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昔のアメリカ製ゲーム『Myst』感想

 昔、アメリカからの移植で発売されたアドベンチャーゲーム『Myst』に夢中だった頃があります。

 調べてみると、一昨年前にリメイク再販されていたようです。


 グラフィックは、当時もこれくらい美しく、臨場感と没入感がありました。

 小説でもそうなのですが、作り込まれた背景世界やそこから生まれる独特の世界観は、没入感を高める働きがあるそうです。

 私は『Myst』のリメイク版をプレイしておらず、したがって、以下は記憶に頼っての感想となります。

 アメリカ製ゲームによくあるように、良く言えばプレイヤーの自由な想像や解釈の余地があり、悪く言えば初心者には難しい不親切なゲームとも言えるものでした。
 
 これは、同じくアメリカ製ゲームの『ウィザードリィ』や『マイト・アンド・マジック』にも共通しています。

 私は国産のRPGはあまりやっておらず、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーのようなビックタイトルもほとんどプレイした経験はありません。

 代わりにはまっていたのは、自由度の高い、しかし不親切なとも言える、アメリカで人気のゲームの日本語バージョンだったのです。

 今改めて『Myst』のゲーム情報を見ると、明確な目的は設定されていたようですが、忘れていました。

 国産のRPGで目的を忘れるのはまずあり得ないでしょう。忘れたら、精密に設定されたストーリーの意味がありません。

 おそらくは、国産の家庭用ゲーム機のRPGで人気のものは、キャラクターもそうかも知れませんがストーリーを重視しているのでしょう。

 だから、ゲームの明確な目的と、それを達成することが極めて重要になるようです。

 しかし私の記憶にある限り、アメリカ製ゲームで、本国アメリカで人気だった故に日本に移植されたゲームの重要な点は、何と言っても世界観です。

 独特の世界観。これこそが私の知る『Myst』の魅力であり、アメリカンゲームらしさです。

 細部まで作り込まれた背景世界、特有の神秘的な雰囲気とその世界への没入感。しかしストーリーはあって無きがごとし、もちろんキャラクター重視ではさらにありません。

 ストーリーもキャラクターも、その背景世界を舞台にして、自由にプレイヤー自身が想像の中で作り上げるのです。

 よく日本人は曖昧な表現を好み、アメリカ人ははっきりさせたがると言われます。これは日常ののコミュニケーションなら、その通りなのでしょう。特にビジネスの場面では、日本的な感覚では言い過ぎと思えるほどはっきりさせなければ利益を守れないようです。

 しかし、私が知る限り、ゲームでは違います。

 特有の雰囲気と世界観がありながらもストーリーもキャラクターもはっきりさせないということは、日本の人気ゲームに比べると曖昧さがあるということです。

 その曖昧さこそが自由に想像したり解釈したりする余地となっているのですが、国産ゲームに慣れた人には物足りなさや難しさを感じさせるかも知れませんね。

 でも『Myst』は、そこが良いのです。

 『Myst』はそうしたゲームなのです。若いうちから日本にいながらにして、明らかな異文化に触れられて良かったです。

 私は今でも『Myst』が好きです。私にとって、思い出のゲームなのです。

 そして、『Myst』はニュートラル型のゲームです。解決型ではありません。でも多くの人に刺さりましたし、今でもリメイクされるくらいには人気です。

 『ウィザードリィ』も『マイト・アンド・マジック』もそうです。みんな、ニュートラル型なのです。

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