あさにっき9
おはようございます。
目覚ましで起きてから、「食事のことについて書いて」と頭の中に浮かんできました。
私は好き嫌いが多いです。好きなものも多いし嫌いなものも多い。
私は緊張すると喉が塞がって、何も入らなくなります。特に小学校や中学校のときは地獄でした。修学旅行や合宿、給食ではいつも緊張して、最後まで残っていました。
先生と二人。
「なぜ食べれないの?」「食べなさい!」「おかしい」と叱責されるばかり。
どんどん食べれなくなり、毎日の食事の時間が嫌いになりました。
本当に食べられなくて、小さかった私もわからなかったから、ただ食べれないとしか言えなくて。辛かった。
今仕事上、小学生と関わりますが、中にも食べられない子はいます。
その子たちに先生たちは、
「いつも残すのね。」「早く食べなさい。」「何やったら食べれるの。」「残したらダメ。」
この言葉を聞くたびに、嫌な感覚を思い出します。
私は決して、甘やかすわけではなく、
「食べなくてもいいよ」と言います。
それは、食べられないどうしょうもない私を、知っているから。一番よく、知っているから。
昨日も食べられなかった。夜ご飯は外だったけれど、最近お腹に溜まっているのもあるし、緊張したのもあるし、喉が塞がった。
無理して食べようとしたけれど、入れた瞬間にダメだと何回もなって、一緒にいた人に食べてもらった。
ごめんなさい7割。
未だ練習中だから。罪悪感無しに、食べてもらえるようになるのが、私の理想。
なぜ人は、自分ができること以外のことを想像できないのか。
それは想像力が乏しいからだと思う。
私みたいに経験で学ばなければ、本で学べばいい。でも学ばない。だから、見知らぬうちに、私のような人間は、些細なことでそういう想像力の乏しい人からマウントを受け、否定されることになる。
ただ食べられない、というだけなのに、
周りに合わせられないからと言って、時間がかかるからといって、それができないからと言って、
社会の中であなたは本当にお荷物で面倒くさいと、怒られ否定される…。まるで、すべてができないかのように扱われる。常に「この子は食べられない」というレッテルで判断される。
たとえ、そうするしかない大人だとしても、
そんな大人は、嘘でも尊敬できない。
正義感の押し付けをするそういう大人を見るたびに、こうはならないでおこうと心に誓う。
風の強いような今日のような日に、
成人式の前日の日に、
休みの日なのに早起きできた今朝に、
こんなことを思うのでした。
昨日のおやつ食べた芋羊羹が、美味しかったことを思い出しました。本当に美味しかった。
自然と顔が緩む食べ物と出会えることは、幸せ。
今日はどんな美味しいごはんに、出会えるかな。
いってらっしゃい♪
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