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禅語を考える

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「仏に逢うては仏を殺せ」の意味

「仏に逢うては仏を殺せ」の意味

禅の臨済宗の名言に、「仏に逢うては仏を殺せ」というものがあります。このノートでは、この言葉の意味を解説します。殺せなんて、なかなか物騒な言葉ですよね。普通この言葉は以下のように解釈されているようです。

「仏というのは既成の価値観や、あなた自身の執着を表している。そんなものにとらわれていては自立できないぞ、そういう自分を縛るものを一切合切、捨て去るんだ!」と。

誤読だと思います。
なぜ、そう思う

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「日々是好日」の意味

「日々是好日」の意味

禅の言葉に、「日々是好日」というものがある。読み方だが、「にちにちこれこうにち」が正しい。が、まあ、日常会話の中では、「ひびこれこうじつ」でもいいらしい。この言葉はどういう意味か。このノートでは、この意味について述べる。以下に、二つの解釈をご紹介し、それに対するわたしの考えを述べて、最後に、わたしの解釈を示しますが、そのわたしの解釈部分は有料にしますので、ご興味のある方はご購入ください。

では、

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禅語「且緩々(しゃかんかん)」の意味

禅語の「日々是好日」にわたしなりの解説を付したnoteが結構読まれているようである。

「日々是好日」の意味

なので、調子に乗って、別の禅語の紹介・解説をしたいと思う。紹介したあとに簡単な解説を付し、さらに、その解説への批評を述べる。最後の、批評部分は有料にするので、興味のある方だけどうぞ。

今回は、「且緩々」である。「しゃかんかん」と読む。この言葉の由来と意味については、以下の通りである。

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禅語「閑坐聴松風(かんざして、しょうふうをきく)」の意味

今回は、「閑坐聴松風」について書く。

読みは、「かんざして、しょうふうをきく」。

イメージは以下の通り。

心静かに座っていると、聞こえてくるでしょう、松が風に揺れる音が。日々何かとせわしなくしているわたしたちは、そんな穏やかな音に気がつくこともありません。しかし、忙しくしなければ聞こえるはず、かすかな音が。毎日、急ぎすぎているわたしたちは、この松の音のように、人生において大切なことを、見落と

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