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新刊速報【2024年1月版】|柏書房営業部通信

 柏書房営業部です。2024年初の営業部通信の更新になります。本年も弊社の刊行物をよろしくお願い致します。さて、柏書房の1月の新刊は1点。ウェブマガジン『ニッポン複雑紀行』初の書籍化企画、『密航のち洗濯』です。

『密航のち洗濯』

宋恵媛 文
望月優大 文
田川基成 写真

【営業担当・木村から一言】
 
柏書房営業部では出版する企画に対して一人担当者を決めている。担当者は企画内容から販促展開や受注目標など営業面を担う。このnoteの文章も担当者の仕事である。
 当然、担当する書籍企画は発売前の段階から読める。これが楽しみだったりする(あくまで仕事です)。とはいえ日中は毎日外回りで時間が足りないので、たいてい家に持ち帰る。寝る前のひととき、焼酎の水割りなぞを飲みながらこの形になる前の原稿を読みふけるひと時はなんとも味わい深いのだ。さてさて2024年の営業部通信はこの企画紹介からはじまる。

『密航のち洗濯 ときどき作家』

「読んでください」

 この一言で今回のnoteはおしまいにしてしまいたい。
 40代中盤にさしかかり、たいていの物語や出来事には慣れていたつもりだった。
 読み終えた今、まだ的確な伝え方や表現する言葉が見当たらないが、ここまで心が揺さぶられるとは思わなかったからだ。

 この本は2022年、とある日記が出版されたことから生まれた。日記の主の名はユンジャウォン。著者の一人であるもちづきひろさんの文章から、簡単に略歴をまとめてみよう。

 尹紫遠は、日本による韓国併合の翌年(1911年)に朝鮮半島で生まれ、1964年に東京のど真ん中で貧しい洗濯屋として死んだ。彼はおそらくかつて密航者であった。1946年夏、朝鮮も日本も占領下にあり、合法的に海を越えることがほぼ不可能だった時代に海を越えたのだ。そして1957年春、目黒区の外れで「徳永ランドリー」を開店させた。しかし彼には別の顔もあった。昼間の仕事を終えると、「作家」として小説を書いた。ほとんど読まれなかった彼の物語には、朝鮮から日本への密航の様子が自伝的に描かれている。戦後の東京で在日朝鮮人として生き、日本人の妻との間に3人の子どもを育てた。極貧の生活、過酷な肉体労働、狭すぎる家のなかで、作品を書き続けた。生活はずっと貧しかった。その様子は、彼の日記につぶさに残されている。

〈つくづく自分の部屋がほしい。自分ひとりきりの世界がほしい。〉(「尹紫遠日記」1949年8月31日)

〈三丈〔畳〕の間が裁縫所になった。ミシン、アイロン、物もの指さし、はさみ等、仕事台は机。ここ連日の激労にとし子〔注:尹紫遠の妻〕全く弱っている。裁断最中に、疲労に堪えかねて切れ端の乱雑の中に死んだように眠る。〔…〕彼女に卵一個買ってやることが出来ない。〉(「尹紫遠日記」1949年7月14日)

〈程度の差こそあれ、日本にいる朝鮮人は、実生活の面ではみんな刑務所にいるようなものかもわからない。〉(「尹紫遠日記」1956年12月3日)

 国家や社会に翻弄された彼や、家族の人生はいったいどのようなものだったのだろうか。望月さんが共同著者であるソンウォンさんから聞いた話によると、〈植民地期に渡日した在日朝鮮人一世が日本語で書いた当時の日記は極めて珍しく、貴重なもの〉であるそうだ。彼が残した日記や作品、そして家族へのインタビューから、日本による朝鮮の植民地支配、日本社会における在日朝鮮人の生活、出入国管理の歴史、少数者の視点、ジェンダーと暴力、とにかく複雑で多様なテーマが浮かび上がっていく。写真家のがわもとなりさんも同行し、ゆかりの土地を丁寧に辿りながら、日本と朝鮮で生きた100年にわたる家族の歴史を紡ぎなおした一冊が本書だ(写真はカラーを含めると100枚以上収録されている)。

 未だかつてなく壮大なドキュメント。とにかく多くの人に読んで欲しい。

 『密航のち洗濯』は本日1月10日(水)の配本です。ニッポン複雑紀行さんの下記の記事にてこの本の成り立ちなどについて詳しく書かれております。こちらもぜひご一読ください!

連載更新のお知らせ

 また昨日、友田とんさんによる「地下鉄にも雨は降る」の第4回が公開になりました。地下鉄の漏水対策をめぐる観察は、ついにその背後に存在するかもしれない管理台帳や数学的実在論(?)などを巻き込んでいき――どこに向かうのか(そもそもどこかに向かっているのか)予測不能の極私的フィールドワーク最新回、ぜひお楽しみください!

 来月の新刊(?)は1点を予定しております。それではまた次回もよろしくお願い致します。


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