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【小説】神社の娘(第26話 向日葵、秋田犬と闘う)

 野生動物対策課は、朝からてんてこまいだった。

 続々と妖物が出現し、感知器課長こと二宮公英は、続々と「感知」してしまう自身の妖物センサーに辟易していた。

 公英は現場には絶対出ない真の裏方能力者で、人をちょっと小ばかにしたような発言や人の気持ちを無視しがち、子育てには参加してこなかった姿勢から、部下たちからは煙たがられている。

 定時には帰り、休日出勤もなるべくしない面も、孤立を加速させる。

 ただ、それには理由があった。彼も非常に高い能力を持つ者として、悩みを抱えているからだ。

 公英は他の感知能力者よりも、妖物の場所や能力を詳細に感知できる。そのため、体全体の疲労がすさまじい。彼によると、1回の感知で唐揚げ定食1食分お腹がすき、プロ棋士のタイトル戦に3連戦出場した後のように脳が疲弊するのだという。桔梗は飲みの席でこれを聞いた時に「プロ棋士じゃないのによくお分かりになりますね」そう言い氷をがりがり噛んでいた。

 要は疲れるから早く休みたい、酒が飲みたい。平気そうな顔はしているけれど、意外と隠れた苦労もしているのだった。土日は退職した感知能力者、自分の父親に依頼して休めるが、平日はフル稼働。夜に現れないのがまだ救いである。

 そしてまた、彼は感知する。疲労を感じながらも、部下たちに連絡するが、今、手隙の人員は皆無。「ごめん、もう今日は本当に手が足りない。応援くれないかな?」隣の自然環境課に応援を要請した。

 これまで、妖物駆除は1日に一件くらいのものだった。この忙しさが毎日になったらと考えると、たまったものではない。公英は、定時に帰って街で買った地ビールを頭に浮かべる。

 愛妻弁当(と思っているのは彼だけで、妻は…)を食べ終えた瞬間にも、感知してしまった。

「えー、誰に電話すれば…確か桔梗ちゃんたちが」

 ホワイトボードを眺めて迷っていると、タイミングよく課長代理の桔梗と向日葵が帰って来た。

「5分で食って行ってくれない?」何の前置きもなしに命令する。

 桔梗は猟銃ケースを背負ったまま、課長の席の前に立った。

「何を5分で食べ、どこへ行くんですか?主語がありません」

「分かるでしょ、ご飯食べて妖物駆除だよ」

「申し訳ございません。課長ほどアタマがよくないので。それで、場所はどこですか?それは言っていただかないと困りますよ。課長の頭の中に出現されましたか?日本刀刺しましょうか?」

「い、いや、うん…西…」

 

 課長が指示した場所は、西地区の山だった。北西にある役場からならすぐの距離だ。向日葵の運転で、目的地へ急ぐ。

 桔梗と向日葵が向かった先に居たのは、秋田犬風の妖物が2匹だった。爪が異常に発達し、口がなかった。

 葵と同様の有術をもつ桔梗が「秋田犬って、本当はとても可愛いのにねえ」と日本刀を構える。

「じゃ、私ひきつけるんで!あとはよろしくです!」

 身軽な向日葵が犬をひきつけ、後ろから桔梗が挟み込む。あまり頭の良くない妖物のようで、目の前の向日葵しか見えていない。周りの木をうまく使い、うねうねと走らせ、距離を詰めさせないよう誘導する。

 向日葵が軽やかに犬を誘導し、大木の前でぱっと止まると、犬たちが向日葵めがけて飛びかかってきた。ギリギリのところで、向日葵は両手をひっくり返した。

 一匹はうまく倒れてくれたのだが、もう一匹は倒れそうなところを半回転して元に戻り、そのまま降りてする鋭い爪を向日葵に向けてきた。

 桔梗が倒れたほうの犬を青緑色の閃光とともに八つ裂きにし、向日葵の方へ駆けつける。

 あと少しで犬の間合い。というところで、犬は向日葵の肩を作業着ごと、ざっし、と切り裂いた。

 自分の無力さを噛みしめながらも、向日葵は血が流れる肩を押さえずにまた走り始めた。追いかけてきた犬の鼻に思い切り水平蹴りを食らわせる。一瞬怯んだ隙を狙って、体をひっくり返すことができた。

 そして桔梗が倒れた犬を踏みつけ、日本刀でめったやったら刺しに刺す。犬はどろどろに溶けていった。

 犬の最後を見届けた桔梗は、木にもたれかかっている向日葵に駆け寄った。

「すごい出血じゃないの!」

 桔梗は向日葵のリュックから応急箱をとりだし、患部にガーゼをあてた。さらに上から三角巾でしばる。

「…ありがとうございます」

「歩ける?ごめんね、私じゃ男の人みたいに運べなくて…」

「すんません、無駄にでかくて…」

 向日葵は肩から流れる血の感覚を感じながら、立ち上がった。
 痛みに耐えつつ一歩一歩、慎重に歩く。桔梗も向日葵の肩を抑えながら、歩みを合わせる。

「つらいよね。唐揚げに電話してみる」

「いや、かちょーに来てもらっても…」

「治療できる人をここに呼んでもらうとかさ」

「あー、なるほど…」

 本当に自分は妖物相手には役立たずだ。

 向日葵は最近、毎日実感していた。課の中で一番の役立たず。葵や桔梗のように妖物を駆除することはできないし、距離を取ってサポートすることができない。どうしても相手の懐に飛び込む必要があり、怪我をしやすい能力。

「なんで出ないのよ、あの唐揚げ定食!ごめん、車までもう少し…」

 向日葵は痛みと出血で頭が回らなくなってきていた。歩くのも限界になり、その場に倒れ込んでしまった。

「ちょっと!どうしよう、他に誰か」

 意識が遠のく中、向日葵の頭に浮かんでくるのは葵の姿だった。

「向日葵!!」

 葵の声がした。

 幻聴だろうかと思いきや、本人だ。

 ケガを負った向日葵を認め、葵は駆け寄ってくる。が、それよりも素早く彼女に辿り着いた者がいた。

「ひーまちゃーん!!」

 向日葵の兄、樹だった。意識がもうろうとした向日葵だったが、兄の声とドスドス走ってくる振動で意識がはっきりしてきた。

「げっやば、あにきいい」

 そして樹は妹を軽々と担ぎ上げ、さっさと運んで行ってしまった。

「ちょっと樹ちゃーん!!」

「病院に!行って!きます!!ひまちゃん、死なないで~!!」

 周りの草木を破壊するかのごとく、樹は向日葵を抱えて走っていった。それを呆然とみているしかない三宮二人だった。

「…この辺で仕事だったの?」

「はい。ここから400mくらいむこうのほうで」葵は向日葵が背負っていたリュックを拾い上げる。

「…近くに二人がいてよかったわ。私じゃ運べないし…私の有術がもっと強ければなあ。葵みたいに一発で仕留められてたら、間に合ったんだけど…」

「大丈夫かな向日葵…」

 葵のつま先は、向日葵たちが消えたほうを向く。今すぐにでも診療所に行きたい。その気持ちは仕事より勝るのだが、樹が連れていってしまった手前、自分まで行くわけにもいかない。

 それに、上司である桔梗を無視し、一人残すこともできなかった。

「ひどい出血ではあったけど、幸いここから診療所近いしね。確か今日からだっけ?青葉君の勤務」

 彼が絶対聞きたくない単語、青葉。

 その単語を聞いただけでも葵はらわたが煮えくりかえってくるが、上司の手前、何とか抑えた。

 先日は抑えきれず向日葵たち迷惑をかけたし、ぶっ叩かれたしで散々だった。今、不機嫌になっても、ぶっ叩いて、さらに受け入れてもくれるパートナーは不在だ。

「そう、らしいですね…。とりあえず役場、帰りますか」

「うん、そ…」

 帰ろうとしたその時、桔梗の電話が鳴った。〈唐揚げ〉からだった。

「はい桔梗です」

『桔梗ちゃん?電話してくれたみたいだけど、仕事終わったってことだよね』

「いえ、さっきのは」

『じゃあさ次の仕事行ってくれる?はあ、今日さ、唐揚げっていうかもうあれ、カツカレー大盛100皿消費」

「頭にぶっかけてやろうか」

『なに?』

「何でしょうか?」

『ああ、いやね、ちょ~っと強そうなんだけど、平気かな~女子二人で~?』

 桔梗は葵が手にしているリュックを分捕り、地面に叩きつける。

「あ・お・い、と頑張ります」

『ん?葵クン?』

 次の場所を聞いて桔梗は即、電話を切った。

「唐揚げって登録してるんですか…」

「仕事は有能だけど、それ以外がムカつくから。特にあの腹」

 桔梗はほっそりとしながらも鍛え上げられた筋肉を持つ手で、スマホをぐっと握る。

「画面に〈二宮公英〉とか〈課長〉って出るの、嫌なの。名前を〈唐揚げ〉にすることで私は人間、奴は肉であるという優越感を感じ、課長の顔を唐揚げにすることで、心の中の聴衆の笑いものにしているの。小さい人間なのよ私は」

 葵は「俺も変なあだ名で登録されているのか?」などと一瞬想像したが、すぐに向日葵の無事を祈る方に頭を切り替えた。

 向日葵がケガをしても、何もできない自分の無力さを呪いながら、次の現場へ向かった。

 「早く!せんせえ!いもおと死んじゃう!」

 樹は涙を流しながら村唯一の医療機関、三宮診療所の裏口に駆け込んだ。有術関係のケガは裏口から診察を受けるというルールがあり、一般患者とは別扱いされている。

 うっすら意識のある向日葵は「これだから嫌いなんだよお!」と叫びたくて仕方がない。けれど、動かない体では、兄に反抗できなかった。

 ほどなく、裏の診察室に青葉がやってきた。看護師に向日葵の上着を脱がせるよう指示し、傷口を確認する。

「結構深くやられたね。じゃあ治療するから」

 幹部に手を当て、有術を込める。1分ほどで傷口はキレイさっぱり消えてしまった。

 青葉は念のため、反対の肩や腕、足など他の箇所にもケガはないか調べる。女性にだらしなく、向日葵と遊びたいと話していた彼だが、仕事中は一切、そういう邪念はない。医師でいる間だけは真面目なのだ。今も、すべてが無駄なくてきぱきと事が進んでいる。

「ケガは肩だけみたいだね。じゃあもう大丈夫かな」

 血の跡は残ってしまっているので、それを看護師が拭く。これで治療は終了だ。

「ありがとうございます、青葉先生」

「いやー、向日葵ちゃんに先生って呼ばれるの恥ずかしいなあ」

 治療が終わり、幼いころから知る向日葵に声を掛けられた青葉は、「三宮青葉」医師から「三宮青葉」個人に切り替わる。

 てきぱきしていた彼は消え、穏やかな顔を見せる。

「治せるのは傷だけで、体力は戻ってないからさ」

 と、青葉はむき出しになっている彼女の形のいい肩を見た。

「辛かったら、もう家に帰って休んだほうが良いよ。職場行ってもいいけど、無理しないでね」

「わーよかったネ、ひまちゃん!」と、樹は妹に、自身の上着をかけた。

「ありがと…」

「青葉ちゃんありがとう!それにしても、ほんとにお医者様~!ドクターの青葉ちゃんかっこいいね~」と、樹は青葉のスクラブ姿をまじまじと見る。

「有術の治療は医療行為じゃないから、今は医者じゃなくて、能力者としての仕事だけどね」

「治療してくれるんだからドクターには変わりないわよう。あそうそう、久しぶり~!何万年ぶりかなあ」

「久しぶり樹ちゃん。1万2000年ぶりくらいかな。まあ、風邪とかさ、そういう時でも気軽にきてね、向日葵ちゃん」

 青葉は人当たり良く、優しそうな表情を向日葵に向ける。

 葵から裏の顔を聞いている向日葵だが、彼はいつも穏やかスマイルだし、言葉も温かで丁寧だ。本当に葵が言うような女性の敵なのか、疑問に思ってしまうほどだった。

「はい。今日はありがとうございました」

「じゃ、お家かえろう」

「いや報告するから職場行くわ!」

 と言い合う兄妹の背中を見ながら、「やっぱり向日葵ちゃんはスタイルがいいな…」とつぶやき、ほれぼれする青葉だった。

 看護師が「青葉先生、患者さん」と呼びに来たところで、緩んだ顔が引き締まり、医師に戻った。


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