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普遍論争と情報化社会に関する覚書

普遍論争とは何ぞな

 普遍論争と情報化社会の関係性について、思ったことをつらつらと書きます。プログラミングをある程度知っている人でないとこの記事はわからないかもしれません。逆にプログラミングを知っている人は知的に楽しく読めるのではないか…なんて。はい。普遍論争とは何か。

中世スコラ哲学において、普遍論争(ふへんろんそう、英: Problem of universals)とは、「普遍」(「普遍者」ともいう、英: universals) の実在に関する論争を言う。これと内容的に同じ議論が、古代から続いており、近代哲学や現代の哲学でも形を変えて問題となっているが、普遍概念をめぐる論争として中世の論争を特にこの名で呼ぶ。

Wikipedia 普遍論争 2024/7/27 閲覧 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E9%81%8D%E8%AB%96%E4%BA%89

 例えば「アリストテレスは人間である」というとき、「アリストテレス」は「個物」であり、「人間」は「類(普遍)」である。このような「普遍」は存在するのか、という問題。

 プラトンはこの世の事物は天上のイデアの不完全な複製だと考えていた。1なる原型のイデアから現実の多数の個物が生まれると。だから、普遍論争の問題は「イデア(原型)」と「現実世界の個物」の関係性の問題でもある。

 この記事はこれに答えを出そうというのではなく、普遍論争の問題に類似した関係性は結構現代社会の根深い仕組みにあるんじゃないかというお話です。

普遍論争とオブジェクト指向プログラミング

 ITの世界でオブジェクト指向プログラミングの仕組みは普遍論争の問題と非常にわかりやすい類似を見せていると思う。オブジェクト指向プログラミングに慣れている人が類と個の問題を見れば、すぐに理解されるであろうが、クラスとオブジェクト(インスタンス)は普遍と個物に正確に対応している。

 クラスはインスタンスの原型であり、そこから多様な個物が生まれる。

 まあ、ある意味「普遍」と「個」の問題は人間の認識の仕組みにかかわる問題であり、翻って、人間の業務(情報処理)を自動化するのがあるITシステムの目的であるから、それが似通ってくるのは当然のことではあるのかもしれない。

普遍論争とクラウド

 そんな感じで、そこから多様なインスタンス(個物)が生まれるクラウドはイデアの世界の模倣物のようにも思える。私は「クラウド」というワードからプラトンの「天上のイデア」を想起せずにはいられない。ITの世界はプラトンの哲学の世界の現実に実現しつつある世界なのかもしれない。それは当然のことではある。プラトンは知の希求者であり、ITの世界は知(情報)の世界であるから。

イデアと情報化社会

 この観点からすれば、近代から始まった工業化とは、情報化社会、イデアの世界の準備段階に過ぎないという見方もできる。工業製品(個物)は設計図(イデア、普遍的な原型)から生まれるものであるから。

 あるいは、資本主義社会とは、貨幣によって表示される価値情報を中心に回る社会である(貨幣の三つの機能、「尺度」「保存」「交換」は貨幣の機能である以前に、「十全な情報」の基本的機能である)。それは、一元的な方法で他の多様な商品(個物)の情報を自らによって表示させるという点で、類と個と類似した合理性を有している。※

※これに関して詳しく書いたものがあったのですが、書籍化のため、note上では今は公開していません。広告を書く気はなかったのですが、載せておきます。以下の書籍に詳しく書いています。

 資本主義社会はそれを機能させる根幹の機構の貨幣が情報であるという意味で、本質的な意味で情報化社会であり、工業化は情報化社会へ至る過程の不可避的な道であったのかもしれない。

 我々はイデアの世界に至る道を歩んでいるのかもしれない。その先にあるのはメタバースであり、人格のデータ化、アップロードであろう。それは人格をそのまま原型としてのイデアにするようなものだ。そして、行き着く果てはアリストテレスがプラトンを批判したように、大量のイデアの氾濫なのかもしれない。

 なんていう、お話。


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