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好きじゃなきゃいけないと思ってた

袖無かさね



大人は、子供に作文を書かせるのが好きだ。遠足に行きました、はい作文。母の日です、はい作文、ってね。今日も、先生があの紙の束を配り始めた。

「一人2枚でーす。」

前に座ってるみんなが順番に振り向いて、原稿用紙をバサバサと後ろの席に流す。

「土曜日の授業参観で、全員に作文を発表してもらいます。テーマは『家族』。家族全員のことでも、兄弟のことでも。」

「先生、飼ってる犬でもいいですか?」

「金魚でもいいですかー?」

教室のみんながどっと笑う。また作文か。まあ、授業参観なんて僕には関係ないけどね。



「ただいま。」

僕は店の奥に声をかけた。いつもの油のにおいのなか、父ちゃんと母ちゃんがクルクルと動いている。

「ニンニク揚げあがったぞ。」

「はいよ。あ、いらっしゃいませ!」

だよね。僕はそれ以上なにも言わずに二階に上がった。今年は運動会も学芸会もダメだった。今度の授業参観だって店を開けてる時間だ。



授業参観の日の教室は、香水とかタバコとか、とにかく子供ではない匂いでいっぱいになった。みんなはソワソワと後ろを振り返って落ち着かない。僕はぼーっと、家の冷蔵庫にアイスは残ってたっけ、なんて考えていた。チャイムが鳴って、先生の気取った声が響く。

「それでは、順番に前に出て発表してください。」

家族で旅行に行きました。私の弟は泣き虫です。一人読み終わるたびに、パチパチと拍手が起きる。次か。僕は昨日の夜に書き殴った原稿用紙を持ってノロノロと前に出た。



「からあげ。三年二組、米山健太。」

ふと目を上げると、父ちゃんが腰を低くして教室に入ってくるのが見えた。え。ウソだろ。僕は急に背筋を伸ばした。もう、そのまま読み続けるしかなかった。

「僕の家はからあげ屋です。お父さんがからあげを作ります。お母さんが袋に入れてお会計します。パックにご飯とキャベツを入れてお弁当にすることもあります。」

僕は息を吸った。溺れそうに息が苦しい。

「今年のお正月に、マキコデラックスが来ました。マキコデラックスはからあげを食べてうまいうまいと言いました。70個くださいと言われたけど、68個しかなかったので、マキコデラックスは68個全部買っていきました。」

クラスが少し笑った。息を吐いてみた。まだ溺れそうだ。

「テレビで放送されてから、遠くからもお客さんが来るようになりました。お母さんがマキコデラックスの写真を店に貼りました。」

心臓があばれて、声がふるえる。

「でも、僕はからあげがきらいです。マキコデラックスもうまいと言ったので、僕もうまいと言わなきゃいけないですが、きらいなのでしかたありません。僕は油のにおいがしない食べ物が好きです。うちの店で僕が好きなのは、ご飯とキャベツです。」

教室が一瞬、しん、となった。僕がそのまま動けないでいると、教室の後ろで大きな拍手をする人がいた。父ちゃんだった。



その日、僕は恐るおそる家に帰った。

「おう、健太おかえり。」

先に帰った父ちゃんの声がした。

「健太、冷蔵庫にアイスあるわよ。」

父ちゃんと母ちゃんそう言いながら店でクルクルと動いている。僕はもうアイスの気分じゃなくなっていたから、何も言わずに二階に上がった。



その日の夜は焼き魚だった。店で余ったからあげは、今日はない。仕事から上がった父ちゃんが冷蔵庫を開けて、缶ビールをシュパっと開けながら僕の前に座った。

「うちの店の米はな、化学肥料を使わない農家から買ってるんだ。安心でうまい米なんだ。」

父ちゃんが僕に仕事の話をするのは初めてだった。

「キャベツはな、その日の朝に収穫したキャベツを使う。鮮度がいいから、甘いんだよ。な、うまいよな。」

父ちゃんは缶ビールをゴクゴクと飲んで、ぷはー、と声を出した。

「うちのからあげもうまいぞ。使ってる肉が違うからな。でもこんだけ毎日油のにおいにまみれてたら、そりゃ、もういいってなるよな。」

チラリと父ちゃんの顔を見た。少し寂しそうだった。ああ、あんなこと作文に書かなきゃよかった。そう思うけれど、声が出ない。母ちゃんが味噌汁を持ってきてくれた。いただきます。三人の声がそろう。僕はうつむいたまま焼き魚をつついた。

「なあ、健太。」

父ちゃんがしんみりと言った。

「ガッカリさせて悪かったな。」

え?

「ここんとこ、お前の学校に行けてなかった。」

父ちゃんはカレンダーに目をやった。

「学校の健太を見るのは久しぶりだった。嫌いなもんは嫌いだって、ああやって堂々と言えるのは、いい。」

僕は少しホッとしたけれど、気持ちは晴れなかった。ガッカリさせたのは僕の方だ。

「ごめんなさい。」

「なにが。」

「からあげ、僕、好きじゃなくて。」

父ちゃんはでっかく笑った。

「なんだ、からあげ屋の息子だからって、好きじゃなきゃいけないもんなんて、世の中にひとっつもないからな!」

父ちゃんの手が、僕の髪の毛をぐしゃぐしゃにした。父ちゃんの手は、からあげの油の匂いがした。僕は、その時、その匂いがちょっとだけ好きになった。





おしまい

photo by chin.gensai_yamamoto





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