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冒険に行くかのように、仕事を語る。【はたらくってなんだろう?】

こんにちは、カタカナと申します。

尊敬してやまない元上司がいます。

私はその方に、色んなことを教えていただきました。

できないと決めつけずに任せ切る勇気。
夢の語り方。冒険にいくように働く大人がいるんだということ。
そして仕事はサイコーに楽しい瞬間がある、ということ。

今日はその方に教えてくださった大切なことについて、お話させてください。

1. 言うなれば自虐的で、人間不信の塊だった私


それは私が新卒一年目の終わり頃。

その頃、私は同期の中でも出向、異動が多く、どの部署でも仕事ができない、だめな新人でした。

ベンチャー企業なので全社的に異動は多かったのですが、私は「自分は不要だからすぐに異動する」と思い込み、人間不信で、警戒心丸出しで、チームに馴染む努力すら、もうやめていました。

なので、新しく来たその上司のことも、最初は全く信用していませんでした。関わり合いにならないようとしてたら、隣のデスクに上司が来ることに。私を監視する気か、と全身から殺気を出して睨み付けました。
そんな私を見て、上司は私の隣の席に座り、開口一番、こう言いました。

「そのガムまだ入ってる?ちょうだい」

眠気覚まし用に買っていたボトルガム。反射的にどうぞ、とボトルを渡しました。思ったより量を取られて、何だこの人、と思いました。

思ったより取られたので、次の日は新しいのを買ってデスクに置きました。するとまた、眠いからガムちょうだい、という声がけが。毎日、ガムちょうだい攻撃が続く。数日たってついに、ちょうだい、の一言も言わず勝手に食べている上司に、流石に文句を言うと、上司はいたずらっ子のように笑って言いました。

「すまんすまん、でも変な遠慮はいらないと思ってさ。お前は俺のメンバーなんだからさ」

私はびっくりしました。それ、上司が言うとパワハラじみてるぞと言うツッコミと、お前は俺のメンバー、という一言に。
被害妄想が酷かった私は、「あなたもすぐにきっと私に失望して異動させますよ」と、思わず返してしまいましたが、上司はケラケラ笑い飛ばしました。

「そんなことしないよ。お前は本当はできるやつだから、大丈夫、大丈夫。絶対に仕事楽しくなるから、こっからだよ

何を根拠にそんなことを言っているかわかりませんでしたが、そう言えばこの人、こんなどうでもいい用事で、だけれど、毎日必ず話しかけてくれるな、とか、まだ何もできてないのに大丈夫だなんて言ってくれるんだ、とか、ほんの些細なことが、私のトゲトゲした心を少し、丸くしてくれました。

私が心を許した距離だけ、ボトルガムの位置はじりじりと上司のデスクのほうに近づいて行くようになりました。少しずつ、少しずつ。

最終的には二人のデスクの境目に置かれ、ボトルガムは「共有財産」扱いになりました。


2. あなたは逃がしてくれない。でも絶対に見放さなかった

本格的に上司と仕事をするようになり、私は自分の仕事の出来なさを、上司に目一杯露呈し続けました。
相当扱い辛く、これまでの上司ならとっくに見放すレベルの生意気な物言いやミスを繰り返しましたが、私は新しく来た上司のことを、甘く見ていました。

「納得していなくてもいいからやれ、走りながら考えろ」「違う、思考して仕事しろ」「この状態で見せに来るな、もう一度やり直せ」「お前の仕事だろ、お前の意志を反映したプランを作れ」

これまでは「もういい、こっちで巻き取るよ」と、私の仕事のできなさにあきれた歴代の上司は私の仕事を巻き取ってくれていましたが、今回の上司は全く巻き取ってくれない。5秒資料を見ただけで「思考が浅い、整合性が取れていない」と突き返し、やり直しを命じる。絶対に逃がしてくれない。

悔しかったのは、上司が指摘してくれたところは、自分でもそのおかしさが理解できたことです。

これまでは巻き取ってもらっていたため、何がおかしかったのかわからないまま何か月も経っていたことにも気づきました。だから、質問が頓珍漢になったり、同じミスを繰り返していたんだ。そう思うと、やり直しをさせてくれることは、とてもありがたかったです。

しかし、ある時、私の資料の提出が「今日中に出します」と約束したがために、本当に今日中の23時過ぎに上司に提出をしたことで、ある問題が起きました。

上司は23時過ぎに資料を確認し、フィードバックとともに「何時までにできる?」と問うてきました。私はとっさに、午前2時までには…と返して、眠くて仕方がない中、修正をしましたが、午前2時に間に合わなかった。「じゃあいつまでだ」と聞かれ、午前3時までには…と返し、また修正をし、午前3時に提出したものに「こことここが水準が違う、目的から考えろ、思考しろ」と突き返され……。

「もう私にはできません。申し訳ありませんが、あとはお願いできませんか、そのほうがクライアントにとっても、私なんかが作るより、よっぽど良い提案ができると思います……」

あまりにも辛くて、弱音を吐く私に、上司は間髪を入れずに返しました。

「できるかできないか、決めるのはお前じゃない。この時間が無駄だ、いいからやれ」

何様だと、私は殺意を覚えました。歴代の上司にこんな感情を抱いたことはありませんでした。しかしプレゼンの時間は刻一刻と近づいてくる。私は何も言わずに、怒りで震える手を押さえ、資料を作成しました。

結局資料が仕上がったのは、翌日の昼間。プレゼンの1時間前。家にも帰れず、ボロボロの姿で資料を印刷し、私は仮眠をとろう…とぼんやりしていると、上司からおーい、と声をかけられます。

「プレゼンのここのパート、喋るの任せた!

え?

私は新卒1年目。そもそも、プレゼンで喋ったことなんてほとんどありません。だから、アポイントに同行するつもりもありませんでした。
無理です、と言おうとした瞬間、上司はあの憎めない、いたずらっ子みたいな顔で笑い、大丈夫!と大きな声で私の背中を叩きました。

「お前が意志を込めて作ったプレゼンだ、お前が一番いいプレゼンができるに決まってる! お前がクライアントのことを一番考えただろ? だったら絶対にできる。だから、絶対に大丈夫!」

できる、絶対にできる。そう連呼し、気合いれていくぞ!とはしゃぐ上司を見て、私はなんだこの人、と改めて思いました。
世界で一番殺したいと昨晩思っていたのに、なんで今、眠くて吐きそうなのに、私はこんなにも心臓がどきどきして、わくわくしているんだ。

私はクライアント先に行く道中、ひたすらタクシーの中でプレゼンの内容をブツブツ口に出して叩き込みました。上司は度々「1ページにつき、伝えたいことは1つに絞る」「説明に詰まったら、要はこういうことです、と先に結論を言う」など、プレゼンのコツを教えてくれました。

直前は「もうだめだ」と吐きそうになっていたのに、いざクライアントの前に立ち、プレゼンを始めると、私は妙な昂揚感に包まれました。

私の考えたこと、資料に込めた思い、すべて、うんうんとクライアントが目の前で頷きながら聞いて、読み込んでくれている。

自分の言葉で作った資料だから、自分の言葉で語れる。まるで自分のことのように、クライアントの未来を語れる自分がいる。

プレゼンが終わり、「とてもわかりやすく、考え込まれた提案をありがとうございました」とクライアントから笑顔で言われた瞬間、私は思ったのです。

仕事って、こんなにも嬉しくて、楽しいものだっけ?

ちらりと横を見ると、上司はにんまり笑いました。小さく親指を立てて「よくやった」と私を称えてくれました。

3. 冒険に行くかのように、仕事を語る

私の当時の仕事は、BtoB領域のコンセプトメイク、デザイン制作などが中心でした。上司は私とよくマンツーマンで仕事をしてくださり、たくさんのことを教えてくださいました。

例えばさ、この企業がすっごい頑張ったら世界はどう変わると思う?

上司はよく、プレゼン準備をはじめる最初のMTGで、そのような話をしました。私は事前に調べた企業情報、経営計画、採用情報などを頭に叩き込み、例えば、と上司と議論を始めます。

この企業のこの技術がより広まれば、きっとこれまでの常識は覆る。人の生活は変わり、より人間らしく、自分らしく生きられる未来がやってくる。それを実現できる基盤も企業として持っている。

でも、そんなこと、この企業自身が今発信しているメッセージじゃ、伝わらない。そんなの、あまりにも、もったいない。

「なぁ、もったいないよな!この企業の可能性に気づいちまった俺たち以外の誰が、それを伝えられるっていうんだ? 俺たちがやるしかないだろ!

世界変えようぜ! 上司はそうやって、私達の仕事を、まるで冒険に行くかのようにワクワクした顔で語ります。本当ですね、と私も、同じようにワクワクした気持ちで、仕事をするようになりました。

上司からはたくさんのことを教わりました。

できないと決めつけずに任せ切ること、冒険にいくかのように仕事を語ること、仕事はサイコーに楽しい瞬間があること。
ボトルガムちょうだい、の一言でもいいから、毎日話しかけ、笑いかけてくれる人がいるだけで、世界は少しずつ優しくなること。

それは仕事内容が変わっても、会社が変わって元上司という関係になっても、どれだけ離れても、変わらず私の中に燈る光として、ずっと私を支えてくれています。

きっと、死ぬまで忘れないです。

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