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言葉の「手垢」に目を凝らす|『まとまらない言葉を生きる』刊行記念対談|荒井裕樹×はらだ有彩

 5月に刊行された文学者・荒井裕樹さんの著書『まとまらない言葉を生きる』の帯には、「テキストレーター」として活躍中のはらだ有彩さんによる推薦の言葉が並んでいます。

強くて安全な言葉を使えば、簡単に見落とすことができる。
だけど取り零された隙間に、誰かが、自分が、いなかったか?

 直接の面識のないお二人ではありましたが、荒井さんから「ぜひ一言御礼を伝えさせてください。ついでに軽いお話でも……」と打診をしたところ、「私もぜひ一度ご挨拶したいです!」とはらださんもご快諾。今回の対談が実現しました。

 お二人は日々、何を考えながら書いているのか。はらださんは帯文にどのような思いをこめたのか。そして私たちは、社会の理不尽にあらがうためにどのように声を上げていけばいいのか。「軽いお話」だったはずが、どんどん掘り進んでいった議論の過程を、前後編でお届けします。

[構成=天野潤平]

「テキストレーター」とは?

荒井 はらださんのご著書は以前からいくつか読ませていただいて、面白いものを書かれるなあ、と思っていたんですよ。

はらだ わあ! ありがとうございます。

荒井 まずひとつお尋ねしたかったのは、「テキストレーター」って一般的な言葉ですか?

はらだ 一般的な言葉ではないです(笑)

荒井 ぼくが知らないだけかと思っていました(笑)

はらだ テキストとテキスタイルとイラスト、全部やってます、と言いたくて造った、ダジャレ的な肩書です(笑)。私は京都の芸大に通っていて、その頃は絵を描くことがメインだったのですが、文章を書く機会が増えてきて、でも肩書をどちらかに絞ると、それこそ何かを「取り零す」と思ったんです。

荒井 芸大では何を専攻されていたんですか?

はらだ 壁画です。

荒井 すごいですね。それこそ漆喰を塗って描くような?

はらだ お詳しいですね。白い漆喰を壁に塗って、乾く前に顔料で絵を描くという……。

荒井 いわゆるフレスコ画の、古典的な技法ですよね。

はらだ そうです、本当にお詳しい! その古典的な技法に則ることが性に合わなくて、「なんでこれを守らなきゃいけないんだ?」と嫌になってました(笑)

荒井 ぼくはけっこう絵が好きで。好きになったきっかけは、大学生のときに受けた一般教養の「西洋美術の解釈」という授業です。だから、昔のキリスト教絵画とかが実はとても好き。

はらだ 私と違って、授業がすごく身についていますね……(笑)

「手垢」を探る仕事

荒井 はらださんの『日本のヤバい女の子』は、学生も読んでいました。

はらだ そうなんですか!

荒井 ぼくは文学部の先生なので、古典文学の話もちょいちょいします。でも日本文学科にくるような学生でも、みんながみんな古典文学が好きというわけではない。できれば遠ざけたいという学生もいるくらいです。

はらだ 確かに、芸大に来る人もみんな浮世絵が好きってわけではないですもんね。

荒井 はらださんは本当に古典的な技法が合わなかったんですね(笑)。そういうときに、とっかかりになるようなネタを探すのですが、この本にはとにかくいろいろな物語が出てくるじゃないですか。すごく面白いなあ、って。はらださんはどうしてこんなにも物語や古典にこだわるのだろう、と思っていました。

はらだ 私の実家は煎餅屋なんです。父が6代目で、弟が7代目でして。

荒井 永く続いていますね。

はらだ なんとか続いています(笑)。亡くなった祖父から、「これが今こうして残っているのは、昔こういうことがあったからなんだよ」、みたいなエピソードを聞いて育ちました。
例えば、うちの店は通称「富士せんべい」と呼ばれています。屋号の富士山にちなんで、かつては富士山の絵と、富士山の出てくる和歌を入れた焼き型が八個揃いであったらしいのですが、今では三つしか残っていません。その三つが残った理由は、戦時中に鉄製のものを差し出すよう言われて、持っていかれちゃったらしいんですね。隠しておけばよかったんだけど……。それを見かねた常連さんが、以前お譲りしていたものを気の毒がって返してくれたという話があります。

荒井 うんうん。

はらだ 今ここに残っているものって、必ず何かの理由があって残ったり無くなったりしている。その過程にこびりついた「手垢」、良い意味でも悪い意味でもその手垢を探りたいと思い、あえて古い話をピックアップしました。

荒井 暮らしの中の伝承っていうのかな。民俗学の世界というか。

はらだ 荒井さんも著書の「まえがき」で、言葉が壊れてきた、変わってきた、と書かれていましたよね。

いま、ぼくたちが生きるこの社会で「言葉が壊されつつある」ことを、実は多くの人が薄々感じているんじゃないか。お金や権力を持っている人たちの口から飛び出す言葉や、SNSに溢れる言葉が、何かおかしいし、息苦しいし、聞いていてつらいと感じる人が、決して少なくないんじゃないか。(まえがき)

ここでは、よくない変わり方をしている言葉に対して警鐘を鳴らしているわけですが、何かが変わっていく過程には必ず人の手垢が残ります。私はその過程に興味があるんです。

荒井 「手垢」という表現が面白いなあ。京都の芸大に通われた方って感じがします。民芸品も、人の手の脂が重なってツヤが出るわけですから。なるほど、と思いました。

最近ムカついた「手垢」

はらだ 手垢の中にはとても温かいものもあれば、ものすごくムカつくものもあって。たまに「しばいたろか!」ってなるのですが(笑)、最近そんな手垢があるので聞いてもらっていいですか?

荒井 もちろん、聞かせてください(笑)

はらだ 例えば、フェミニズムに反発したい人が、フェミニズムの文脈で使われている言葉をあえて自分たちに引き寄せて使うケースです。「(女性と男性で)見えている世界が違う」とか、「声を上げる」などの、しんどい現状を知ってもらうためになんとか作られた「闘うための言葉」。それをカウンターとして機能しているかのようにアンチフェミニストが自分たちの言葉っぽく取り入れる、みたいなことが繰り返し起きている。そういうのは悪い手垢ですね。

荒井 「言葉の搾取」と言い表されるものに近いことかな。障害者運動の世界にもあります。今回の本にも、行政書類などでよく使われる「地域」という言葉は、そもそも障害者運動の人たちが「隣近所で生きさせろ」という意味で使ったのだ、という話を書いています。「隣近所」で生きたかったはずが、いつの間にか町のどこかにいれば「共生」していることになってしまっている。実際は「住み分け」があるかもしれないのに。

「地域」という言葉は、使い方次第では結構あやうい。例えば、「この施設は夏祭りとクリスマスに地元住民と交流しているので、地域との共生に取り組んでいる」という言い方もできなくはない。でも、夏祭りとクリスマスにしか交流がなかったら、それは住み分けだ。
[中略]
横田さんたちは[編注:横田弘、脳性マヒ者で障害者運動家]半世紀近く前から「地域で生きさせろ」と訴えてきた。横田さんたちが言ったり書いたりしてきた「地域」は、はっきりと「隣近所」という意味だった。障害者も、あなたの「隣近所」に住みたいのだ。(第5話)

女性運動も同じで、やっぱり運動の中で人々が必死に生み出してきた言葉がたくさんある。自分たちのしんどさや苦しさを訴えるための言葉が、いつの間にか、差別する側にとって都合の良い言葉にすり替わっていく。

はらだ 既にある文脈がその言葉にはのっかっていて、少なからず誰かの支えになってしまっている。「しまっている」というのは過失の意味ではなく完了の意味ですけど、そうなり終えてしまっている言葉を「こうも使えるよね」と転用するときの気軽さって、めっちゃお気楽なもんだよなあ、とイライラします。

荒井 積み重ねられてきた歴史を気にしないという人が、多いのかもしれません。

はらだ でも「積み重ねられてきた」というときに、積み重ねてきたのはやっぱり生身の「人」なんです。文字で歴史を読むからちょっと忘れてるだけで。「ねえねえ、ここに人!人がいるけど、それわかってる!?ここ、ここ!」って叫びたくなります。

私の「自我」はまだ9歳

荒井 『日本のヤバい女の子たち』で取り上げているのは古典文学や昔話ですが、それに限らずいわゆる「定番の物語」ってあるじゃないですか。それこそ昔、日曜の夜にやっていたアニメ劇場みたいな。はらださんはそういう物語はお好きでしたか?

はらだ 子どもの頃はなんの疑問もなく摂取していました。私、26歳まで「自我」が芽生えてなくて(笑)。言われるがまま、って感じだったんです。

荒井 そう聞くと、「そのとき何があったんだ?」って思います(笑)

はらだ 当時、いわゆるブラック企業にいまして。それまでは女子中、女子高、ほとんど女子しかいない大学と、運よく何にも気づかないままに暮らしてきたのですが、社会に出て初めて「女の子だからこうだよね」「女の子はこうしなきゃね」という扱いを経験したんです。そのとき初めて、「もしかしてこの世はあまり楽しくないかもしれないぞ?」と思いました。すんごく遅い気づきですけど(笑)

荒井 20代の半ばだと確かに……(笑)

はらだ だから今の私は、単純計算まだ9歳です(笑)。でも荒井さんにも、自分の中で自分に都合のいいように処理していたかもしれない感情に気づいたエピソードがありますよね。本の終話に大学時代の福祉施設での実習のお話がありました。そのときまでは特に気にせず過ごされてきたのですよね?

なんとか実習を終えたぼくは、更につらい思いをすることになる。
大学に戻ってみると、実習を終えた同級生たちがとても楽しそうに思い出話で盛り上がっていたのだ。高齢者の施設に派遣された友人は孫のようにかわいがってもらい、障害児の施設に派遣された友人は毎日子どもたちと外で遊びまわり、とにかく「楽しかった」というのだ。
それに比べ、ぼくの実習の思い出は「障害者が怖い」「一緒にいるのがつらい」だった。みんなが「楽しかった」と笑顔で語っている実習を、ぼくは「怖い」「つらい」としか感じなかった。
[中略]
ぼくが学部四年で教員採用試験を受けず、大学院進学を目指した動機の一部には、この時の自己嫌悪が関わっていると思う。こんな人間は教壇に立っちゃいけない、と思ったのだ。(終話)

荒井 気にするもなにも、障害のある人たちとの出会い自体なかったので。もちろん話には聞くんですよ。クラスメイトのきょうだいが養護学校に通っているだとか。それでも「暮らし」を共有するような形で「出会う」ことはなかった。

はらだ 最近、電動車イス利用者の伊是名夏子さんのブログが注目されましたよね。階段しかない無人駅を利用しようとしたときに、直前になって降車の介助を駅員に拒否された、という。そのことについての後日のインタビューで、伊是名さんが「普段から障害者と接することがないから知る機会がなく、想像のし方が分からないのかもしれない」ということをおっしゃっていました。

荒井 「住み分け」が進みすぎると、「暮らし」を共有しながら生きることへの想像力が生まれなくなるんですよね。世の中には養護学校(今は特別支援学級といいますけど)があったり、ぼくがかつて実習したような大規模施設があったりする。「そういうものがあるということは、障害のある人たちはそちらで生きたほうがいいんじゃないの?」って、普通に思ってしまうんですよ。そうとは限らないのに。

はらだ お膳立てされた環境でしか出会いづらくなっているから、その環境が最適解だと押し込めようとしてしまう。

荒井 だからやっぱり、あの実習はひとつの転機でした。

パラダイムシフトが起きるとき

荒井 当時のぼくは、その辺の自己責任論者なんかもう真っ青なくらいの自己責任論者でした。男性として、ある程度の偏差値帯を歩いてきて、自分で自分の人生切り拓いきたんだと、ものすごく薄い次元で思っていた。なんとなくわかりますよね?

はらだ うん、そういう思考の回路、わかります。

荒井 でも、自分が頑張ってる土俵っていうのは、他の人が整えてくれたものであったりするわけです。ちょっと目を凝らせばそれが見えたはずなのに、全部「自分が頑張ったから」だと思っていました。

はらだ そう思いたいですよね。だって頑張ったんだから!となりますよね。でもこの本には、そういう状態からパラダイムシフトされた様子が惜しげもなく書かれている。「みんなこの過程をそのままなぞってみたらいいのでは?」と思いました。

荒井 ありがとうございます。ぼくはその後、障害者運動家の人たちと出会い、年単位での付き合いの中で、一枚一枚薄紙が剥がれていくような感覚を得られました。「あれ、もしかしたら、そうじゃなくてよかったのかも」って。

ぼくは、あのまま障害者運動家たちに出会わなかったら「自分を差別などしない理性的な人間だ」という自己像を守るために、冷たく凝り固まった障害者像を更に冷たく押し固めていただろう。
[中略]
なんてことはない。「よくわからない障害者が苦手だ」という卑近な嫌悪感を、「現実社会は厳しいので、この厳しさについていける人たちだけが参加した方が誰にとっても幸せなんだ」という卑俗な正義感に包んでごまかしていただけだった。(終話)

はらだ ここ、気づいたときに、不当にいじけてしまわずにまず自覚する、という過程が書かれていてありがたいです。パラダイムシフトが起きるときって、自分の根幹を揺るがすほうが悪いんだ、と責任転嫁してしまう場合もあるから。

荒井 時々、海外生活でしんどい経験をした人が、「日本人」という感覚を変に相対化されて、ナショナリズムをこじらせた感じになってしまうことがありますよね。

はらだ ありますね。開いたことによって逆に閉じる、みたいな。

荒井 ぼくの身の回りにもいたから、その心理作用もわからなくはないんです。でも幸い、ぼくはそうはならなかった。それは多分、ぼくが付き合ってきた人たちが、経験豊かな運動家だったからだと思います。キャッキャと楽しく過ごしながら、でも時にしんどく、つらく、たくさんの無茶ぶりをされてきました。いじけている暇はなかったです(笑)

「圧倒的他責」で乗り切る

荒井 はらださんも、「定番の物語」的な価値観を自然に受容してきた感覚がくつがえされたときはしんどかったんじゃないですか?

はらだ 「もしかしてこの人生、しくってる?」って思いました。

荒井 おお(笑)

はらだ そして、「もしかしてこの世界もしくってるのでは?」というつらさもありました。これまでの人生で蓄積してきたものが、実はものすごく偏ったものの上に積み上がっていたのかもしれないと思ったとき、その価値が一気に目減りする怖さがあった。そうは思いたくなくて目を背けてしまうこともあり得たのですが、私はそのときに「圧倒的他責」で乗り切りました。
例えば、「女が怒っている」ことにショックを受けそうになったとき、「なんでその女は怒らされているのか」と他責を探す。他責って一般的には悪い意味で使われると思うんですが、社会で他者とつながっている以上、自責しかないことのほうが不自然ですよね。「他責」もあるほうが視座が高い。自分がしくっているわけではなく、そう仕向けてくる何かがあったり、そう思わせる世の中が確かにある、と思うほうが自然だし健全というか。

荒井 なるほど。

はらだ 荒井さんの本にはウーマン・リブ[編注:1960~70年代に世界的な盛り上がりを見せた女性解放運動]の話も出てくるじゃないですか。その話の最後に、こう書かれています。

こうした話をすると、「なんでもかんでも『世の中が悪い』って責任転嫁する人、困りますよね」という反応が返ってくることがある。
こういう反応をする人に、ぼくは躍起になって反論するつもりはない。
[中略]
ただ、ぼくが言いたいのは、こういうことだ。
田中美津さん[編注:女性運動家]の言葉と、「なんでもかんでも責任転嫁」という言葉と、ふたつの言葉を並べてみた時、自分が生きていくためにはどちらの言葉が必要だろう。
もう少し踏み込んで言おう。
もし自分が苦しい思いを強いられた時、「自分で自分を殺さないための言葉」はどちらだろう。(第4話)

ここは本当にそうで、「なんでもかんでも責任転嫁しやがって」って、一見ポジティブっぽい。でも私は、「そう言ってる間に死んじゃうかもしれないけど、それって本当にポジティブか?」と思うんですよ。だからこそ、荒井さんの問いかけはしっくりきました。「自分で自分を殺さないための言葉」として「他責」を正確に選んでもいいんだって。

荒井 そのように受け止めてもらえたのはとても嬉しいです。

【後編はこちら】

荒井裕樹(あらい・ゆうき)
1980年東京都生まれ。二松學舍大学文学部准教授。専門は障害者文化論、日本近現代文学。東京大学大学院人文社会系研究科修了。博士(文学)。著書に『隔離の文学――ハンセン病療養所の自己表現史』(書肆アルス)、『障害と文学――「しののめ」から「青い芝の会」へ』(現代書館)、『 生きていく絵――アートが人を〈癒す〉とき』(亜 紀書房)、『障害者差別を問いなおす』(筑摩書房)、『車椅子の横に立つ人――障害から見つめる「生きにくさ」』(青土社)などがある。近刊に『まとまらない言葉を生きる』(柏書房)。

はらだ有彩(はらだ・ありさ)
関西出身。テキスト、テキスタイル、イラストを作る“テキストレーター”として活動。 2018年5月に『日本のヤバい女の子』を柏書房より刊行し注目を集める。著書に『日本のヤバい女の子 静かな抵抗』(柏書房)、『百女百様――街で見かけた女性たち』(内外出版社)、『女ともだち――ガール・ミーツ・ガールから始まる物語』(大和書房)がある。現在はカドブンで連載していた『ダメじゃないんじゃないんじゃない』の書籍化を準備中。


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