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見ないという選択

新ドラマのシーズンになると初回はひと通りチェックします。どんなお宝が転がってるかわかりませんしね。

でも無理はしません。興味を持てば次回も見るけど、持てなければ初回で終了。なんせ同時期にたくさん始まりますから。どんどんふるい落とさないと時間がいくらあっても足りない(スタートずらせばいいのにね)

ものによっては初回さえ全部見ない場合があります。ひどい時は5分で終了とか(ホントひどい)

理由はいろいろです。リアリティーないとか既視感あるとか主人公のキャラがどうもとか。要は自分の好み。合わないと思ったら即決です。

その判断は大抵ハズレないんですが、たまに失敗します。あとで詳しく聞いて「すげー面白そうじゃん」「見逃しちゃったじゃん」とか。

それが余程だったり、さらにチャンスあれば再挑戦しますが、ほとんどの場合は諦めます。縁がなかったんだと。ドラマに費やす時間はそんなないし。

まぁその程度なんですね。特別ドラマ好きというんじゃない。

そして他人の評判をあまり気にしないとこがあります。好みってホントいろいろですから。大好評だった映画を見ても全然ハマらなかった経験が結構ある。何度挑戦しても最後まで見れない映画、どうしても途中で寝ちゃう大ヒット映画が2本はあって、感想を聞かれると困るんですよねぇ。

そういう時は「最後まで見れないんですよぉ」と言います。最後まで見てないんだからそのぐらいしか言えません。

それだって「途中で寝ちゃう映画」ってのは言わずもがな、悪評に繋がりかねないから自分が悪いように言う。「どうしても寝ちゃうンスよねぇ、エヘヘヘ」と自虐的に。

「それ見てないんですよ」で誤魔化せればいいんですが、「見てない」というのも興味ない、面白そうに思えない、と受け取られかねなくて、「ナニ流行りに乗らないメンドイ人?」と自分のことを思われるのはまぁいいとしても、その映画にはやっぱりマイナスかなぁとか。そんな嘘つくのもなぁとか。

とにかくちゃんと見てないんだから評価はできない、感想を言う資格はないと思ってます。「面白い」にしろ「つまんない」にしろ評価を下すって相手にとっては大変なことですから、それなりに礼を尽くさないと。作る側はこっちよりずっと労力使ってるんだし。

それはドラマについてもそうで、しっかり見ても自分が見誤るかもしれないのに最後まで見てないんじゃどうこう言えない。「最後まで見れなかった」ぐらいが限界でしょう。それだって気が引けますが、事実は事実だから。

で、これは地上波でなくネットの動画配信の件ですが、最近の若者は映画やドラマを倍速で見たりスキップしながら見るらしい、と聞きました(「最近の若者」なんてすっかりお年寄りじゃん!)

これについて映画やドラマの関係者、映画好きドラマ好きの人たち、そんな視聴スタイルに馴染みがない世代(などなどの勿論一部)は「それどうよ?」と異を唱えたようなんですが、自分なんかは「見るだけいいかな」と思ったりします。ほら5分でやめる人だから。

でもその視聴スタイルで言える感想は、やっぱり「倍速で見た」「飛ばしながら見た」どまりかなぁと。製作者が「完成形」として差し出したものをちゃんとは見てないんで。

勿論その見方は自由だし、倍速やスキップの機能が配信サービスにあるんじゃ「あれば使うよ」とも思う。

ただ「金を払ってるんだしどう食おうと勝手」というのはアリでも、「まずいと思ったんだからやめとけやめとけ言ってもいいじゃん」というのはね。自分の味覚が絶対じゃないし。バカ舌かもしれないし。しかも早食いだし。

内輪で文句も言えないんじゃ娯楽としては廃れるかもしれないけど、せいぜい会話、消えてなくなる世間話ぐらいにしよう、とは思います。ネットのような残る場所ではよそうと。どんな影響出るかわかんない。それが最低限のワキマエで、それを越えちゃったら自分のミスだなぁと。

ま、そんなお説教ぽいことは置いといて(置いとくんかい)それより不思議なのは「見ないって選択肢はないのかな」と。ほら5分でやめるから(シツコイ)スキップしたり倍速で見るくらいならよせばいいのに。

味見なのかな? とは思います。ツマミ見して「面白そう」となればしっかり見るのか。でも流し見で先を知っちゃったら面白くなくなるねぇ。

あるネット記事だとあらかじめ先を知りたいって若者が多いらしいです。フィクションでそんな感情を揺らされたくないと。ハラハラドキドキやショッキングな展開はいい、あらすじを読んででも心の準備がしたいと。

これはなかなか大変な毎日を送ってるのかもしれません。毎日は平凡で退屈で心を動かされることが少ないからフィクションを求めたりするんですが、心を動かされるのが嫌ってよっぽど普段いろいろあるのかも。

確かに近年のパンデミックや戦争は疲弊します。それに対してできることがあればやるし、最大限やってるつもりでもどうにもならなさそうなのがしんどい。フィクションをまともに受けつける余裕がない時なのかも。若者は特に。

かく言う自分も「今この状況で物語?」という疑問があっての、このエッセイかもしれません。物語そのものを書くのは中断し、「物語について」を書いてる。

まぁ自分のことはさて置き(また置くんかい)若者のそんな視聴スタイルは誠実さの表われかもしれません。こんな時にどっぷりフィクションにつかって心を動かす方がどうかしてる、と。

でもだったら「見ない」という選択肢はあるんですよね。どうにも気が乗らなきゃ「見ない」という自由はあるのに、そうでもない。完全に拒否ってはない。無理して見てる?

先に書いたネット記事の続きでは、若者の経済的な事情が書かれてました。例えば今の大学生の仕送り額の少なさ。それでやりくりできる娯楽が定額制の動画配信サービス。さらには無料の動画サイトもあってコンテンツの量は豊富、恵まれてる。仲間と話題を共有するにはスキップでも倍速でもとにかく急がないと間に合わない。なるほど!

確かに「それ見てないんですよね」じゃ会話になりません。「5分で終了した」じゃドン引かれる。ともだち減る。

でも無理して興味ないのを見るのはしんどいスねぇ。話を合わすのにそこまでしたくないなぁ(だからともだち減る)

だって楽しくないですよね。少なくとも趣味じゃないでしょう。別のエッセイでチラッと書きましたが、趣味って他人に左右されないもの、他人は無関係なものと思います。誰がなんと言おうとやめられないのが趣味。

よく思うのが無人島でもやるかどうかですね。服を集めるのが好き、いろんな服を着るのが趣味、と言うなら「それ無人島でもやりますか」と。誰もいなくても着たい集めたいというなら本物でしょう。本当の趣味。

誰が聞いてなくても楽器を奏でたい。その音色に酔いたい。勿論一日中それを続けたいわけじゃないけど、時々演奏したくなる、というなら間違いなく趣味。

一輪車などは交通手段としちゃ非力だし効率悪く、バランスも大変でそれを「乗りこなせる」という満足、「すごい」という周囲の称賛あってものじゃないか。いやいや無人島でもたまには乗ります、乗りたくなります、というならその人にとっては本物の趣味。

そういうものだと思うので、駆け足の視聴は無理してるようでちょっと同情します。他人との交流が最重要だとしても、楽しんでなかったらロスだなぁと。

まぁとりあえず合わせる、とにかく受け入れる、という時期も大事かもしれません。自分も昔「名作」と呼ばれる映画をたくさんレンタルしました。しかし細かな内容は憶えてません。残ってない、ということは当時からつまんなかったんでしょう。それでも名作は押さえておかないと「通ぶれない」という見栄だったんだと思います。そんな時期が自分もありました。

たいして面白くもないのを見る。友人と感想を言い合う。それで友人と自分の違いを知る。自分を知る。たくさん見るうち自分の好みがわかってくる。

好みが固まれば自然と受けつけなくなるのかもしれません。ちょっと見ただけで違うとわかる(ハズレる時もあるけど)

その受けつけないこと、拒否ることも時には大事かなぁと。

例えば自分などはここ10年以上、他人の小説を読んでません。それは何より他人が書いたものじゃ楽しめなくなったからですが、読めば影響されるというのもあります。根がお調子者なんで。

小説を書きはじめた時はそれまで読んだものの影響が多大でした。そればかりだったかもしれない。当然ちゃ当然ですが、まず努めたのはその影響を取り除くこと、染み込んだ様々を削ぎ落すことでした。

小説でいまだ使われる書き言葉「~である」「~であり」「~であった」などを使わないようにしたのもその1つ。普段そんな言い方しないでしょ、と。書き言葉と話し言葉は違うんだから(そもそも分けられてるのは違うからで)当然ですが、そういった違いや気取りがリアリティーを削ぐし読者との距離を作る気がして、「自分がめざすのはそれ?」と自問を繰り返しました。とにかく引っかかること、不自然と思う点を1つ1つどうすればいいか試行錯誤し(今もしてます)でも他人のものは一切参考にしなかった。自分に正直になろうとしただけです。

なので自分の小説と類似のものがもしあっても、「偶然ですね」と言い切れる。「たまたまでしょう」とそこは胸を張れます。だって読んでないんだから。

オリジナルとか個性というのはそのぐらい排他的なもの、孤立してやっと出せるものかもしれません。視野は当然狭くなるでしょうし(だからあんまり売れないのかも、読まれないのかも)褒められたものじゃないかもしれない。

でも無理をやめるので楽は楽です。見たいものしか見ない、関わらない、コメントしない、というのは自己中だけど快適な選択で、そういうのもアリ、あるよ、という老婆心です。エラそうスね。失礼。


物語についてのエッセイ・目次

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