ゲイが身体を鍛える理由

ゲイって言ったら「ナヨナヨしてる」「女っぽい」「女装」「オネェ」なんて思う人は少なくないと思う。なぜなら、それらの特徴を持った人が「明らかに」ゲイであるから。でも、実はそれは「そのタイプのLGBTQ」の人だけ。

実際ゲイって、そういう細身の人もいれば、身体を鍛えてる人も多くいる。なんなら、ノンケ(ストレート)の人よりもゲイの方が身体を鍛えてる人、多いんじゃない?アメリカにいる周りのゲイを見ると、ほとんどがジムに通って身体を鍛えている。なぜ?


一つの大きな理由は、やっぱり「男らしく」ないとモテないから。


筋肉=男らしさ なんて簡単には測れないけれど、わかりやすい要素ではある。胸板が厚くて、腕が太くて、腹筋が割れてるってのは、同性愛者、異性愛者に関わらず、現代において多くの人が認める「男らしさ」の象徴でしょう。

でも、ストレートの人の中には「ゲイが『男らしく』ある必要なんてあるの?だって『男らしい』人を好きになるのは『女らしい』人じゃないの?だったら別に『男らしい』人も『女らしい人』も同じくらい需要があるでしょ」なんて考える人も少なくはない。書いててどんどん意味がわからなくなるんだけど、全くLGBTQについて理解がない人の考えってそんなもん。「どっちが女役?」みたいな質問をするタイプのそこのおまさんやで。

ただ、「男らしい」が「女らしい」を好むというのは大きな間違い。

ゲイの人はみんなわかってるだろうけど、「女らしい」人はほとんど「男らしい」人にモテない。筋肉があって鍛えてる人は十中八九自分も筋肉が好き。だから「男らしい」人はほとんどの場合自分のような「男らしい」人が好き。

つまり、マッチョはマッチョを求める、マッチョサイクルなんですね。

マッチョがマッチョを消費する、マッチョリサイクル・・・。


アメリカではよく使われている言葉で、Hyper Masculinity(ハイパー・マスキュリ二ティ)という単語がある。マスキュリニティとは男性性のことである。ハイパーはそれを過剰にしたもの。よって、これは過剰な男性性ということになる。

どういうこと?と思うかもしれない。けど、異性愛の中で、男性は男性であるだけで、ある程度の男らしさが生まれる。当たり前だ。男と女で区切られた2分の中で、どちらかといえば男性性に区分されるのだから。ちょっとフェミニンだって、筋肉がなくったって、男の子に変わりはない。(そんなことないよ!ってことがあるのはわかってるのよ。わかりやすい言い分がこれってだけよ。)

じゃあ、男と男の同性愛の中で、「男らしさ」ってどう生まれるの?っていうと、誰もが思い描く「男らしさ」を身につけることに他ならない。だから身体を鍛えて筋肉むきむきになる。そこらの輩より筋肉がある=男らしい の方程式が成り立つ。男らしくなるためには、「男らしさ」を身につけなければいけない。

「男であるお前よりも男らしいぞ、俺は!さあ、俺に抱かれろ、マッチョたちよ!」

ということである。

「マッチョな自分よりももっとマッチョで男らしい!抱いて!」

ということでもある。


自分の住む地域のジムにも、ゲイらしき人はわんさかいる。みんな筋肉がキレッキレである。胸筋バレーボールか?みたいな人もわんさかいる。なんならこの辺に住んでいてゲイでジムに通ってない人なんておるんやろか?というくらいの確率でジムに通っている。これはもちろんハイパー・マスキュリニティだけの問題ではなくて、アメリカの運動文化であったり、都市部の人の健康に対する意識であったり、美意識であったり、諸々が作用しているが、「男らしさ」はその中でも大きく関係しているように見える。


もうひとつ面白いところ。


ゲイにとって筋肉以上に「男らしい」ものって何?

そう

「異性愛者」であること。


「自分はゲイっぽくないだろ」「ストレートにしか見えないだろ」というような言動や行動を心がける人もいる。例えば、ゲイ特有の少し甲高い喋り方や喉から絞るような声を嫌い、できるだけ低く、太い声で喋るようにする。ゲイがよく観るRuPaulの番組や、ゲイに人気のブリちゃんの音楽などを拒否する。歩き方も気をつけ、自分のストレートさを前面に出す。

日本でもよく「ノンケ好き」というゲイを耳にする。そのくらい、「異性愛者」らしさ(ノンケ好きに関しては「らしさ」じゃないけど)は価値があることらしい。「ノンケ好き」ってゲイのエゴまみれで異性愛者をフェチ化してるようで、個人的には一番嫌いなタイプのゲイなんだけど・・・それはまた別のお話。


ハイパー・マスキュリニティは、SNSが増えたこともあって、ゲイ(欧米のみ?)の世界にヒエラルキーを生んでいる。ストレートっぽい、マッチョなゲイがヒエラルキーのトップにたち、誰からもモテる存在となってしまっている。もちろん、そんなことはなくて、ベアが好きなひとも、細身の子が好きなひともいる。が、目立つのは男性性の強い男である。

そんな男は、よく出会い系アプリで Masc for Masc または Masc4Masc という言葉を使う。これは、男らしい自分には、男らしい相手のみ という意味である。つまり、マッチョでストレートっぽい男のみ連絡してください ということだ。こんなことをわざわざ言う奴は、個人的には上っ面だけのくそつまん奴だと思ってるけど、言わないだけでそう思っているMascは多い。じゃあ、そんな男らしいMascと会うためにはどうすればいいのか?となると、答えは一つ。

自分が「男らしく」なるしかないのである。

つまり、男らしい人を好きでも、自分が男らしくないと相手にされない。男らしい人にモテるためには、自分も男らしくなる必要がある。だから、自分も鍛える。それの連鎖が、ゲイの中のハイパー・マスキュリニティを加速させる。

マッチョのインフレである。


もちろん、このハイパー・マスキュリニティはモテるためのものだけでないことも理解しないといけない。未だに迫害や差別を受けるゲイにとって、性的嗜好が他人にバレることは一大事である。寛容な社会になってきたとはいえ、古い考えの人は多く存在し、危害を加える人物がどこにいるかもわからない。そんな中で、「自分は同性愛者だ」とわかるような言動・行動を行うことを危険視したり、恐れたりするゲイも少なくない。だから、そんな危害を加える者よりも男らしく、よりストレートに見えるようにすることは、防衛手段の一つでもある。

子供の頃、男らしくなくていじめられた経験のあるゲイも少なくないと思う。その頃の反動からか、男らしさという鎧を身につけないといけない!と本能的、また、トラウマ的に考えてしまっているゲイも少なくないはず。

リバウンド・マッチョである。

筋肉は最大の防御なのである。

真面目な話してるんだからふざけちゃだめ、ごめんて。


性的マイノリティなら誰でも感じたことのある、差別や迫害。それがトラウマになることもある。バレないように生きてきた人がほとんどである。ハイパー・マスキュリニティは、その延長線上に存在する場合もある。


今日はジムに通いながらそんなことを思った。

日本に住んでいた頃は、ジムに通おうなんて考えたこともなかった。腹筋が割れているのはかっこいいな、とは思っていたが、ムキムキになりたい、だなんて考えたことはない。ただ、アメリカに来て、マッチョなゲイたちを見て影響されたのか。また、ゲイであることを隠さず生活する中で、防衛本能として芽生えたのか。わからない。

ただ、美意識は多分変わった。細い、すらっとした自分が可愛い!と思っていたが、アラサーが近くにつれ、可愛い!には賞味期限があることに気づいた。可愛い!だけで30代、40代を突っ走るのはちょっとイタい。小池徹平を除く。小池徹平は天使。

私は小池徹平ではないので、真面目に筋肉をつけて、筋肉インフレに参入し、ダンディーでセクシーなメンズを目指す。

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