江戸時代の「これでもかリサイクル」に感激した話
今日は江戸時代のお話なので、風車を持った浪人のイラストが描かれたカードをトップ画像にしました。
この「名乗る程の者では・・・」というカードが、妙に好きなんです。
名刺として使えば、お客さまに新鮮な印象を持っていただけます。
私も時々使いますが、欠点と言えば、後で誰の名刺かわからなくなる、連絡先がわからない、ということくらいでしょうか。おススメです。
さて・・・
片付けトントンを運営する(株)中西は、もともとは「空きビン」を回収し、洗びん工場やメーカーなどに販売する「びん商」でした。
私が入社した28年前は、スチール缶などの鉄類も取り扱っていましたが、メインの商品はビン。新人だった私は、前職のペンをビンに持ち替え(ちょっと似ている)、回収の仕事を始めたのでした。
各回収場所を回って、一箱約20kgのビン120~130箱(2400~2600kg)を約3時間で手積みするのは、なかなかの重労働でした。
頑張って仕事していたある日のこと、何気なく手を見たら、結婚指輪が楕円形に変形しているではありませんか。
毎日、重い物を持っていたせいで、曲がってしまったようです。このまま続けたら、指の先に血が回らなくなっちゃう、指輪で指が切れちゃう?
パニックになって、ペンチで強引に指輪を取り外しました。
ひどいもんです。妻になんて言おう。やばいやばい。
妻の機嫌の良さそうな日を見計らって、「結婚指輪が曲がっちゃった、ごめん」と言うと・・・
「ふ~ん」
自分の指輪でなければ、全然問題なかったようです。
まあ、そんなことはどうでもいいんですが、リサイクルするものは、時代と共に変化していきます。
その後は、アルミ缶やスプレー缶、ペットボトル、プラスチック容器包装、など、いろいろなアイテムを増やしていきました。
・・・
将来、どんなものがリサイクルされるか気になるところですが、過去がどうだったのかも、調べてみたら面白そうです。
今日は、思い切りタイムスリップして、江戸時代のリサイクル事情を調べてみました。
参考書は、「江戸の卵は1個400円!~モノの値段で知る江戸の暮らし~丸田 勲(著)」です。
この本の背景は、町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1829)、江戸時代後期です。
現在の貨幣価値へは、一文=20円、銀一匁=2000円、金一両=12万8000円で計算されています。
とっかえべえ
「とっかえべえ、とっかえべえ」と呼びかけながら江戸の町を歩き、物々交換をする商売があったそうです。
【とっかえべえ】
これは主に子供相手の商売で、子供たちが拾い集めた鉄くずと飴を取り替えた。
当時、鉄くずの売買は認可制だったのですが、子どもたちが拾ってきた古クギなどと飴(アメ)を交換する、という法の抜け穴を突いた商売でした。
私たちは、鉄くずを集める仕事もしています。スタッフの給与を飴にしてみたら、みんながどんな反応をするのか、試してみたいと思いました。
スタッフ:おじちゃん、ありがとう
社長:もっと飴欲しいでしょ? また、頑張って鉄くず集めて来るんだよ
スタッフ:うん! 僕、頑張る!
ほのぼのしていて、かつ、スタッフも一段とやる気になりそうな感じで、よさげです。
みんなは飴のほうがいいかもしれませんが、正直、私は飴よりもお金のほうがいいです。
おちゃない
「おちゃない」は、幼いの幼児語ではありません。「落ちはないか」という意味です。
【おちゃない】
この言葉からどんな職業を想像するか。「おちゃない(落ちた物)はないか~」と解釈する。これは主に女性の職業で、抜け落ちた女性の髪の毛を買い集め、かもじ(今でいう部分かつら)屋に売った。
もちろん、髪を切って売った人もいたでしょう。
近年、ゆゆしきことですが、私の頭髪の量は、次第に減少してまいりました。
この貴重な髪の毛が抜け落ちた際、高値で売れるとしたら、さぞ心痛も和らぐであろうと思ったのでした(買ってくれたら、定年後の蓄えにします)。
ちなみに、スタッフが落ちている髪の毛を集めてきて、私に部分かつらを作ってくれても飴はあげません。
蝋燭(ろうそく)の流れ買い
蝋燭の流れとは、いったい何でしょうか?
【蝋燭の流れ買い】
行燈(あんどん)より多少明るいのが蝋燭だった。しかしこれは高級品で、大型の百目蝋燭は一本で200文(4000円)もして、とても庶民の手に届く価格ではなかった。その貴重な蝋燭も、灯すと蝋が流れて落ちる。この流れ落ちた蝋を買い集めて再生した。
百目蝋燭とは、1本で100匁 (もんめ) =約375グラムもある大きな蝋燭のことで、現在の値段は700~900円くらいです。
当時の百目蝋燭の燃焼時間は約3時間半。それで4000円ですから、めちゃくちゃ高いですね。
たくさん集めれば、生活の足しになりそうです。
灰買い
現代の感覚からすると、灰は処分に困りそうなゴミですが・・・
【灰買い】
かまどや火鉢の灰を買い集めた。灰は肥料や繊維の脱色、皮革の脱脂、焼き物の釉薬(ゆうやく)などと用途が広く、盛んに売買された。灰の売買で巨万の富を築いた者もいたほどだ。
灰を使うと藍染が鮮やかな色になるとのことで、灰を売買する豪商が生まれたそうです。
藍染は、普通の草木染と染め方が全く異なります。発酵という微生物の働きにより染めていく技法です。この藍染の際のポイントとなるのが、灰汁です。灰汁とは、木灰を水に浸して作った上澄液の事です。灰汁を使った藍染め液は、単なる藍染め液と比較すると、そのアルカリ性が上手く作用して鮮やかな藍の色が出ます。
藍染自体は、飛鳥時代からありましたが、江戸時代になると庶民の間で流行し、爆発的に広がっていきました。従って、灰の需要も爆発的に増え、非常に価値の高いものになり、豪商が産まれていったのです。
今は、一般家庭では、灰はほとんど出ません。
藍染には、自宅や近所の家の薪ストーブから出た灰などを使っているようです。
大家のボーナスは、意外すぎるものだった
当時の大家は、身元引受人であり、仲人になったり、もめごとの仲裁をするなど、「大家と言えば親も同然」という立場だったそうです。
【大家のボーナスは糞尿の販売代金】
大家の基本給は、入居時の礼金や家賃の三~五%だが、そのほか大きな収入となったのが、長屋の共同便所に溜まった糞尿の売買代金だ。長屋の住人の排泄物でも、所有権は大家にあったのだ。
糞尿は近郊の農家が肥料として買い付け、その額は10世帯程度の長屋で年間二両(25万6000円)程度になったという。大家は売り上げの一部で、年末には店子に餅を配るなどした。
●●●は存分に差し上げますから、現代の大家さんにも、ぜひ年末に餅を配ってほしいものです。
まとめ
この本によると、年収は、職人の中では高給取りの大工が317万円、番頭は256~384万円(豪商の番頭は除く)、下女が32万円だったそうです。
一方で、再生紙(鼻紙、トイレットペーパー)は一枚20円。木綿の古着は2000円くらいでした。
【古着】
長屋暮らしの庶民が新しい着物をあつらえることはほとんどなく、富沢町や柳原土手に店を出していた古着屋から古着を買い求めて着用していた。(中略)
この古着も幾度も洗い張りをし、仕立て直して大切に着た。(中略)大人が着られなくなると、小さく作り直して子供に着せ、それも着られなくなるとおしめや雑巾にするなど、着古しても無駄にすることはなかった。
収入に比べ、物の値段がずいぶん高かったのですね。
生きていくためには、物を大切にしなければいけない。そんな時代でした。
時は過ぎ去り・・・
現代は、物を粗末にしすぎる時代になってしまいました。こんなに悪い状態が続いていても、本当に大丈夫なのでしょうか?
もし、今の時代にお代官様が生きていたら、きっとこう言うはずです。
「お主も悪よのう」
いえいえ、お代官様ほどでは。
・・・
江戸時代をもう少し見習ったほうがいいかも、と思ったのでした。