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「愛と性と幻」をカタカムナと日常から 性での潤いがお金も潤う

ディープなキス
その続きを知っている。

「性を売っているのかな、売りたくないな・・・」
カムウツシの男性を目の前にそんな言葉がこぼれた。



セックスレスとは


結婚し専業主婦となった。
遠距離恋愛からの引っ越しと同時に勤め先を辞めた。
タイミングよく勤められ全てに恵まれた環境でのお仕事だったが、辞めたかった。

故郷を離れた仲間とは、なりたい姿をずっと語っていた。
その仲間のうち、誰もが「まさか」という、私が一番に結婚をした。

仕事で活躍することを諦めた。と私は思った。
活躍することを夢見る仲間の中では「脱落者」と思いながら仲間に報告すれば、意外にも「羨ましい」という声が返ってきて驚いた。

婚姻届を出し、遠距離から解放された2人。とにかくセックスを惜しみなく楽しんだ。そしてすぐにお腹には赤ちゃんが宿った。

元夫はとにかく優しかった。出勤を見送り家事をこなす。洗濯をし、彼の大きなパンツを干す時になんともいえない幸福感に、自然にニヤけた。家事を終えれば彼の車で買い物に出かけた。今まで私の小さな車を運転していたけれど、彼の大きな車での運転に嬉しく誇らしく感じた。「ちょっとだけ借りるね」とそんな気分で乗せてもらってた。

皮肉ではあるけれど、25年後、その大きすぎるパンツを干すことが怒りになっていた。2人で購入した車は、彼の横暴な運転に助手席には乗ってなんかいられない!と、どちらも運転席を望むようになり別行動となった。

婚姻という枠組みは、夫とのセックスは当たり前。セックスレスになってからの夫婦生活は、お互いがお互いを檻に閉じ込め、ささくれだっていた。

性の潤いとお金の潤い

結婚当初の優しさは、セックスを通した喜びあうことと関係していたようにさえ思う。

セックスでの潤った夫婦生活は、家計も潤っていた。セックスレスと同時にごく自然に家計から潤いは消えた。

その変動に気づき、性生活を戻すよう一日頑張ってもみた。たった一日だけれど頑張れば、私の小さな起業に今まで覗くだけの彼が営業し始めた。

とはいえ、家計のため?自分の起業のため?に頑張る性生活は一日が精一杯だった。

なりたい夢を追った仲間たちも、私の結婚の後、すぐに結婚が決まり子供に恵まれた。高級住宅地に住む友人。突如旦那さんから離婚を迫られた。幼稚舎から、すでに大学まで決められたルートの子供たちと家を放り出された。彼女は、その後すぐに婚活に走った。

ワンルームには暮らせない、独身時代の実家から送られた小麦粉を大切に食べた日々には戻れないからという。

また新たな婚姻の中ではじまるのは、性生活なんだろうと想像してしまう。


性を売る


性と家計の潤いの経験は、目の前に現れたアマウツシの男性に戸惑いが浮かんだ。

アマウツシの男性は、服を着たエネルギー交流以外に私の純粋なお仕事の成果に対しお金を支払った。とてもありがたかった。同時にディープなキス、そしてまだ訪れていない続きに、浮かぶ戸惑い。現実のお金とは全くの別とわかっていながらも、嘘がつけず目の前のアマウツシの男性にボソリと呟いた。

「性を売っているように思う」。

黙っていても良かった。

口に出た言葉に私も驚いたけれど、淡々としたアマウツシの男性が微妙に興味を示したのを感じた。

その後、ちょっぴり私にとっては痛い言葉で、アマウツシの男性から返ってきた。

痛い言葉が返ってきたことで深く「性を売る」の言葉に向き合った。この言葉は、目の前のアマウツシの男性に向けた言葉ではない。結婚と性での、これまでの全ての疑問がこの言葉に含まれていたのだろう。

結婚と性とお金

今晩いくらね。
今月はこの価格。

などとそこに対価は生まれてなく
自分を犠牲にして対価をいただくわけでもない。


セカンドヴァージンとは

「性の解放」こそ、セックスでの自らの喜びがエネルギーを発動させている。

愛し合うことのエネルギーが
お金の「潤いのスイッチ」を押すエネルギーになるのだろう。


・・・・・・

学生時代、変わった男子が告白してきた。
あまりの大胆な好きアピールに、周りの友人たちは大笑いしていた。

が、大人になり子育ても終盤、笑い飛ばしていた仲間たちと。
また当時を思い出し、変わり者の彼を笑った。

そして

「でもさ、彼、駅前の一等地に住んでるよね。資産を考えちゃうわ」
と静かに一人は言う。

愛、好き、恋、そして「お金」も絡むのが、セカンドヴァージンなのかもしれない。

ただ、決して口に出すものではない。
が、口に出せる相手に出会えることが、セカンドヴァージンへの醍醐味なのかなと思う。

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