の馬淵さんみたいにたまにそういう人もいるが。

今回の都構想に反対する人の多くはその目線がない。行政は何をしているか、何をこれからしなければならないか、その上で自分たちは何をすべきなのかを考えていないで反対している人が多い。大阪市が解体されて歴史は消えない。というか、歴史を守ろう!という人の活動がそもそも持続可能性が少ないことをしているので立ち消える寸前である。行政のお金に頼るのではなく自活をする、という行動をしていない。あるいは「お金を出してくれる企業がすでに東京に行ってしまっているのでもう大阪ではこのレベルの文化を維持できない」ということを心の底で分かっているので大阪の文化維持を人質にして反対している。でも、そうであるなら大阪の経済の発展とそれに伴う文化の発展には何が必要なのかを考えるべきである。

賛成している人でも、いままでの自民党含むまちづくり政策をよくは思っていないが、将来に関する自分の役割などを明確に理解している人は少ない。だから対立の軸が「市民にとってプラスかマイナスか」というテーマの議論の軸が近視眼的になる。市民にとってはおそらく短期的にはメリットは少ないが、将来的に関西という地域のためには必要な選択の一つである、そういった正面からの主張を維新がしていない、あるいはそのトーンが少なすぎることが問題である。だから毎日新聞の捏造のような記事を発生させている。

万博やIRだけで大阪はよくならないことは間違いない。でも、普段からの経済や政治をしっかりと良いものにしていくには市民一人ひとりが新しい軸の活動をしなければならない。それは、痛みを伴ったり、今までしてきたことの否定にもつながることは多いかもしれない。それをどうするかが問われている。そして、維新はそれをもっと問わなければいけなかったのに、甘い。それが制度設計、システム面含め「市民にもメリットがある」という安易な言葉でしか説明できていないことである。

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