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夜遊び、高校中退。学校にも家にも居場所がなかった女の子が出会った “サードプレイス”

子どもの頃、学校や家庭とも違う「第3の居場所(サードプレイス)」があれば……と思ったことはありませんか? 

カタリバではこれまで20年間、子どもたちのためのサードプレイスや、親や教員(タテ)、同級生の友だち(ヨコ)とは違った“一歩先を行く先輩”との「ナナメの関係」を届けてきました。

その中で感じるのは、サードプレイスは親や教員、友達とも違う人たちと出会い、さまざまな価値観や可能性にふれられる場所であるということ。やりたいことが見つかったり、自分の良さに気づくことができたりなど、子どもたちの世界が広がる場所でもあります。

子どもたちはどのようなきっかけで「居場所」にやってきて、そこで過ごす時間の中でどんな経験をしたのか。これまで出会ってきたたくさんの子どもたちの中から、特に印象的だったエピソードをご紹介します。

中1で「高校進学は難しい」と言われるほど勉強が遅れていた女の子

さゆりさん(仮名)が初めて「放課後の居場所」に来たのは、中学1年生、13歳のときでした。

カタリバが運営する「放課後の居場所」はその名の通り、放課後になると子どもたちがやって来て、少し年上の先輩たちや他の子どもたちとおしゃべりをしたり、勉強をしたり、ご飯を食べたりする場所です。

さゆりさんは勉強が大嫌いで、特に数学は正解したことがほとんどないというくらい大の苦手。担任の先生から「今のままだと高校進学は難しい」と言われるほどでした。

そこで、シングルマザーで塾へ通わせる余裕のなかったお母さんが、さゆりさんの勉強を見てほしいと「放課後の居場所」に連れてきたのです。

明るく活発で人見知りをしないさゆりさんは、「放課後の居場所」のスタッフや子どもたちに自分から話しかけ、すぐに打ち解けました。特におしゃれと音楽について話をするのが大好きでした。

そんなさゆりさんの様子が大きく変わったのは、中学3年生になってすぐの頃でした。

学校にも家にも居場所を見つけられず、夜遊び、そして補導……

「さゆりさんはバスケットボール部に入っていたのですが、チームに上手くなじめず孤立し、けっきょく部活を辞めることに。同じ頃、お母さんが仕事で知り合った男性と交際をし始め、次第にさゆりさんを家に残して出かけることが増えたんです。
『学校にも家にもいたくない』と言って、繁華街で遊ぶようになりました」

そう語るのは「放課後の居場所」スタッフのまいさん(仮名)。10人ほどいるスタッフの中でも、さゆりさんは特にまいさんを慕っていて、いろいろなことを相談していました。

さゆりさんは繁華街で遊ぶようになってすぐ、少し歳上の不良グループと親しくなり、夜遊びにのめり込んでいきました。深夜に補導され、お母さんが呼び出されたことは一度や二度ではありませんでした。

「昔からおしゃれが大好きな子でしたが、どんどん派手になっていきました。クラスメイトはほとんど進路を決めていたのに、さゆりさんは進路選択ができていませんでした。その焦りや不安、いろいろなことへの不満やストレスを吐き出すように、カラコンを入れてつけまつ毛をして……メイクもどんどん濃くなっていきました」(まいさん)

学校も家も嫌い!でも「放課後の居場所」に来ることはやめなかった

学校や家を嫌い、夜遊びを繰り返していたさゆりさんでしたが、そんなときでも「放課後の居場所」には定期的に顔を出していたそうです。

さゆりさんのお気に入りの場所は、自習室横の休憩スペース。退屈そうにソファに座っていると、必ずスタッフの誰かが「どうしたの?」と声をかけてくれます。話したいことや聞いてほしいこと、相談ごとがあるときは、そうやって休憩スペースのソファに座るのがさゆりさんの習慣でした。

「見た目がどんどん派手になるにつれて、“放課後の居場所”に来ることが増えました。それだけトラブルや悩みが増えていたのだと思います。特に友達に話しづらいことを誰かに聞いてほしいとき、大人のアドバイスがほしいときなどに頼ってくれることがよくありました」(まいさん)

「放課後の居場所」のスタッフは、「子どもへの理解を深める機会にしていただければ」「家庭で困りごとがあったときにいつでもSOSを発信してもらえれば」という想いで、子どもたちの様子をご家庭に伝えることも。さゆりさんのお母さんともこまめに連絡を取り、さゆりさんの様子を伝えています。

その一方で、さゆりさんがお母さんに話しづらい「進路」や「恋愛」などの悩みは、共有するタイミングや内容を考慮し、親子関係が悪化しないことも大切にしています。

「さゆりさんもそれをよくわかっていて、だからこそ信頼して頼ってくれていたのだと思います。その証拠に、さゆりさんのお母さんとは頻繁に連絡を取り合っていましたが、さゆりさんから『なんでお母さんに話したの!?』と文句を言われたことは一度もないんです。
彼女の携帯にもよく電話をかけますが、着信拒否されたことはありません。夜遊びの最中でも必ず電話に出て 『今遊んでるからそっちには行けない』と正直に言ってくれます」(まいさん)

「放課後の居場所」はさゆりさんが何をしても、何を言っても、変わらずにありのままのさゆりさんを受け止めてくれる場所。そして、いざとなったら頼り、助けを求められる場所。そういうスタッフや居場所に対する信頼感が、これまでの時間の中で育まれていたのです。

高校中退。でも、パティシエになる夢だけは忘れたことはなかった

高校受験直前に「放課後の居場所」で集中授業を受け、どうにかギリギリ公立高校に合格することができたさゆりさん。高校入学後も、「放課後の居場所」へ通い続けました。しかし、その後も夜遊びはおさまらず、遅刻を繰り返す日々。

ついには単位が足りなくなり、なんと高校1年の3月、学校を中退することになりました。中退後はフリーターとしてアルバイトを始めたことで忙しくなり、不良グループとは自然と疎遠になって夜遊びも減っていきました。

「一度社会に出たことで、初めて学び続けることの意味や大切さを感じたようでした。中退して半年くらい経った頃、 『パティシエになりたいんだ。高校を卒業しないとパティシエの専門学校に入れないから、定時制高校に入り直したい』と相談しにきたんです。彼女なりに将来のことを考えていたんだと知りました」(まいさん)

実は中3の頃から「将来はパティシエになりたい」と言っていたさゆりさん。当時はまだ真剣には考えてはいなかったけれど、高校中退という現実を経験し、フリーターとして働くことの厳しさを痛感して、昔からの夢だったパティシエに再挑戦したいと考えたようです。

「定時制高校に入ると決めてからは“放課後の居場所”に通い詰めて、勉強を教えてもらったり自習室を利用したり。高校入試のときとは別人のように、真面目に積極的に勉強していました」(まいさん)

そのかいあって、定時制高校に合格。すると今度は「早く専門学校に進学して働きたいから、高卒認定を取りたい」と言い出し、再びまいさんをはじめカタリバスタッフが勉強をサポート。高卒認定を1回で取得し、予定より1年早く専門学校へ進学しました。

「この頃にはお母さんへの態度も変わりました。パティシエになりたいという夢を自分からお母さんに話し、学費や奨学金などのことをお母さんと相談して決められるようになったんです。お母さんが学費を出すと言ったら『ありがとうございます』って頭を下げたと聞いて、大人になったなあと驚きました。
お母さんもさゆりさんの夢を全力で応援していて、今ではとても良い親子関係を築いているようです」(まいさん)

荒れたときには派手で濃かったメイクも、いつの間にかナチュラルメイクに。もって生まれた顔立ちを生かすメイクをするようになったさゆりさんからは、自信が溢れ出ているようでした。


定時制高校への入学以降、「放課後の居場所」はさゆりさんにとって「夢を語る場所」になったそうです。

「私ね、 “一生通いたいと思えるカフェ” を作りたいの。子どもの頃からずーっと通い続けてもらうことで、人生をともにしたいと思ってて。よぼよぼのおばあちゃんでも1歳の子でも大歓迎だし、美味しいお菓子やケーキを食べたり私と話したりすることで元気になってもらえたらうれしいな。誰でもいつでも来ることができて、いろんな話をすることで元気になって帰っていけるような、そんなカフェを作りたい」

目を輝かせながらそう話すさゆりさん。そのカフェはどこか「放課後の居場所」のような、サードプレイスを思わせるものでした。

今、彼女は専門学校の2年生。自分の理想のカフェを目指して、道を切り拓き続けています。

※個人の特定を避けるため、一部フィクションが含まれています


-文:かきの木のりみ


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