暇だし雨月物語「菊花の約」読も。

こんにちは。みなさまいかがお過ごしでしょう。この前「御法度」を見て大騒ぎした私でございます。

「御法度」の最後の辺りで雨月物語の「菊花の約(ちぎり)」について話すシーンがあった。そのときなんだか気になる点があり久しぶりに雨月物語を読み直した。それでもわからんのだ。

「軽薄の人」って何のこと?


「菊花の約」を簡潔に書くとこう

導入:軽薄の人と交わりを結ぶべからず
左門という質素で控えめな学者がいた
近所の人「死にそうな人助けたんだけど感染とかこわいしどうしよ」
左門「人は死ぬときは死ぬんだし感染なんて怖くないよ。私が看てあげる。」

看病するとだんだんよくなった。
病人の名前は宗右衛門。兵法に詳しい武士らしい。

宗右衛門と左門は意気投合。兄弟の契りをかわす。

宗右衛門「俺、やること残してここに来てたんだよね。やっぱり一回帰る。終わったらすぐ帰ってくる。」
左門「いつ?いつ帰ってくる?」
宗右衛門「重陽の節句に帰ってくる。」

重陽の節句(菊の節句)
左門「宗右衛門、こないよ」
左門母「まあ菊の季節は今日だけじゃないし。明日来るかもよ。」

その夜
左門「なんか気配する」
宗右衛門がぼんやり立っている
左門「宗右衛門!!!!」
宗右衛門「ごめん左門。俺ごたごたに巻き込まれて捕まって。このままだと約束守れないと思ったとき、魂なら千里も飛べるって聞いたの思い出して。牢の中で自害したんだ。だから今の俺は、幽霊。」
左門「そんな!!!!」
宗右衛門「長いお別れになる。母を大事に。」
左門「宗右衛門!!!!!」


ごたごたってのは以下

宗右衛門の弟子が尼子に殺される

弟子の周辺のやつらは尼子を恐れてみんな尼子サイドに

宗右衛門も尼子に狙われる。でも尼子サイドにはなりたくない。

国外に逃げる(左門と出会ったのはこのとき)

国に戻ると身の回りがますます尼子サイドに

従弟の丹治も尼子サイドに。丹治に捕らえられる

重陽の節句に間に合わせるために牢の中で自刃

左門と宗右衛門の別れの続き

左門「くそ!!!丹治を諌める!!!」

丹治の元へ
左門「お前の行いで若い才ある人物を失ったのだぞ!!!しかも簡単に敵サイドにまわって。忠誠心のなさを恥ずかしいと思え!!」
丹治は何も言えない。
左門はとっとと帰る。

この話を聞いた尼子「宗右衛門と左門の友情に免じて左門の無礼を許そう。義理堅いのはいいことだしね。」
結末:軽薄の人と交わりを結ぶべからず

大体こんな話だ。細かい部分を知りたいかたはぜひ調べて読んでみてくれ。

導入と結末は統一して「軽薄の人と交わりを結ぶべからず」である。

でもこの話をよむと「軽薄の人って誰??何のこと???」となると思う。

宗右衛門か?いや死んでも約束を守ったのだからなんなら義理堅い。
左門か?いやわざわざ兄弟の契り交わした相手の仇を取りに行くくらいだ。義理堅い。尼子の御墨付き。
丹治か?確かに簡単に敵に下ったのは軽薄だけど別に誰とも交わりを結んでない。
この話の主な交わりは「兄弟の契り」
でも宗右衛門も左門も義理堅いやん。

え~~????わからんのだが????

「軽薄」の意味が今とは違うのかもしれんとも思ったが調べてみると「不義で軽率」といった感じでさほどイメージとズレはない。ますますわからん。

ということで色々調べていくうちにあることを知る。

雨月物語の「菊花の約」には原作がある。


中国白話小説の「死生交」という話がベースらしい。「死生交」を日本語訳してアレンジしたのが「菊花の約」。しかもどうやら「死生交」にも「軽薄の人と交わりを結ぶべからず」的な文があるらしい。これは確認してみる価値がありそう。

「死生交」の概要はこう。

導入:軽薄の人と交わりを結ぶべからず
張はガリ勉で厭世的なやつ。
范は商家で向上心のあるやつ。
張と范は仲良くなる。

范「俺、家庭の事情で実家帰るわ。」
張「そうなんだ。また会おうよ。」
范「そうだな。じゃあ1年後にしよ。」
張「今日は重陽の節句だし。ちょうどいいな。来年の重陽の節句な。」
范「おけ。またな。」

1年後
范は実家で仕事に追われる日々。
范「あ、もう重陽の節句になるじゃないか。忘れてた。いやどうしよう間に合わんよ。約束やぶったら不義理だしな。...そうだ魂なら千里飛べる。死のう。」
范、自害

張、幽霊の范と再開

張、范の葬式に参列。悲しみの中、范に会うため張も自害。
結末:軽薄の人と交わりを結ぶべからず

え~~~????なんかわりと違う話やな~~

中国では自分が失敗をおかした後にどう対処するかが重んじられるから、この范の行いは「軽薄」にあたるとされていると考えられているらしい。
しかもそれに後追って死んだ張も遅れた武士道みたいな軽薄さを風刺されてるとこもあるとも。
つまりは「死生交」は単純に「軽薄戒め話」ってとこらしい。

その「死生交」の交わりの部分を誇張しつつ信義のニュアンスを強めて美談ぽさを出したのが「菊花の約」といった感じだ。芥川が「宇治拾遺物語」から「羅生門」作ったみたいな感じだろう。

そんで「死生交」において始まりの文と終わりの文を揃えるっていうのが中国では文章的な美しさ?みたいなことで技術として評価されているらしく、日本語に訳すときも使ったのかなといったところ。

私的な結論としては

「軽薄の人」はあえていうならば「宗右衛門」だけどアレンジしたところそこまで軽薄じゃなくなっちまったわ

ってところじゃないかと思う。

もちろん丹治や宗右衛門、左門や他の人物の軽薄さがないわけではない。むしろそれぞれの行いがどこか「軽薄」であるからこそ、この問題は今でも議論される所なのだろう。それが古典のロマンでもあるしね。実際この問題は今でも研究者の間でも相当議論されているようだ。上田秋成が本当はちゃんと意味を持たせているのだとしたらめちゃめちゃ気になるし知りたい。

いやなかなか面白かった。皆さんには伝わりづらいかも知れないが気になることがある程度解決または理解できるというのは快感であり知的好奇心わくわくいっぱいやったーまんなのである。

このご時世により自宅で引きこもってこれほどわくわく楽しめている私は幸せ者だろう。この疑問を解くために古典に強い高校時代の友に協力を求めたのだが、ヤツとやりとりできたのもなかなか楽しかった。高校時代に戻ったような気分であった。感慨深い。


范は一時の判断で来年の菊の季節を見ることはできなくなった。その上大切な張までも。なんとも悲しいことだ。来年の菊の季節に「去年は悪かった」なんて言って会えばよかったものを。そうすれば友人と菊を見ながら酒を交わして語らうなんて最高じゃないか。

我々も桜が咲いているのに花見もろくに出来ないのは何ともつまらんが、判断を誤らなければ来年の桜を見ることができよう。きっと来年、大切な人とみる桜は一層綺麗なことだろう。その日まで、仕事にでも没頭しよう。「死生交」から私が学んだのは「仕事に没頭していれば一年などあっという間」ということである。

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