不登校、家での孤独……人が苦手だった中3の男の子が「食」を通して見つけた“自分のテーマ”とは
家庭でも学校でもない、第3の居心地が良い場所「サードプレイス」。
そこは、子どもたちが親や教員、友達とも違う人たちと出会い、さまざまな価値観や可能性にふれられる場所。やりたいことが見つかったり、自分の良さに気づくことができたりなど、子どもたちの世界が広がる場所でもあります。
カタリバではこれまで20年間、子どもたちのためのサードプレイスと、親や教員(タテ)や同級生の友だち(ヨコ)とは異なる 「一歩先を行く先輩とのナナメの関係」を届けてきました。
子どもたちがどのようなきっかけで「サードプレイス」に来て、どんな経験をし、何を見つけたのか。これまで出会ったたくさんの子どもたちの中から、特に印象的だったエピソードをご紹介します。
人前でうまく話せないことがきっかけで小学3年生で不登校に。働く母の代わりに家事を
「たくまさん(仮名)と初めて会ったのは、彼が中学3年生のとき。とにかく人が苦手で挙動不審という印象でした。スタッフが挨拶をしても言葉に詰まって固まるばかりで、実年齢よりずっと幼く見えました」
そう語るのは、カタリバが運営する「放課後の居場所」のスタッフ・ゆかさん(仮名)。「放課後の居場所」はその名の通り、放課後になると子どもたちがやって来て、少し年上の先輩たちや他の子どもたちとおしゃべりをしたり、勉強をしたり、ご飯を食べたりするサードプレイスです。
ゆかさんは、たくまさんが「放課後の居場所」に来た当初から、ずっと彼を見守ってきました。
たくまさんは小学2年生のとき、緊張から人前でうまく話せないことをクラスの男の子たちにからかわれるようになり、小学3年生から不登校になりました。
それ以降、昼夜問わず働くシングルマザーの母に代わり、たった1人で家事を担ってきたたくまさん。外出もほとんどしなくなり、たくまさんの孤独はどんどん深まっていきました。
中学校へ進学してからも学校を休みがちで、たくまさんはどんどん勉強についていけなくなるように。そして中学3年生のとき、「今のままでは行ける高校が1つもない。定時制高校も無理だろう」と心配した担任の先生が、「放課後の居場所」で学習支援を受けるよう提案。たくまさんは高校受験が目前に迫った中学3年の10月、「放課後の居場所」を訪れました。
受験を乗り越え、食事のあたたかさを知ったとき、大きな変化が。「自分も誰かの役に立ちたい!」
「放課後の居場所」を訪れた中学3年の10月は、高校受験まであと少しの時期だったので、すぐに学習支援がスタートしました。
同学年の生徒5〜6人が1クラスになり、数学や英語を集中的にレッスン。同時に、中1レベルの問題から振り返り、取りこぼしてきた部分を1つ1つ理解していく授業が続きました。
勉強以外の時間は、スタッフとカードゲームなどをして遊び、夕方になったらスタッフと生徒全員で食事。しかし、たくまさんは他の生徒たちとコミュニケーションをとろうとはしませんでした。
「同学年の子たちから話かけられても、答えることができないんです。その様子は、人が嫌いというより怖いという感じでした。
でも、食事はただ『おいしいね』『あったかいね』って言い合うだけでコミュニケーションになる。しかも、美味しいものを食べると、心も体も幸せになれる。
そんなあたたかい時間を重ねていくうちに、たくまさんも少しずつみんなの輪に入るようになっていきました」(ゆかさん)
学習支援や食事支援を受けてから4カ月が過ぎ、たくまさんはなんと、第1希望の都立高校にみごと合格!すると、たくまさんに変化が現れました。
「 “放課後の居場所”のスタッフに、『スタッフって楽しい?』『なんでこの仕事してるの?』とぽつりぽつり尋ねるようになり、少しずつ人と関わることに興味をもち始めたんです。
するとスタッフは口をそろえて『楽しいよ!』『毎日おもしろい』と回答。彼は“楽しく働いている大人を初めて見た”とすごく驚いて、『僕もスタッフになりたい』と言うようになったんです」(ゆかさん)
その想いはその後も変わらず、「誰かの役に立ちたい。特に小さな子どもたちを支えたい」という発言をよくするように。
高校2年生になってすぐのある日、 “放課後の居場所”のスタッフで、近所に子ども食堂を立ち上げる準備をしていたあきとさんが、「子ども食堂でボランティアしてみない?」とたくまさんに声をかけました。
「やります!」と即答したたくまさん。高校に通いながら、放課後は子ども食堂のスタッフとして活動し始めました。
本当は全部やめちゃいたい。そんな彼を救ったのは、スタッフのある一言
毎日、学校が終わるとすぐに子ども食堂に駆けつけて積極的に活動していたたくまさん。すぐにあきとさんの右腕のような存在になりました。
すると今度はゆかさんが、たくまさんにある提案をしました。それは、「高校生が自身の取り組みを発表するイベントで、子ども食堂での活動を発表してみては?」というものでした。
他のスタッフからもすすめられ、たくまさんは参加を決意。「放課後の居場所」のスタッフに伴走してもらいながら、発表の準備に取りかかりました。
テーマは「食」。不登校気味だった小・中学生の頃、たくまさんは常にひとりで食事をしていました。コンビニエンスストアのお弁当を買うことも多く、レンジで温めても、その時間は冷えびえとしていて寂しかったとのこと。
しかし、「放課後の居場所」でみんなと食事をするようになり、初めて「ご飯って楽しくて美味しい」と知ったと言います。その経験から、子ども食堂の手伝いを始めたこと。さらには「自分と同じような境遇の子や困難・不安を抱えている人に寄り添いたい」と思うようになったことを発表しようと考えました。
「ただ、それを人に伝えるには、不登校の理由や家庭の状況、自分が抱える対人不安などと向き合い、言葉にする作業が必要です。それはとても勇気がいりますし、実際、辛い作業だったみたいで……。発表に向けたミーティングを無断欠席するようになったんです」(ゆかさん)
そんなたくまさんを変えたのは、子ども食堂を一緒にやってきたあきとさんの言葉でした。
「子ども食堂で活動していることを発信したいと言っていたよね。そのミーティングに行かないということは、どうでもよくなったってこと?だったらもうやらなくていいよ!」と激しく怒ったのです。
一喝され、涙をボロボロこぼしたたくまさん。「本当は全部やめちゃいたいけど、何かを長く続けたことが自分にはないから、ここでやめちゃダメだと思うので頑張ります」と言い、再び発表準備に取りかかりました。
「あきとさんが突き放すような言い方をしたのは、それだけ彼を信頼し、真剣に彼のことを思っていたから。たくまさんもそれをわかっていたから、やめずに頑張ったのだと思います。
今でもたくまさんは『あのとき、あきとさんが怒ってくれたことが一番うれしかった』とよく言うんですよ」(ゆかさん)
初めて自分の個性が認められた。過去は「足枷」ではなく「自分の力」
いよいよイベント当日。今も人前で話すのが苦手な彼にとって、大勢の知らない人たちの前で発表すること自体が大きなハードルでしたが、「放課後の居場所」スタッフと何度も練習を重ねたことで、落ち着いて発表をやり切ることができました。
すると、彼の発表を聞いた多くの人から 『良い発表だった』『すごいね君!』と声をかけられたのです。
たくまさんにとって周りの人から評価されたことはもちろんうれしいですが、それよりもうれしいことが。それは、自分で自分の環境を認め、受け入れることができたことです。
それまでは人前でうまく話せないことや不登校、家庭の問題などを、自分の「足枷」と感じていたたくまさん。でも、それらがあったから自分なりのテーマを見つけることができ、マイプロジェクトアワードで発表できたと気づいたと言います。「足枷」が「自分の力」へと変わった瞬間でした。
「彼にとっては “自分ならではの活動や想いが認められた”初めての経験でした。彼はそのことをすごく喜んでいましたし、誇りに感じていました」(ゆかさん)
現在、たくまさんは教育学部で勉強する大学2年生。現在の夢は「放課後の居場所」のような施設を立ち上げることで、そのために子ども食堂での活動を今も続けています。
たくまさんは最近、地域の自治体や教育関連の施設などを訪ね、いろいろな人と会って子ども支援についての会話を重ねているそうです。
「中学3年生のときには挨拶すら返せず、人を怖がって避けていたたくまさん。たった4年でこれほど変わったことに、本当に驚いています。子どもたちのもつ強さや可能性を、彼が身をもって見せてくれているように思います」(ゆかさん)
※個人の特定を避けるため、一部フィクションが含まれています
-文:かきの木のりみ