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この自分語りに共感しないでほしい

 どんな人にも、今の人格が形成されるまでに通ってきた道のりがある。バックグラウンドというやつだ。

 その道のりは、勿論人によって違っていて、人生経験が決して多いと言えない私でさえ、いろんな道を歩んできた人を知っている。

 例えば、経済格差のどん底で育ってきた人。愛する人のために学生生活を棒に振ったのに、今は大学教授をしている人。日本人の1~2%しか持っていない能力故に、波乱万丈な人生を送っている人。

 人から見れば困難ともいえる道のりをたどり、今、何かをしようとしている人たちがいる。社会をよくしたい、少しでも優しい心を持つ人を増やしたい、楽して生きたい。必死に道のりをたどってきたからこその夢があり、目標がある。

 そんな彼らを見ると、自身の歩んできた道のりを少し呪いたくなる。別に彼らが羨ましいわけではない。ましてや、その道のりを自分が辿れと言われても無理な気がする。

 私はたぶん、割と幸せな人生を送ってきた。お金に困るような経験をしたことはないし、いじめや差別の対象になったこともない。難関校と言われている高校・大学にも入学した。できのいい子供だった。

 でも、たどってきた道のりを振り返ってみると、ただ思いっきり道を駆け抜けたことも、道から外れたことも、ちょっと変わった歩き方をしたこともなかった。

 努力しなくてもある程度のことはできた。情熱を注ぐことはなかった。自己啓発はされたっきりだった。頼れることにはとことん頼りっきりだった。出る杭になる機会は幾度となくあったが、そのたびに打たれていた。

 私は特別な道のりを歩めると信じていた。いや、今も信じている。ただ、そんな道のりは勝手にやってくるものではない。「彼ら」は自分の道のりに価値を見出したり、付与したりしているはずだ。それを怠った自分の愚かさの言い訳を、「普通の人生を送ってきたから」としているに過ぎない。

 たくさんの共感を得ているnoteや、編集部におすすめされているnoteを見た。不思議と引き込まれる文章、すてきなイラスト、私には思いつきもしない素晴らしいアイデア、どれもが輝いていた。きっと彼らも、彼ら自身がどう思っているかはわからないけれど、私から見ればすごい道のりを辿っているに違いない。

 今この文章を書いている私には武器がない。経験もない。個性もない。ただ、自身のせいで平凡なものとなっている人生を呪い、他の人に嫉妬している。

 どのくらいの人が読んでいるかわからない。どのくらいの人が共感してくれているのかわからない。どう思われているのかもわからない。

 ただ、noteを書くことで、少しでも変わろうとしている私を見て、何かを感じてくれればそれでいい。

 願わくは、誰もこの虚しい自分語りに、誰も共感しないことを。

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