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国産ゲーム『ルナティックドーン3』感想

 かなり昔にやった、初代プレイステーションのゲームです。パソコン版からの移植で、プレイステーション版は3作目と銘打ってありましたね。

 当時、このように言われていました。国産ゲーム、ここでは特に家庭用ゲーム機のRPGですが、ストーリーもキャラクターも練られていて演出も素晴らしい物が多い。しかしそれは自動的に展開するルートに、プレイヤーが乗せられているだけではないか? 

 映画やアニメならそれでいいが、ゲームならもっとプレイヤーの自由度を高くしたほうがいいのではないか?

 そんな意見が、ゲーム雑誌に載せられたのを読んだ覚えがあります。

 そんなわけで、決まったストーリーをなぞるのではなく、きちんと設定された世界の中で、自由にプレイヤーが行動や選択出来るゲームが日本でも望まれていました。

 そのうちの一つが今回ご紹介する『ルナティックドーン3』(初代プレイステーション版)です。

 自由度が高いとはいえ、アメリカ製ゲームのように最初からハードモードではなく、それなりに親切設定でした。
 
 だいたいどうすればいいのかの説明、世界観の説明はゲームの中で分かりやすく提示されます。レベルが低い段階でも、あまり無茶をしなければたやすく死ぬことはありませんでした。
 
 パッケージデザインとキャラデザインに有名イラストレーターの米田仁士氏を起用し、その点でも優しげで美しい日本のゲームという雰囲気でした。

 しかし中身はなかなかにダークな部分もありました。プレイヤーキャラクターの行動によって、ゲーム世界の様相は変化します。

 決まりを守り、襲ってきたモンスターしか倒さなければ秩序正しく平和な世界になります。

 罪のない人を襲って金品を奪うような事をしていれば、あちらこちらに強力なモンスターが湧き、世界は混沌として暴力に満ちてゆきます。もはや、戦う力のない普通の人は生きていられません。

 私はゲーム内でそのどちらも見ました。

 ゲームの中のことでしたが、自分の選択により世界が変わる経験が出来て良かったです。それはきっと今でも、私が書く物語の中に生きています。

 ストーリーがあらかじめ決まっていれば、主人公は何をしようとも正義側だけの存在です。そんなルートしかないのです。
 
 このゲームは違いました。正義側ではあり得ない行動も出来ました。そしてその結果を見届けたのです。

 混沌とした暴力の世界になっても、プレイヤーキャラクターはレベルさえ上げればどうにでもなるのですよね。ラスボスも倒して、もうどんなモンスターにも負けないようになって、でも世界は混沌としたままで、元には戻りません。もう、一般人が生きていける世界にはならないのでした。

 覇道の道を歩めばどうなるか。あらかじめ我が主人公たちには、分かってしまっています。けれど読者の目にはひょっとしたら、明確に覇道の行く末を見せなければ分からない人もいるのかも知れません。

 そんなところは、ゲーム、それも自由度の高いゲームならではの強みですね。私はそう思いました。

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