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バンクーバー編③ クィア・ラウンジと女性センター|虹はいまだ旅の途上——李琴峰のクィア的紀行

 食事を終えた後、Sさんは私をAMS Student Nest(NEST)に案内した。これは学生が主体となって運営する複合施設で、食事や勉強、休憩などができるスペースが充実している。日本で言う学生会館のようなものだろうが、日本の学生会館では決して見られない風景がある。建物の外壁の一角が、プログレス・プライド・カラーに彩られているのだ[1]。
 NESTは地下一階、地上四階の建物だが、地上階の真ん中は吹き抜けになっており、壁がガラス張りになっていることと相まってとても開放感がある。エレベーターで2階に上がると、フロアの一角に様々なリソースグループ[2]の部屋が集まっている。その一つが2SLGBTQ+の学生のための「The Pride Collective」である。
 クィア・コミュニティを指す言葉として、カナダではよく「2SLGBTQ+」が使われる。日本では馴染みのない「2S」は「トゥー・スピリット(Two-Spirit)」の略で、これは北米の一部の先住民コミュニティに見られる、性別二元論に収まらない第三のジェンダー、または非規範的なジェンダーの人々のことである。「LGBTQ+」の前に「2S」を置いているところからも、先住民へのリスペクトが感じられる。
 「The Pride Collective」のクィア・ラウンジは部室のような部屋で、そこまで広くないが、誰でも好きな時にここに来て休んだりおしゃべりしたりできる。ガラス張りの壁には様々な色のプライド・フラッグがかかっていてカラフルだ。別の壁にはカレンダーが掲げてあり、定例集会の日程が書いてある。ただ、実に英語圏らしいのだが、集会名はすべて「GLoW」「TAGI」「LoL」などの略語で表されていて皆目見当がつかない。あとで調べたら、それぞれ「Guy Lovers Weekly」「Trans & Gender Identities」「Lovers of Ladies」の意味らしい。
 カレンダー以外にも様々なポスターが貼ってあり、トランスマーチ(日程はもう過ぎていた)やトランス医療のサポートグループの情報などがある。トランス・コミュニティへのサポートに力を入れているところからも、反トランスのバックラッシュ勢力の強さが窺える。
 また、本棚の横には無料配布のパンフレットやコンドーム類が置いてあるが、なんと女性用コンドームもある。女性同士のセックスで使うような、指に取りつける「フィンドム」ではなく、膣内に装着するタイプのコンドームである。
 誰でも入れるラウンジとは別に、スタッフのオフィスもある。こちらは鍵がかかっていて入れないが、ドアの上には手書きのプラカードが貼ってある。そこには英語で、
 〈すべての女性が子宮を持っているわけではないし、子宮を持っている人がすべて女性というわけでもない。シス・セクシズムを打倒せよ! すべての人に安全な中絶を!〉
 と書かれている。
 廊下の突き当たりには「Out on the Shelves」という、クィア関連の書籍を集めた小さな図書室がある[3]。ただ、今は日曜日の午後で開室時間内のはずだが、なぜか開いていない。ご丁寧に「WE ARE OPEN :)」と付箋が貼ってあるドアは、鍵がかかっているのだ。
 図書室の二つ隣りの部屋が「UBC女性センター(UBC Women's Centre)」である。女性センターはクィア・ラウンジよりだいぶ広く、飾りつけも綺麗だ。カラフルな絵やコラージュ作品、またはフェミニズムのスローガンが書かれたプラカードが壁一面を飾っている。別の壁の一角には、
 〈私たちは性別に基づく暴力のない世界を夢見ています。あなたは何を夢見ていますか?〉
 と書かれた板が置いてあり、その周りにはピンクのバラの造花が飾ってある。板にはたくさんの付箋が貼ってあり、思い思いの「夢見る世界」が書かれている。
 〈黒人の女性がただ単純に生きて存在することができる世界〉
 〈生まれた身体や属性にかかわらず、すべての人が安全、尊厳、サポートとケアを享受できる世界〉
 〈すべての女性が彼女たちの夢を叶えられる世界〉
 部屋の中には無料のコンドームや生理用品が置いてある棚もある。
 クィア・ラウンジにしろ、女性センターにしろ、どちらもインクルーシブで居心地のいい雰囲気だった。ここで大学生活が過ごせる学生たちが心底羨ましい。気になったことがあるとすれば、どちらの部屋にも食べかけのものが放置されているということだ。ラウンジには食べかけのフライドポテトがあったし、女性センターには食べかけのクッキーがある。いずれもいつからそこにあるのか見当もつかないものだ。食中毒者が出ないことを祈る。

プログレス・プライド・カラーに彩られたNESTの外壁

(つづく)


[1] プログレス・プライド・カラーは、従来のレインボーの6色に、トランスジェンダーを表す水色、ピンク、白と、有色人種ピープル・オブ・カラーを表す黒と茶色の5色を加えた、計11色の組み合わせである。従来のLGBTQ+コミュニティの中で特に周縁化されてきた人々との連帯をより明確にしたデザインになっている。
[2] リソースグループとは、共通の特性を持つ人で構成される組織のことであり、加入者同士で悩みを相談したり、助け合ったり、必要な情報やリソースを得たりすることができる。
[3] 後になって知ったのだが、この図書室は1983年に設立された、バンクーバーで最も古く、そして最大のクィア・コミュニティの非営利公共図書館とのことである。もともとダウンタウンにあり、2016年に場所をUBCキャンパス内に移したが、大学とは正式な提携関係はないらしい。なお、2024年9月に場所がグランビル・アイランドに移ることになった。

連載概要

「クィアという言葉を引き受けることによって、私は様々な国のクィアたちに、さらには現在にとどまらず、過去や未来のクィアたちにも接続しようとしている」——世界規模の波となって襲いくるバックラッシュにあらがうために、芥川賞作家・李琴峰が「文脈を繋ぎ直す」旅に出る。バンクーバー、ソウル、チューリッヒ、アムステルダム、各地をめぐった2024年の記録。

著者略歴

李琴峰(り・ことみ)
1989年、台湾生まれ。作家・日中翻訳者。2013年来日、17年『独り舞』で第60回群像新人文学賞優秀作を受賞し、デビュー。『五つ数えれば三日月が』で第161回芥川賞・第41回野間文芸新人賞候補、『ポラリスが降り注ぐ夜』で第71回芸術選奨新人賞受賞、『彼岸花が咲く島』で第34回三島由紀夫賞候補・第165回芥川賞受賞。他の著書に『星月夜』『生を祝う』『観音様の環』『肉を脱ぐ』『言霊の幸う国で』がある。