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片岡三果をつくったもの 2

noteの更新はどうぞごゆっくりお待ちください。


前回の「片岡三果をつくったもの」は絵本をご紹介しました。

https://note.mu/kataokamika/n/n25aa5110cbd0

まだまだわたしをつくりあげた絵本はたっくさんあるのですが、続くと絵本特集になってしまうので今回は何にしようか頭を悩ませた次第です。


大人になってから影響されたものも数多くあります。

ですが、幼少期に焦点を置いたところ、これかなと感じました。

音楽です。(今回とても長いです)

産まれる前のきおく

音楽とくくってしまうと、大きすぎてあれもこれもとなってしまい、収集がつかなくなってしまいますが、

わたしがお腹にいた頃の胎教は「サウンドオブミュージック」でした。

(のちにわたしは2017年にサウンドオブミュージックを辿るオーストリアはザルツブルグの旅をします)


お腹の中の頃のことを覚えているのか!?と思われるかもしれませんが、かなり幼い頃にも紙にペンでわたしはお腹の中の様子を描いて親に見せていました。

(その様子が事実かどうかはわたしの中で完結しています…☆)

わりと幼少期の記憶も断片的にですが残っていて、わたしの両親が様々なことに熱心に、広い目で芸術に近しく育ててくれたことは今にも影響していると感じています。


今回は音楽のお話。

胎教はまぁ置いておき、わたしは幼稚園の時に習い事の選択をせまられました。


人生初の習い事。

ひとつはピアノ。ひとつはバレエ。

習えるのはどちらかひとつ。

当時のわたしは悩んだのか、即答だったのかは定かではありませんが、ピアノを選びました。


↓5歳なので年長さんのときの写真ですね。

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(ちなみにスイミングも習っていましたが一向に泳げず。腕にヘルパーを付けて水嫌いでした。ベビースイミングも行ってくれていたようですが、母の努力の甲斐虚しく。中学の誕生日にはクラスの友人たちに隣町の上尾市民プールに連れられ平泳ぎをレクチャーしてもらっていました…なんという誕生日!しかし泳げません。高校は美術クラスでしたが、プールのない学校でしたのでラッキーでした!泳げないので基本プールは好んで行きませんが、浮き輪で浮いてるなら好きです。泳げませんが、シュノーケリングはできます。30分や1時間浮いてられます。でも浮いているだけで泳げません。息継ぎができません。中学の水泳テストではクロールで蹴伸びと息止めバタ足で25mなんとか頑張りました。息継ぎすると水飲んでアウトです。…もう泳ぎの話はいいですね…)


↑かなり脱線しましたが、わたしは園内のヤマハピアノ教室に通い、CMで見るあの曲ももちろん歌っていました。(ドレミファソーラファミーレードーってやつ)

そこでリズム感も養われたのか、お遊戯会でも踊りも上手になり、複数人いる泉の精役でもセンターになりました。今でもメロディー覚えてる。「澄み切った青空のように 綺麗な冷たい水 泉は揺れる りんりん りんりん りんりん」的なかんじでした。

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そんな恩恵を地道に受けながら、小学校になると家の近くのカワイ音楽教室へ。

家では電子ピアノを母が買ってくれ、教室ではグランドピアノという鍵の重さのハンデがありながらもピアノ教室は12年ほど通いました。


こういう習い事には発表会なるものもあり、わたしも小学生高学年の時にやりました。

曲は バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第1巻プレリュード1番 ハ長調

https://youtu.be/sOYXQoMz7Gk

曲は単調ではありますが、いろんなところで使われたりするので知っている人も多いかも。

流暢にピアノを奏でる自信は今はありませんが、それでも指は覚えています。

出だしの部分くらいなら譜面なくても今でもさらっと弾けるくらいに、当時はこれでもかこれでもかと練習しました。

発表会の日はちゃんとおめかしさせてもらって。

この頃からプレッシャーには弱いが「本番には実は強い」というミラクルが続きます。

(ビックカメラ等のトークショーも実は毎回緊張しています。。。またまたぁ!と言われたりしますが、毎回ドキドキです。)



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ピンボケてるけど好きな写真。引越しを何度かしまして、今はこのピアノありません。。。

ピアノを演奏するのも好きだったんですが、わたしの家のピアノには白鍵と黒鍵に番号が付いていて、再生モードにするとそれぞれ割り振られたクラシックな楽曲が聴けたんです。

黒鍵はもちろん、ショパンの黒鍵のエチュードです。

https://youtu.be/OKhh6y-V4FM

右手の動きが大変なことになる曲で、間違えてデモ再生してしまった日にはとてつもなくビクッ!!としていました。聴けばわかる。

このデモ曲たちはピアノ購入時に全て楽譜が付いていたので、バッハの平均律もその中から選んだので先生に会わない日はこれ聴きながら練習していました。いま思えばなんて効率の良い練習の仕方!電子ピアノナイス!


そんなこんなで通っていたピアノ。

わたしにとって音楽は日常でした。

少女、和太鼓も嗜む。

そして音楽の域での話で言えば、わたしは和太鼓もやっていました。

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こちらは最初は地域の祭り太鼓。写真は4歳。

毎年夏になると練習に通い、地域のおじさんに優しく楽しく教えられ、小学校高学年の時には櫓の一番上にのぼって盆踊りに合わせて祭り太鼓を奏でました。

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3歳の時は浴衣で楽しんでいました。

母がフランクフルトの看板の絵を描いていて、その看板の前で法被を着ている父と。若いなぁ。

祭りが好きなんだぁ!!!

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ほぼ毎年お祭りの時は法被をきて太鼓を叩いていた気がするけど、この浴衣は亡き祖母が買ってくれたもの。でもあまり着られなかったように思います。写真に収められていて良かった!


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7歳の時の写真もありました。面影ないかもしれませんが、ばっちり笑顔がわたしです。私服の子達は子供はあがって叩いていーよ!的な感じ。法被の子は練習していてリードできる子。


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9歳の時もピンクのはっぴ。大雑把に年代ではっぴの色が変わりました。


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6歳の時。太鼓だけでなく、子供神輿を担いでわっしょい。近所の人から頑張れ!と水をかけてもらっています。後ろに小さく写っていますが、大人神輿も。大人神輿は父も参加していました。父もわたしもお祭り大好き。地域イベントは積極的に参加し、それを母がたくさん写真に撮ってくれていたんですね。ありがたいなぁ。

この写真は、このnoteに以前も書いた祖父母の遺品から。ハガキに写真を貼って祖父母に送ったものです。(レヂナ写真はがき。当時のですが「規定により40円で送れます。」と記載あり。今年10月からハガキは63円に。時代を感じますね。ちなみにハガキに写真を貼る際は全面密着させていないとダメです。厚さがあると手紙扱いになることもあります。)



かなり脱線していますが、もう少しお祭り話を。


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10歳になる頃には法被は念願の青に。大人に憧れていたので、ピンクじゃなくて早く青いはっぴが着たい!と思っていたことを強く覚えています。


それから中学生あたりから、祭り太鼓だけでなくもっと太鼓を叩きたい!と思い、伊奈備前太鼓という郷土太鼓のチームに参加し、自転車30分かけて通い、祭りのゲストや地域のイベントに呼ばれて叩いていました。

多分探せば写真どこかにある…

大人と一緒に一列になってズラリと並ぶ太鼓を叩く。時には隣の太鼓に一斉に移動してというパフォーマンスもあり、複数の太鼓の音はズシンと心臓を響かせて音の素晴らしさを体感できる。


YouTubeって便利ですね。。いまの伊奈備前太鼓さんの動画がありました。

https://youtu.be/vj_NyfNTEUU

懐かしく、あぁわたしこれ、リズム覚えてる。。と懐かしくなりながら涙が…。


お祭り太鼓と備前太鼓。合わせてこちらも12年ほどやってました。


和太鼓はほかの楽器とは違う良さがある。楽器を演奏していても魂に響くのだけど、和太鼓はよりズシンと響くのです。

きっとDNAに大和魂というか、お祭りの魂が叫ぶのかもしれませんが、太鼓には不思議なチカラがあります。


今でも太鼓を叩きたいなと思いますが、郷土太鼓はチームワークで練習するので決まった日程になかなか時間を確約できない生活なので寂しいところです。

いつかまた太鼓叩きたいなぁ。。。


祭りつながりでいうと、花笠音頭を体育祭で学年で踊る際、踊りを先に覚えてみんなに教える係もしました。ボール紙と花紙で花笠を作って踊るんですが、腰を入れてしっかり踊っていました。わりと同級生は恥ずかしがって適当にやるところなんですが、生粋の盆踊り好きだったので本気モードでした。今でも少し覚えているので踊れます。


(こんなに踊り好きなのに、なぜかハレ晴レユカイはなんとなくこんな感じ?くらいにしか踊れません…ごまかし踊り。。)


中学校の部活のおはなし。

そして中学の部活動では吹奏楽を。美術部も良かったのですが、美術は家でもできる。(と思い。当時の夢は漫画家でしたので、小学校の時は漫画部にいました。)

体験入部は色々いきました。

女子テニス→ラケット重くて無理

剣道部→やりたかったのに、竹刀が重くて早素振りができなくて断念。

基本的に運動は走るくらいしかできなかったので(のちにリレーの選手や駅伝大会に出ます。)

当時「L×I×V×E」っていう吹奏楽ドラマをやっていて、しかもわたしの大好きだったSPEEDの2人が出ていてタイムリーだったんです。
SPEEDのCDはシングルもアルバムもソロもほぼ全部持ってます!初めて自分で買ったCDはSPEEDの「ALIVE」。アンドロメディアという映画の曲にもなりました。


わたしは島袋寛子ちゃん(hiro)が好きだったんだけど、絵理子ちゃんが担当していたフルートに一目惚れ。

体験入部から入部、全部の楽器を試してもやはりフルートが一番。

なぜかクラリネットだけ吹けなかったけど、他の木管金管楽器打楽器は一通りでき。

第一候補フルート、第二候補サックス、第三候補パーカッション(打楽器)でエントリーし、先生や先輩の前で吹くテスト。(フルートとサックス希望者が多かった)

ここでも本番に強い力を発揮し、見事学年二人しかできないフルートを専攻することができました。

基本的に楽器は高いんですが、なんとフルートの人だけは楽器が自腹購入…

他の木管金管はマウスピースといって、楽器本体の口に当てる部分のマウスピースが分離し、その部分のみ各自購入。

フルートもあの一本は3分割に分かれるんですけど、マウスピースのみの別売りが無いんです…


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描いてみました。分かるかしら。

まぁ、口をつけるところはやっぱり衛生的にも自分のものが良いよね。ちなみにもっと短く、そして高い音が出るピッコロはフルートと指使いも形状も一緒なので「ここはピッコロが要る!!!」というここぞという部分のみフルートは膝においてピッコロも吹いちゃうという兼任だったんだけど、これだけは学校の持ち物で歴代誰が使っているかわからないのでなかなか使うの憚られましたね…。

厳密には口全体ではなく、下唇の下側を接触させるんですけどね。


仕方がないので(希望のパートになれたのだから仕方ないなんてゆったら落ちてしまった人に失礼ではあるのだけど)貯めていたお年玉でヤマハの安いフルートを買いました。これが人生で最初の高い買い物!(のちにカメラというもっと高額なものをどんどん買うことになるとは…)

それでもたしか7万前後。中学生の買い物では高い!!!

のに、先輩たちからは「そんなに安いフルートで大丈夫なの?壊れない?」とめっちゃ言われました。。。先輩たちはミヤザワというブランドの高いフルートでした。。でもフルートで生きていくわけではないので良いの、と言い聞かせました。(先輩も相方も高校でもフルート続けていました…!)



吹奏楽に入りたい!と思ったのは、小学校6年の時かな?に、中学の吹奏楽の人たちが来て演奏してくれたんです。中学校で待ってます!的な催し。(わたしもおなじように小学校に演奏しにいきました。)


その時に感動したんです。生演奏って心痺れる!って。

ピアノもやってたし、音楽続けようと思うのは自然なことでした。(再三ですが、絵を描くのは家でもできる)


中学校1年生の夏は入りたてなので吹奏楽の大会には参加できないんですが、パーカッションが人手不足でわたしともう一人のフルートの相方の二人は期間限定でパーカッションに参加していました。

でもわたし、夏休みのプール学習でビーチサイドですっ転んで左手を骨折してしまったんです…。あれはとても悔しかったです。先輩にも迷惑かけちゃいました。本当は行く予定じゃなかったプールだったのにとか、あの転んだのは巻き添えくったからとか、いろいろあるんですけど、、、結果がすべて。大会にわたしは出られませんでした。


そして、秋の学校の音楽祭だったか、、、その時に全校生徒の前で初めて演奏した曲が吹奏楽3年間で一番思い出に残っています。


The Last to Defend(最後の砦)です。

上のリンク↑で譜面が読めます。フルートは上から2列目。

中学校1年の時の顧問の男の先生は壮大な曲を好んでいて、選ぶ楽曲がかっこよかった。ネクタイピンはトレードマークのメガネだった。指揮をしていて色んな話をしてくれるとき、音楽が好きなのが伝わってきて、授業も「カウントダウンTV」を観て現代の音楽の流行を勉強!とか、ちょっと面白い内容もあったり。

シューベルトの魔王とかは日本語版の息子の声マネとかをしてくれたりと、なにかと印象に残る授業の数々でした。

その先生は2年時に転勤してしましました。。

(次の先生はディズニー系が好きでわりとポップな曲のチョイスでした。)



どの先生から教えを受けるかって、とっても大事です。


吹奏楽の時に体感した、演奏開始前の緊迫した空気。

指揮者がスッと指揮棒を挙げた時に演奏者が楽器を構える空気音。

演奏中にハーモニーが奏でられる時のなんとも言えないゾクゾク感。

演奏しながら高ぶり、涙が出そうなほど、この音は私たちが一体になって演奏しているんだ!という実感。


中学生の他の部活動は夏の大会で引退ですが、吹奏楽だけは秋の運動会の行進曲演奏をもって引退でした。

だもんで運動会3年間入場行進は演奏する側。

他の部活より、後輩たちと青春をちょっと長めに謳歌できていました。


そして卒業式は別れの歌や君が代とうは演奏する側から演奏を送られる側に。ここでボロ泣きです。そしてさらにわたしたちの代の生徒会会長が良い奴で、登壇で代表の言葉中に男泣きするもんだからみんな号泣。わたしも床がびっちゃびちゃになるほど泣きました。本当にいい卒業式でした。(高校は残念ながら感動皆無でした。。)


そんなこんなで吹奏楽でフルートは3年。

在学中は高校も吹奏楽!と思っていましたが、入学した高校は野球部が強く、甲子園わりと常連でその際吹奏楽も遠征にバスで同行したり(車酔いするタイプ)お金もめちゃくちゃかかる!とのことで、帰宅部で。私立なのでちゃんと学校に申請出して、公認でマクドナルドでアルバイトをして携帯代や日々の出費などに充てていました。(マクドナルドについてはまた今度いつか。。)


それ以降楽器と過ごす時間は無くなりましたが、

そのかわり音楽を聴く事が生活の中でとってもとっても大事なことになっていきました。


長くなりましたが。

と、鬼のように長くなってしまったので一旦ここまで。

「片岡三果をつくったもの 2 音楽」は

演奏者としての音楽とそれにまつわるお話でした。


長く、そして脱線もしましたが、見てくださってありがとうございます。

次回は音楽の続きにするか、はたまた別のジャンルで続きはまたの機会に回すかは考えておきます…!!


それでは。。また。片岡三果でした。


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