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陰謀論に陥らないために

先日、Twitterを開いたら、柴咲コウさんが「種子法廃止」について、発言をされた。この緊急の時期なのに、国は急いでこの法案を審議も十分にせず通そうとしていると。

柴咲さんがTwitterでこのような発言をするようになったのかー、と香ばしく見ていたが、あまりに多くの数の方が賛同しているのを見て、自身の記事「種子法廃止の誤解と農業の問題」をぶつけてみた。何人かは見当違いの反応が来たが、柴咲さん本人からの反応はない。そりゃそうか。

しかし、多くの人が「国会・政府の陰謀」を信じるのはなぜだろうか、というのをマーケティング的に考えてみた。


①人は自分にとって都合がいいものをチョイスして信じる

 身もふたもないことだが、人は自分にとっても甘い。自分の考えを批判的に検証することはむつかしい(自分もそうだ)。ただ、これは自分の身に非常に厳しい跳ね返りがあることを考えるべきである。たとえば、競馬をするときは、「この馬が来る!」と信じて買う(多くの人間からの経験則だが、、、)。『あの馬が先行してバテる』『馬場が悪いからあの馬は苦戦する』。事実ではあるが、それが本当に起こりうるのかわからないことを挙げていって、それを信じる。もっといえば、プロ野球の開幕前順位予想で、『あの投手とあの投手とあの投手が15勝して、あのバッターが3割35本HR打って、、、』と予想する。それぞれの投手やバッターはそれだけの「力、もしくは実績」はあるが、それが今年も実現するかはわからない。その程度の「都合のよさ」が多い。
 ではその「都合のよさ」がなぜ生まれるのかというと、基本的にはその分野に関して「知っている」「分かっている」という「思い込み」があるとみる。すなわち、先の種子法に関していうと『農業は苦しい状況である』『モンサントは、農薬とそれに耐性を持つ種子を販売しようとしている』という『事実』である。それを好意的に解釈するか批判的に解釈するかである。しかし、私の記事を読んでいただければ分かるように、日本の農業の問題は種子法だけではない。むしろ、種苗法によっていくつかは解決される(もちろん完ぺきではないが)。モンサントの戦略は確かにそうだが、それによって日本の農業は潰れない。潰れるとしたら、今回のコロナ19の影響で、収入が激減するほうが危険性が高い。そういったことも『事実』であるが、それをチョイスすることはない。なので、この手の「種子法廃止」でSNSで騒いでいる人は、ほぼ農業のことは知らない人なので、農家本人、もしくは近い人からの指摘に対抗することはできない。


② そもそも政府を信頼していない

マーケティング的にみるとこのポイントは非常に深い示唆を与えてくれる。インフルエンサーとは真逆のことだ。『この人が言うことは、何であろうと信じない』という心理状況だと分析する。

※たまに本当のことを言っても信頼されない図

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しかし、政府は、政治家は国民を「騙している」のか。しかし、騙しているのなら選挙で選ばなければいいのである。しかし、相も変わらず自民党は政権に居続けている。
 そりゃ、いろいろ「騙している」と思われても仕方のない政権運営もあるが、森カケ桜のように、首相の全責任であるかというとそこまででもないような枝葉末節の行政不祥事までひっくるめて「騙している」というのは、政治への関心が逆にないものだといわれても仕方がないのではないか。

 この心理状況だが、結局は『「自分が(安倍政権はうそつきなのに政権にいることが)気に入らない」状態であることが許せない』というところなのだろうと思われる。こうなると、心に強いバリアが張られてしまい、そのバリアを外すためには、一つや二つの正しいことがあろうと覆すことには至らない。これはだれしも小さいころからどこかで経験があるのではないか。少なくとも筆者にはある。しかし、先にも述べたように、それは自分の考えを客観的に検証できなくなることでしかない。


③ では、どうしたら信じてもらえるのか

人の疑念を容易に説く方法が産まれたら、人類にとって本当にうれしいことだろう。しかし、そのためには「あなたは間違えていた」という認識をさせることから始まってしまう。優しい言い方をしても、「あなたはもっと知るべき事実を無視してきた、知らないで発言していた、誤解していた」などの、ある程度非を認めてもらうことが必須となる。
 となると、多くの人がそれは拒否反応を示すことだろう。『自分の非を認めることは立派な大人』という人は多いが、実際自分はできないのである。そうでなければ、「一切語らない」ということしかない。相手が過ちを認めたら嵩にかかって攻めたてるのが人間というものである。自分から「過ち」を認めた時どのようになるかは自分が一番よく知っている。また、もし自分が誤っていたとしても、「マスコミが」「あの人がそう言った」などのすり替え、転嫁になることは目に見えている。
 早い解決をするには、唯一にして最悪ではあるが、ある手段はないわけではない。「放置」という手段だ。何も解決しないという突込みがあるだろうが、「信じてもらえるようにする」には、おそらくその人との関係性から日々のコミュニケーションの量から何もかも見直したうえ、間に立つ人の努力を相当に必要とする。しかし、疑念はマグマのように人の心理の底に横たわったままだ。解消するということはほとんどの場合、無い。無いから、諦めてしまおうという方が早い。
 マーケティング的には「ターゲットにPRを集中する」ということになろう。ターゲット外の人にコストをかけるより、ターゲットの信頼性を増すことが大切だ。しかしこれを政治の世界でやられると、与党は支持者向けに政策を練り、野党は、与党の批判をすることでその支持者の不安感を掻き立てて自党の支持を固めようとする(立「件」民主党は極めてこの方法をとるが、やり方が拙いので、カルト信者は固めているが、無党派層を取り込むことに成功していない。無党派層はどうしたら自党を応援するようになるのかと考えなければならないのに、心理的ニーズを汲み取ってない。彼らはマーケティングが分からないのだろう)。
 もちろん裏技はある。その人が信じていたものが消え去ることだ。その時に巨大な喪失感とともに、静かに、自分が信じなかったところの主張の流れに身を任せるようになる。ナチスドイツ後やカルト宗教、ネットワークビジネスなどが崩壊した後の人などにこの様子は見て取れる。しかし、そういう人が本当に「都合の良い信心」をする人ではなくなったのかはわからない。
 なので、私は、少しでも多くの「厳然たる事実」を多く集め、「説得力を磨く」という、ベタで、最も効率の悪い、でも最高の解決法を進めていきたいと考えている。でもたまに厳しい言葉遣いをしてしまうくらい人間ができていないのだが。
        (厳しい言葉遣いをしているイメージ)

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