【第1回】神話的想像力とうたをめぐる試論——鳥の鎮魂歌へ|北田 斎
神話とうた
子どものころから歴史が好きだったが、天皇や貴族や武将にはあまり興味がなかった。敗者には少し惹かれたが。歴史に残るべくして名を遺した人びとではなく、それよりもただ生きて死んでいった無名の人びとのことが知りたかった。偶然文字史料に遺ってしまった人びとの——たとえば古代の戸籍に遺された——名前をぼんやりと眺めていたこともある。そしてできれば、より古い時代の人びとの営みの根源的な部分について知りたかった。人間の知覚で捉えられるものはわずかしかない。世界は混沌として洪水のように押し寄せる。知覚を軽く凌駕したこの世界を、太古の人びとはどのように捉えていたのだろうか。個人的な資質の問題もあり、結局歴史学のどっしりとしてソリッドな方法論からは離れて、民俗学や神話学といった、地べたに生きる/生きた無数の人びとの記憶の溶け合ったようなものを扱う方法のほうに関心が移っていった。
特に神話はおもしろい。自然科学が確立するはるか以前、文字が現れる前の原初の社会において、人びとが紡いできた無数の知の方法のひとつは疑いなく神話だったといえるだろう。神話とはなにか。民族学・神話学の泰斗である大林太良は『世界神話事典』で以下のように定義している。
神話とは、最古の知の体系である。そう言い切ってしまえば、あんな突飛な空想のどこが、と戸惑う人もいるだろうか。神話は世界を基礎づける、知の試みである。なぜ世界は今このようにして存在するのか。身のまわりの物事をじっくりと観察し、思考を研ぎ澄ませていく。精緻な観察に基づき、想像の跳躍力で本来であれば超えられないものを突破していく。そうして奇想の物語が、不思議に世界の秘密の一片を解き明かしてしまう。現代に至ってようやく追いついた自然科学も、それを証明しつつある。
インドの創世神話では、原初の巨人であるプルシャ——それは膨張しきった宇宙そのものである——が神々によって供犠の贄とされ、解体されたプルシャの無数の細片から万物が生じていく。そのさまはまるでビッグバンをおもわせる。あるいは近年、生命の起源を海底の泥に求める研究がいくつか出てきたが、やはり動物たちが命からがら海底から掴みとってきた一握の泥から世界のはじまりが芽吹くような神話が、シベリアのブリヤート族、アッサム西部のガロ族、北米のモノ族・マンドゥ族・ヒューロン族などに点々とみられる。
世界各地に存在する創世神話のなかで、わたしがもっとも気になっているのは、西スーダンの農耕民族であるバンバラ族のものだ。
原初、ただ原物質グラだけが存在する、動き=音のない沈黙の世界があった。生命とは動きであり、動き=振動とはすなわち音である。一なるものに占められた静的な世界というのは、死と同義だ。ある時、グラが唐突に身じろぎをはじめる。はじめただのノイズに過ぎなかった微かな振動がやがて〈声〉となり、なすべきことをことばなきうたでグラに歌いかける。グラは自己分裂し、より明瞭な音を発する分身を生み出す。グラとその分身は交わり、争い、世界は一気に動的になり、拡散する。音は次第に意味を帯び、意味を帯びた音はことばになる。グラと分身の大爆発によってもたらされた記号とは言語だろう。ことばによって指し示された元素が創られ、元素から諸事物が創造されていく。
バンバラ族の創世神話の特異な点は、世界のはじまりが音によってもたらされている点である。なにも突拍子もない妄想ではない。自然科学もじりじりとそこへ迫りつつあるのではないか。たとえば超弦理論は、宇宙の最小基本要素を振動する微小な弦と仮定する。弦とは振動という現象を可能にするもっともシンプルな構造である。それはもはや振動そのものと言ってよい。であるならば、万物の最小単位とは振動=音なのではないだろうか。音から世界が闢けてくるのは自明の理だ。
このようにして、神話は一見理解不能で不条理なものであっても、丁寧に解きほぐしていくと、ひとつの世界観が浮かび上がってくるのだ。それが面白い。そしてそういった神話は、決して過去の遺物ではなく、現代に至るまで文化を育む豊かな土壌となっている。特に文学や芸術には神話的なモチーフが繰り返し登場し、今でも神話的想像力で広大な無意識に潜り、その深みからなにかを汲み上げているのではないだろうか。
だが文学や絵画を読み解くなかで神話に触れられることは多いが、うたに沈められた神話的想像力を明らかにする試みというのは管見ではあまりみない。しかし原初の社会——無文字社会における世界の捉えかたにおいて、音はより重要な位置を占めていただろう。神と人との交歓の場でも、音楽はそのあいだを取り持つ。うたは今でも根源的なものに根ざしているのではないか。うたのなかの神話的想像力に耳を傾けてみたい。
鳥霊信仰
たとえば、鳥は上古より(特に死者の)霊魂にかかわる表象としてあらわれる。万葉集の挽歌(人の死を悼む歌)にもしばしば登場し、145番歌では山上憶良が亡き皇子を天翔ける鳥に擬して詠んでいる[註3]。記/紀神話においては、父王の命を受けて東征し、その果てに神の怒りを受けて非業の死を遂げたヤマトタケルの魂が白鳥となって飛び立ち、妻子が泣きながらそれを追いかけていくさまは強い印象を残す。
そういった観念を、鳥霊信仰という。日本古代史を専門とする平林章仁は、次のように説明している。
日本列島に流れ込んだ鳥霊信仰は、おおまかには北方のシャマニズムの流れを汲むものと南・東シナ海を通して遅くとも弥生時代にはあらわれてくる南方系の稲作農耕民による穀霊信仰と結びついたものがある。現代においては、神を鳥の姿で幻視することはきわめて少ないだろうが、霊魂の表象としての鳥は今でも人びとの無意識に伏流しており、時折泉のように湧き出しているのではないか。それをうたのなかに見出したい。それはいったいどんなものだろうか。
鳥の鎮魂歌
現代にあっても、なにか大切な存在に先立たれた時、あるいは誰かの不在に強く心を動かされた時、人はしばしばその欠落に鎮魂歌を宿す。そのうちのいくつかは鳥のかたちをとって生れ落ち、そしてうたの力を借りて、斃れたものの魂を再び羽ばたかせる。この連載では、あるミュージシャンの死という解けない問いの輪郭を縁取るように現れたいくつかの鎮魂歌を手がかりに、日本列島に芽吹いた鳥の鎮魂歌を拾い集めてみたい。
また生きている鳥だけでなく、人の手によって生み出された鳥たちも、現代には特に重要な意味合いを帯びてくるはずだ。前近代において、地べたを離れて飛ぶように速くゆくものは、鳥のほかには船くらいのものであった。空想のなかで船は鳥と二重写しになって水面を離れ、太陽を追うように空を翔ける。上代日本の文字史料には、いくつもの聖なる船の説話が語られている。『播磨国風土記』逸文に記された、巨いなる楠の霊樹を伐り倒して造られた、飛ぶようにひと楫に七浪を越えてゆく船の名は速鳥だった。あるいは記/紀神話にしばしば登場する天鳥船も、やはり鳥のイメージがくっきりと重ねあわされ、神格まで与えられるほどの聖なる船であった。そして近代以降になれば、ついに人が鳥に成り変わって空をゆくようになる——飛行機の登場である。やはりうたに現れてくる飛行機も、鳥のイメージを引きずっているのではないか。そういった変奏曲の精神史も、いずれ辿っていくことになるだろう。
最後にもうひとつの問いを立てておきたい。死者の魂は鳥となって、はたしてどこへ向かうのだろうか。方位といった補助線を引きながら、鎮魂歌の作り手たちが愛しい鳥を飛び立たせたその先を、不器用に追いかけてゆこう。まずは2009年12月24日、あるひとりのミュージシャンの死まで引き返したい。
【註】
[1]大林 1994:29頁
[2]阿部 1994:482頁
[3]間宮 1991
[4]平林 2011:114頁
【参考文献】
● 秋本吉郎 校注(1958):『日本古典文学大系 2 風土記』、岩波書店
● 倉野憲司+武田祐吉 校注(1958):『日本古典文学大系 1 古事記・祝詞』、岩波書店
● 坂本太郎他 校注(1965・1967):『日本古典文学大系 67・68 日本書紀 上・下』、岩波書店
● 阿部年晴(1994):「アフリカの神話」大林太良 他編『世界神話事典』、角川書店、480-489頁
● 大林太良(1994):「総説―神話学の方法とその歴史―」大林太良 他編『世界神話事典』、角川書店、29-51頁
● 大林太良(1997):『葬制の起源』、中公文庫
● 国分直一(1992):『日本文化の古層 列島の地理的位相と民族文化』、第一書房
● 西村亨(1972):「鳥のあそび考 : 古代鎮魂の一考察」、『藝文研究』(31)、慶應義塾大学藝文学会、1-17頁
● 平林章仁(2011):『鹿と鳥の文化史』、白水社
● 間宮厚司(1991):「「鳥翔成」(万葉集145番)の可能性」、『鶴見大学紀要』第一部 国語・国文学篇(28)、1-12頁