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人をぶん殴ることで見えた「自助と共助と公助」のカタチ

新年度一発目から何ともな題名だが。

不幸ごとがあったので謹賀のあいさつはなしで。今年も自分自身にとって、最良の年になるよう一日一日しっかりと努めていきたいだけだ。

先日、大学時代からの古い友人とほぼ一日ゆっくりと昔話とこれからの話をしていた時に、彼から私の思い出話として言われたことが、表題の「人をぶん殴った」ことである。その詳細はすぐ書くとして。

新年になってからの一つ目の仕事でとあるWEB媒体の記事を書いている中で、これからの地方創生について考えていた。その中で、「自助・共助・公助」についての考察をしたが、ふと頭の中で、友達に思い起こさせられた記憶がつながった。それは、「自助・共助・公助」とは「自分が活躍できる環境を創ること、環境を共に作ること、環境を活かすこと」と読み替えられるのではないかということだ。そしてそれはこれからの地方創生のなかで非常に大切なワードではないかと思ったのだ。


① 部下をぶん殴った経緯

私はその昔関西ではだれもが知っている百貨店の支店で働いていたが、ある日、魚売り場への異動を命じられ、そこから目の回るような毎日だった。立場としてはサブマネージャーのさらにサブくらいだったが。朝は7時から出社し、厨房で魚を捌き(1日平均 8入りの鯛40匹、カンパチ3本、鮃3枚、シマアジ1匹くらいを3枚卸するのが日課。最短2時間くらいでやってた。鱗付きで仕入れたから何が大変って鱗取り)、商品を並べ、接客し、14時に遅めの昼食をとり、魚の残量と翌日の売り上げ目標に応じた仕入を考え、発注し、夕方からは商品を徹底的に売る。夜は20時閉店から片付けと残務整理して21時過ぎにやっと退社、という毎日だった。その後飲みに行くので翌日の仕事がとても大変。

魚売り場は、かつては水産会社をテナントとして入れていたが、直営に戻したため、現場は混乱し、また慢性的に人手不足であった。

そこで、会社は3名の「営業支援部の社員」を新たにうちの魚売り場に「部下として」配属することとなった。営業支援部とは、平たく言えば50歳を過ぎた人の「窓際族」の部署で、一時的に、あるいは数年人手不足の部署に送り込まれる。それなりに働く人もいるが、その立場的なものを「わかっている」人は、文句ばかりで働かない。特に一人の人が、パートに悪態をつく、指示がないからと仕事を投げ出す、その他諸々オンパレードで、もともと悪い雰囲気がさらに悪化して非常に雰囲気が悪かった。

このとき私はサブマネくらいの立場だったので、マネージャーが休日の時は一切を取り仕切っていた。そんな日、寿司パートの女の子が血相を変えて私のところに来て、「●●さんがえらいことやらかしている!」と泣き喚いた。
何が起きたのかとそこへ行く途中に聞くと、●●氏は、スーパーなどで売っているお寿司の「添加物などが書かれたシール(いわゆる裏貼り)」を、『めんどうくさいから』という理由で貼っていなかった。

これがどれくらい問題かというと、保健所案件である。表示不足、意図的とみなされたら表示不正ということで業務改善報告書作成(多分マネージャーか俺の仕事)、下手すれば営業停止案件である。

ちなみにこの数年前、この百貨店本店では、パック寿司の消費期限改ざんが発覚し、営業停止処分で新聞沙汰となり、その時のテナントは退店ということにもなっている。食品の表示とはそれだけの重要な意味がある。

事態を飲み込んだ俺は●●を怒鳴りつけた。すると●●は、「そんなことやってられっか!」と怒鳴り、そばにあった箱(発泡スチロールで、魚が入ってたやつ)を投げつけてきた。

そこで、自然と右ストレートが出た。

●●は怒鳴り散らし、「訴える!」とか「言いつける」とかわめいたが、俺は冷静に(?)切れながら「自分がやるべきことやらないくせに何言ってんだ!」と糾弾した。そんなときにタイミング悪く食品部部長が通りかかり、いったん他の部屋で話を聴くということで、俺と●●は収容された。

で、この時の決着としては、俺が殴り返されることで部長がことを収めた。なんでそういう理屈にされたのか全く理解できなかったが。場合によっては部長が首が飛ぶかもしれなかったのを救ったというのに(まあ俺も飛んだかもしれませんが)。

この後何が起きたかというと、売り場の人が話を聴いて、動いてくれるようになった。みんなが助け合って、よくないところはすぐに相談してくれて、問題を明確することになった。そして、解決のためにそれぞれが考えるようになった。鉄拳がそういう動きを生んだとは言わないが、「悪いことそのままにしていても仕方がない」という気持ちになってくれたのだろうか。広い意味で、共助・互助の動きが芽生えた。そこから私が異動するまでの2年間、常に予算は達成していた(鮮魚売り場で平日でも1日180万くらいの恐ろしい金額であったにも関わらず、だ。)
魚の職人さんの多くも非常にそれから親身になってくれ、そこで得られた知識は現在でも、水産業や流通にかかわる私の大きな財産だ。


時は流れあの時から16年くらいたった先日、友人の言葉でこの一連の流れを思い出した。

そして、その時ふと「自助・共助・公助」の言葉が頭の中でつながったのだ。

② 公助とは何か

自助・共助・公助とは、定義としては

【自助(個人)
自分で自分を助けること。自分の力で住み慣れた地域で暮らすために、市場サービスを自ら購入したり、自らの健康に注意を払い介護予防活動に取り組んだり、健康維持のために検診を受けたり、病気のおそれがある際には受診を行うといった、自発的に自身の生活課題を解決する力。

互助(近隣)
家族・友人・クラブ活動仲間など、個人的な関係性を持つ人間同士が助け合い、それぞれが抱える生活課題をお互いが解決し合う力。
相互に支え合うという意味では「共助」と共通するが、費用負担が制度的に裏付けられていない自発的な支え合いであり、親しいお茶飲み仲間づくりや住民同士のちょっとした助け合い、自治会など地縁組織の活動、ボランティアグループによる生活支援、NPO等による有償ボランティアなど幅広い様々な形態が想定されます。

共助(保険)
制度化された相互扶助のこと。医療、年金、介護保険、社会保険制度など被保険者による相互の負担で成り立ちます。

公助(行政)
自助・互助・共助では対応出来ないこと(困窮等)に対して最終的に必要な生活保障を行う社会福祉制度のこと。公による負担(税による負担)で成り立ち、区が実施する高齢者福祉事業の外、生活困窮に対する生活保護、人権擁護、虐待対策などが該当します。(以上、たまたま出てきた東京都板橋区HPより)】

となる。ここで見る限り、公助とは「最終的な支援」であり、それは継続的・永続的な支援ではないように見える。

しかし、先の営業支援部の●●のように、いったん会社の中で出世ルートから外れた人には何が必要なのだろうか。おそらくそれは、「仕事さえ選ばなければ(=会社の都合でいろいろなところに行かされる)、最低の時給は保障する」ということのような「公助」でなく、別のスキルを磨くことのできる「リカレント教育」を充実させることと、そのための時間を割くことができるように会社が手立てをすることが「公助」なのだろう。そしてそこには、【自発的に自身の生活課題を解決する力】、すなわち「自助」があることが条件となる。

生活保護、セーフティーネット、高齢者福祉事業、人権保護、どれももちろん必要なものだ。ただ、それを拡充させることが必要なのだろうか。漏れ出る人が今の世でも多いことは分かる。

しかし、必要なのはこれにさらに、貧困困窮から抜け出るための手を差し伸べることだ。そういった支援をする団体は枚挙にいとまがないが、『その団体への支援』が少ないこと、その支援方法に限界があったり、支援方法が間違っていることもある。このへん、かつてIT会社の取締役として、「職業訓練」に関わっていた経験もある私は痛感している。国から指定された訓練条件が厳しすぎたり、あるいは表面上なことしか教えられないようなカリキュラムだったり、その人の特性に合わないコースだった場合やり直しがきかない等、、、必要な手がどうしても中途半端になってしまう苦い思いを何度もした(計算が皆目苦手な人にプログラミングを教えるのは至難の業である。せめて、そういった基礎学力訓練のコースがあればいいのだが、当人たちはその必要性に気が付いていない)。

そこで支援が終わってしまうと、せっかくの当人たちの自助の努力が報われないし、さらに閉じこもってしまう。そうなると、その人のためにまた「生活支援などの公助」が必要になってしまう。これは悪循環以外のほかでもない。


③ 共助が働く仕組みづくりと地方創生

私が現在の地方創生で抱いているのは、様々カタチを変えつつも、東京圏一極化は相変わらず進んでいるし、地方はどんどん死んでいる、という実感だ。そして、その「地方の死」を防ぐために、東京からせっせとお金を運んでいるに過ぎない。傷口はぱっくり空いているのに、輸血だけどんどんしているようなものだ。しかもそのシステムを作っている(≒傷口を放置して輸血を運ぶ)のは、東京のコンサルタントや地方の人たちそのものだったりする。

しかし、まちづくり、地方創生とはとても大変だ。一人一人の努力なしに達成できない。そこには「共助」の精神と仕組みが必要だ。ただ、そうやって「みんなで頑張ろう」という雰囲気になると、少なからず「フリーライド」の問題が出てくる。

上記のタニ氏の内容とは少し異なるが、フリーライドは問題を生むが、それ以上に地方のまちづくりで問題なのは、「頑張った人が報われない」というところにある。つまり、頑張っても最低時給にも満たないお金にしかならない、もっと言うとそれすら入らないことが多い。そうして人は少しずつ離れていく。共助の仕組みが崩壊していく。自助として頑張ろうという人も現れなくなる。結果、その地域は「補助金」という名の「公助」を当てにする。「公助」が無ければ成り立たない、という地域や団体はそこら中にある。特に商店街とかだ。自助をあきらめた人に対する公助は何も生み出さない。

そういった地域や団体はただの生ける屍である。公助を貰った分頑張りました!というアリバイ作りの活動が東京のコンサルタントによって生み出されるだけである。ただ、その活動の絵を描いているのはほかならぬ当該自治体だったりするのだが(それで選挙の票になると思っている首長、議員も存在する)。

地方創生で必要なのは、『この事業を手伝う(共助)ことで、自分自身の生活にも金銭的精神的にプラスになる(自助)』という流れを『明確な形で』達成することであり、またその事業を自分自ら投資してやろうという意識がある人たちだけで進める環境を『フリーライド的な人や悲観的な人に周りに邪魔させない(公助)』&『チャレンジする人に必要な支援を行う(公助)』という仕組みである。「自助・共助・公助」とは「自分が活躍できる環境を創ること、環境を共に作ること、環境を活かすこと」なのだ。

ワークショップやコミュニティデザインといった手法は、地方創生のスタートとしては役に立たない。取り組んだらカネ(もしくはそれに準ずる何か)になる!という仕組み・骨格がない場合において、ワークショップは結局マーケットリサーチも何もない「願望・空想」企画の集まりしか出てこない。マーケット需要がなくなって絶滅した地域の食文化や伝統野菜や、製品づくりの実績もないのに地域特産物を創ろうとして無茶な商品企画をしてしまう。そういうことではなく、ビジネスセンスがある人のみで先ずは骨格としての「お金が生み出される仕組み」をしっかり作り、関わった人たちに正当な対価が払える状況までして、それがどう地域に波及できるか、考えていくほうがいい。広げる際にはワークショップが有効的なこともある。

よくあるのが、特定の場所や施設の活用のため・地域の特産品を活かした商品開発のためのワークショップだが、たかが素人がその場で考えたアイデアで売れるものができるならマーケターは苦労しない。補助金を使うための口実でしかない。そうではなく、お金が本当に設けられそうなマーケットリサーチにこそ資本を投入し、無いならあきらめる。あるなら、それを有志でお金が回るまでもっていき(自助)、その上で回りがサポートできる適切な組織化、制度化を設計し(共助)、一連の流れを回すための適切な支援を行政などが見守り、助言をする(公助)が必要なのだ。いきなり公助から始めると、仕組みがいびつな形でしか生まれないのだ。

私は今年、2件の地域において、自分も相当の労力(お金はない!w)を投じて、その骨格作りにチャレンジする。最初はアドバイザーとしての関わりであったが、ここは本格的にやりこんでいいような匂いしかしないので。

先にコンサルの話をしたが、これから地方に関わる人は、純粋培養のコンサルタントはお呼びでない。ビジネスをやる体制と知力を持っていて、最初はアドバイザーとしてかかわりながら(最低限の公助)も、そこでやる気のある人と結託して、アドバイザー任期後にその人たちと事業を立ち上げ(自助)、それが地域の人にとって必要なものだと認識させ、地域の人たち同士で頑張って回せるようになる(共助)。関係人口、逆参勤交代、、、多くの「東京目線の地方創生」に別れを告げ、地域の中でお金を生み出すことに全集中するべきである(これが言いたかった)。

ちなみに逆参勤交代の理屈で私が間違っていると思うのは、地方で必要なのは売り上げを「ちゃんと」上げよう、経営を改善しようとする経営者の意識と能力が低いことの問題もあるが、これを乗り越えれば、地方の企業の仕事を都会の人が副業・複業として請けて東京(や他の都市)で活動し、お金を儲ける、ということの方が圧倒的に地方にとってプラスになるのである(実際それを私はやっていて、某関東圏地方の食品会社の売上、3億円程度をつくっている営業の仕事をしている)。東京の会社の仕事を地方でやる、という、ごく一部の人しかできない「ワ―ケーション」を考えるのではなく「地方の人手不足の仕事を都会の人が行ってその人も地方も稼げるようになる」ことをするほうが早い(というかパイがでかい)。その結果、地方での雇用や事業承継に必ずつながるはずである。(ETICさんがやっているGYOSOMONをもう少ししっかりと形にしたイメージ)
https://www.projectdesign.jp/201909/nextstep-localinnovation/006821.php

【地方の課題解決やベンチャー育成でローカルイノベーションを興す】というが、これが成功している例はウルトラマンのようななんでもできる優れた人的資本に依拠しているばかりだ。ウルトラマンたちは何人もいない。
地方の課題解決は地方の人が力を取り戻しつつ行うことが必要だと確信している。その過程でローカルイノベーションが起きればいいが。ローカルイノベーションが必要だとして地方に都会からの人を送り込むのが目的化してしまっている。その手法で行ってきた協力隊などの仕組みが想定以上の効果を生んでいるかの検証もされていないのに。

アドバイザーとしてある程度来てくれるウルトラマンは、地域の人が自分で怪獣を倒せるようになったら、故郷へ帰っていくものである(下記の動画を貼りたかっただけのためにこの文章を書いているといううわさもある)。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm25273239


私が取り組む地方の話、これは短くて3年くらいかかることなので、私としては「本年の目標」としてお正月に掲げるというのではなく、いつもの投稿として記すだけである。新年に決意を新たにすることの余裕などない、日々一つ一つの問題に立ち向かう、しがない実業家なので。

そういえば、高校時代剣道部でウルトラマンみたいな気合の声をするって後輩から言われてたことがあったな。


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