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【小説】神社の娘(第28話 橘平、春休みに期待する)

 蔵の段ボールも念のために開ける―

 そのため本日、4人は八神家に集まった。

 早速、蔵で残りの段ボールを開封しているのだが……箱から出てきたのは、ケースに入ったプラモデルばかりだった。

 橘平としては予想通り。さぞや3人はがっかりしただろうかと思えば、桜は「プラモデルってこんなに…美しいものなの…?」その洗練された造形に見惚れていた。「いや、別次元だろこれ」葵も同様に、その美しさに舌を巻く。

「うわあ、今にも発進しそうな戦艦ねえ!マジ人が乗ってそう!」

 向日葵は戦艦プラモを頭上に掲げてさまざまな角度から眺める。葵も隣に座ってその戦艦を「そのロボアニメ子供のころ見てたけど、テレビから出てきたような、いやそれ以上だな」と評した。

 期待外れの中身とはいえ、祖父の作品を褒められて、孫として悪い気はしなかった。やはり祖父の技術は素晴らしいものなのだ。

「ん?これって折り紙…折り紙か…?」

「折り紙ですよ。父さんの作品っすね」

 次に葵の開けた段ボールには、こちらもケース入り、幸次の模型折り紙作品が入っていた。葵はその一つ、ティラノサウルスをじっくりと観察する。

「これが紙?プラモデルじゃないのか?」そう尋ねるほど、精巧精密である。

「八神課長、意外なトクギ~。あらこっちはお皿?」

 向日葵が開けた段ボールには、橘平の伯父による木工食器が入っていた。工務店を営む伯父は、端材で食器やおもちゃなど、さまざまな作品を作っている。もちろん、素晴らしい出来だ。

「これ売り物じゃね?これにご飯盛り付けたらオイシソ~」

「持っていっていいっすよ」

「いいの?!」

「使わないからここにあるんですもん。伯父さんもいっぱい作っちゃうからさー」

 ということで、向日葵は気に入った木工食器をもらっていくことに。

 持ち返る食器を選んでいると、「どこで使うんだ?」葵が質問する。

「え?何その質問?自分ち以外あるの?」

 葵はその返答に、誰にも聞こえないような小さな声で「夕飯作っていかないのかよ」と呟いていた。

 今回は先日のような「重い」空気はなく、冗談も飛び交う段ボール開封作業だった。やはり八神の「お守り」は効くのかもしれない。そう感じた橘平だった。

 

 すべての箱を開けた彼らは、橘平の部屋で一休みすることとした。

 部屋の主は小さな丸テーブルを出し、その周りに橘平、葵、桜が座った。向日葵はベッドに腰かけている。

 そして彼らは水曜の会合について、野生動物対策課の最近の仕事について、橘平に語る。

「毎日毎日、妖物がわんさか出てくるわけじゃないんだ。ムラはある。けどまあ、毎日それなりに出るな」

 事態は少しずつ悪くなっているということだ。

「そうなんだよね~しかもむちゃつよが増えてきてさ。職員が一人増えたところで、って感じ!」

「あさひさんだよね、増えた職員って」

「結構強い人だから、入ってくれて助かるけど…」

 あさひは桜のいとこで、最近、野生動物対策課に配置された職員。桜がほんの少し、勉強を教わっていた人物でもある。

「しかもさ、ついに休日出勤シフト組まれちゃった!土日も職場とか辛すぎ!!」

 向日葵は後ろに手をつき、天を仰ぐ。「いちおー今週ないけど、来週土日あるんだわ~つら。それで振休なしとか感知器マジ最悪。いや、感知器の上か、決めてるの」

「それにさ、全部は読んでないけど、うちの史料、やっぱりまもりさんに関する記述はなさそうで…」

 仕事量に辟易する役場組、手掛かりが得られず困り顔の桜。

 彼らを前に橘平は両腕を組み、「むー」と唸り難しそうな顔をする。そして、「じいちゃんに聞くか!」と、両手で膝を叩いた。

 少年以外の3人はぴた、と静止した。確かに妙案である。

 橘平は「まもり」について話を聞いたことがある。ということは、より「まもり」と年代の近い祖父のほうが、情報を持っているに違いないのだ。

 やはり、自分たちで調べる癖がついてしまっている3人は、誰かに尋ねることを忘れてしまっている。

「でも今日明日は無理で。ばあちゃんの親戚の法事でいないから。今度…」

「じゃあプラモデル!プラモデル教えてもらいながら聞きましょうよ!」

「あ、そうだ、それがあった!いい口実!プラモデル作ろう」

「作る作る!プラモデルってどういうのがあるのかしら、私でも作れるかな」

 話を聞くことがメインであるのに、桜はプラモデルという遊びのほうに気が向いていた。楽しみができたことに興奮気味だ。

「うええ、いいな楽しそ…」

「桜さん、遊びもいいが話を聞くの、忘れるなよ」

「も、もちろんよ、そっちの方が大事だもん!」

「ライシュウだよね?わたしシゴトじゃん…もーやだー」と、向日葵はベッドに上半身を横たえる。

「俺も来週の土日は来れないんだよな」

 向日葵は勢いよく飛び起き、桜の隣に座った。

「ちょっと、じゃあ桜ちゃん、一人で八神家くるの!?」

「あ…そっか…え、どうしよう…」桜は忘れてたという言葉がぴったりな顔をする。

「葵、何の用事あんのよう!」

「シフト表見ろ」

 向日葵がスマホで課内用のスケジュールアプリを開くと、土日のシフトに「葵(攻)・向日葵(支)」と割り振られていた。つい「おかしい」と口にしていた。この間確認した時は係長の名が書かれていたはずなのだ。

「交代してほしいって言われた」

 ううう、と桜が小さく唸る。今日だって彼女は、一人でバイクを駆って八神家にやってきているはずだ。

「何が問題なの?一人で来ることの」橘平は理由を尋ねた。

 桜は細く息を吐いた。

「……あのね、私、一人で男の人と会っちゃいけないの。葵兄さんは保護者みたいなものだから例外で」

 ここでもまた、箱入り娘の断片が見られた。彼女は会う人間にも制限があるらしい。

「だ、黙ってればバレないんじゃないの?」

「そうだとは思うけど、ほら、昼間って夜と違って結構人の目があるから…よく見てるんだよね、村の人って。前にお母さんが、疲れて道端に車を止めてそのまま寝ちゃって。それくらいでさ、うちに連絡くるんだ。奥さんこんなことしてたけど、一宮家として恥ずかしくないの、なんて」

 お伝え様は村の中で一番エライ家、尊敬するべき対象。そう幼少から言われて育った橘平は、その裏側を垣間見た。

 娘の普段の行動を縛り、村の人間も家族の行動を逐一監視している。橘平は言いようのない違和感を覚えた。

 「ああ、そう、親戚のおじさんも例外…おじさん…」桜は手をぱちんと叩き、まるで勝利を喜ぶサポーターのごとく、興奮した様子で声を上げた。「そうだ!おじさんだ!橘平さんじゃなくて、おじさん、おじい様に会いに来たことにすればいいんだわ!」

「どゆことよ?」

「うちの人が言ってるのってさ、若い人と1対1で会っちゃいけないってことでしょ。おじいさんならいいじゃない!手先が器用な八神のおじい様に工作を教えてもらう。これで解決したわ!美術の課題とかなんとか言って」

 これでいいの?と橘平は目をぱちくりさせた。深刻そうな悩みだったわりに、あっさり解決してしまった。

 とは言え、桜が我が家に来てくれるのならなんでもいい。そう桜の解釈を聞いていた橘平だった。

 それとは別に、橘平はさきほどの「シフト」を聞いたときに、思うことがあった。

「あの、来週の土日、一日は桜さんとじいちゃんに会うとして、もう一日。お二人の仕事に同行させてもらえませんか?」

 葵と向日葵の休日出勤に付き合えないか、ということだ。

「普段の妖物との闘いってどういうものか、知りたいんです。お願いします!」

 妖物を見たのは一度きり、あの巨大な怪物だけだ。彼らが相手をする通常の妖物も見ておきたかった。平日に彼らの仕事を見学することは不可能だが、土日であれば可能かもしれない。

 向日葵は口をちょこんと突き出し、目線だけ葵に向ける。葵も視線を返す。

「……危ないっちゃ危ないけど、アオがいりゃすぐ討伐できるから大丈夫じゃない?」

「いいんじゃないか。あのデカブツと対峙して生きてたわけだし。必ず出るとは保証できないけど」

「ありがとうございます!!」

 ◇◇◇◇◇

 これから自分が出会うかもしれない、悪神の影響で出現しているらしいバケモノのことを知りたい。

 向日葵たちの仕事を知り、何もできない自分でもできることを見つけたい。

 家に伝わるお守りの秘密を解き明かしたい。

 まもりのこと知りたい。

 桜を守りたい。

 橘平はやりたいことが山積みである。これから訪れる春休みは忙しくなりそうだと、なぜか嬉しくなった。

◇◇◇◇◇

「あ、そうだ!最近父さん、アクセサリー作りにはまってるんすよ」

「パパがアクセサリー??」

「意外っすよね。もともと、母さんにプレゼントするために作り始めたんです。細かい作業好きだからか、そこからはまっちゃって」

「へーへー、どんなの作ってんの?」

 向日葵はベッドから降り、丸テーブルに腕を付いて目の前に座る橘平にずいと近づく。

「主に女性もののネックレスとかイヤリングとかいろいろ。作り過ぎちゃってたまってるんです。向日葵さんと桜さん、良ければどうです?結構キレイっすよ」

 女性陣の目がキラキラし始めた。二人とも「見たい!!」と同時に発した。

「じゃ、持ってくるんで待っててください」

 橘平は立ち上がり、父のいる部屋へと向かった。

「あの素晴らしい折り紙作品をお作りになるんだから、きっとアクセサリーも素敵なんじゃないかしら」

 桜は期待に胸を膨らませる。向日葵もそれは同じで、桜と腕を組んで「楽しみ~!」とワクワクしながらアクセサリーを待っていた。

◇◇◇◇◇

「父さん、ちょっといい」橘平は2階の奥にある、四畳ほどの小部屋をノックする。

 ここは父の趣味部屋だ。家を建てるときに、わざわざ設計に組み込んだほどに所望した空間。それ以外は実花の好きにしていいという条件付きだ。

 幸次が扉を開けた。「何?」

「桜さんと向日葵さん、アクセサリー見たいって」

「本当に?」幸次の瞳に星が宿る。「すぐ行く」そういってA4サイズほどの小物入れを3箱手にし、趣味部屋を出た。

◇◇◇◇◇

 

 しばらくすると、口角の緩んだ幸次が橘平とともに部屋へ入って来た。

「俺のアクセサリーに興味持ってくれたみたいで。好きなの持ってってよ」

 幸次は丸テーブルの上に箱を置いた。桜と向日葵が思い描いていた「ハンドメイドアクセサリー」とは、一線を画す作品が並んでいる。

「ええええ!?これ、全部、八神かちょーが作ったんですかあ!?」

 向日葵は驚きと興奮で声が裏返る。桜は言葉がでてこない。

「そーだよ。結構上手でしょ」

 素人とは思えない作りで「デパートに売ってるレベルじゃないですか、これ!?」向日葵はそう表現した。

 興味のない葵ですら「これはすごい…」と零す。

 既存のハンドメイドパーツを改造したり、組み合わせを工夫して作っていると幸次は話す。しかし、きらめきが本物のジュエリーのようである。加工すればいいと幸次は何でもないように言うのだが、そんな簡単な技ではないだろうと思われた。

「実際にね、某高級ブランドのデザイン丸パクリしてるんだ。いわば海賊品だよねえ。これみて」

 と、幸次はプリントアウトしたデザイン元の画像を何枚か見せる。

 見分けがつかないほど酷似していた。出品したら捕まるかもしれない。

「あの、本当にこれ、いただいてもいいのでしょうか…?」

「どうぞどうぞ。作っても母や妻以外にプレゼントする人がいなくてさ。気に入ってもらえたならいくらでも」

「ええ、じゃあ……このペンダントいいですかあ?」

 向日葵が手に取ったのは、小粒のダイヤモンド風のペンダントトップがついたデザイン。シンプルで普段使いのしやすいものだ。

「いいよ。ちょっとかして」

 幸次はペンダントにエンドパーツとして小さな丸いチャームのような物をとりつけた。

「何つけたんですか~?」

「一応、俺が作った印。ブランドロゴ」

 チャームには八神家のお守り模様が刻印されていた。

 彼も八神家の人間であったのだ。それをみた橘平は思い切って、父に聞いてみた。

「父さんはさ、そのお守りについてなんて聞いてる?じいちゃんとかから」

 黒縁眼鏡の奥の穏やかな瞳が、ほんの少し厳しく光る。

 橘平は父に微かな違和感を持ったが、幸次すぐにいつもの優しい紳士の顔に戻った。

「ん?事故が起きないとか、成績あがるとか、あと悪いお化けから身を守れるって聞いてるけど」

 悪いお化け。それは悪霊「なゐ」や妖物のことではないだろうか。一同は同じことを考えていた。

「ほ、他には。あとその」

 橘平は唾を一度飲み込み「まもりさん、とか」彼女について聞いてみた。

「まもりさんねえ、かわいそうな人としか。すっごい手先が器用だったとか。そんなもんだよ。なんで?」

「あ、いや、じいちゃんがなんか話してたなあって。ちょっと気になっただけ」

「あ、そ」

 幸次はそこで息子との会話を終わりにし、「桜ちゃんはどれがいいかな?」

「では…これ」

「一つでいいの?」

「じゃ、じゃあお言葉に甘えて…」 といくつかアクセサリーを選び、幸次ブランドのロゴを付けてもらった。

「裸で持ってくのはあれだからさ、袋持ってくるね」

 幸次は一旦、部屋を出る。

 小さい紙袋を手に戻り、「橘平、なんか絵でも描いて、ここにアクセサリーいれてあげて。あと、俺のブランドロゴも入れてね」

 へいへい、と橘平はサインペンの細字の方で、小さな袋の表にそれぞれ「さくら」と「ひまわり」のイラストを描いていく。その鮮やかな手腕と迷いない筆運びに、3人はくぎ付けになった。まるで本物の花が、その袋に映されたようだった。

 そして袋の裏面には、八神のお守りも添えて。「桜さんは来週も学校がめっちゃ楽しいように、向日葵さんは安全に仕事ができますように」そう唱えながら橘平は模様を描いた。

 橘平からアクセサリーの入った小袋を受け取った桜は「こんなに素晴らしいものをいただけて、とても嬉しいです!」あらん限りの感謝とアクセサリー以上のきらぴかオーラを幸次に送った。

 この純粋な喜びは幸次の心に沁み込み、さらに涙腺も破壊した。彼の目から大粒の涙が滝のように流れだす。

 みな驚いたが、中でも父親の大泣き姿を初めて見た橘平は3人よりもびっくりしていた。

「父さん!?ど、どうした!?」

「こ、こんなに喜んでもらえ、ぶえええ。良い娘さんだああああ」

 そこへばっちりヘアメイクした母親の実花が、お茶とお菓子を持って息子の部屋に現れた。

「あおい、じゃなくて、みなさま~お茶…お父さん!?」

 もちろん、実花もこの状況に仰天し「何、なんで泣いてるの、涙でメガネ溶けるんじゃないの!?」と混乱した。

◇◇◇◇◇

 
 幸次の感動も収まり、3人は「そろそろお暇しますね~」と帰宅することにした。

 それぞれが玄関を出ると、幸次が向日葵だけを呼んだ。

「なんですか~」

「手出して」幸次は向日葵の手のひらに、小さな紙袋を載せた。紙袋の表には「アオイ」のイラストが、裏面にはお守りが描かれている。

 さっき橘平がこそこそ何か描いていたのはこれだったのか。向日葵は帰り際の光景を振り返る。

「これ葵君に。いらないかなあと思ったけど、せっかくだからお土産に。俺からもらっても嬉しくないと思うから、君からさ」

「え~嬉しいと思いますけど?呼んできますよ」

「いやいや、向日葵ちゃんから」

「…分かりました。あとで渡しときます。じゃあ、今日はありがとうございました!また職場で~」

「うん、またね」

 幸次はひらひらと、向日葵に手を振った。

「さっちゃん」

 向日葵はたたた、と小走りで、バイクに乗ろうとする桜に駆け寄る。

「アクセサリーの入った袋、しばらく持っててみて」

 桜がバイクに乗り出発しようとしたところを、向日葵が引き留めた。

「え?なんで?」

「橘平ちゃんの描いたお守りは『よく効く』はずだから。あ、一回しか効かないっぽいけど」

 桜は目をぱちぱちしていたが「わかった」と頷き、先に道路へでていた葵とともに帰っていった。

◇◇◇◇◇

 古民家に帰って来た葵は、上着と靴下を脱ぎ、ソファで考え事をしていた。

 先ほどの、八神家の手先の器用さを思い出す。

 素人とかプロとか、そういうレベルとは思えない作品の数々…あれが橘平の「使える」有術に関係しているのだろうか。

 素晴らしいものが作れる、などという有術は聞いたことがない。そもそも、妖物を駆除するための能力であり、何かが作れることが駆除に役立つのか疑問である。

 作れると言えば、能力者たちの日本刀などの武器だろうか。そう考えたが、各家に伝わる武器類は、一宮家から賜ったものと聞いていた。

 何もヒントが出てこない中、がら、っと玄関の開く音がした。

「無遠慮に開けるなんて泥棒か?それともお父さんか、もしや青葉……」

 鍵をかけ忘れたことに気付き、葵は誰が来たのか注意しながら玄関に向かう。

 すると、そこに居たのは向日葵だった。左肩にトートバックを掛けている。

「あれ、桜さんもいるの?」

「ううん、私一人」

 彼女は絶対、一人でこの古民家に来ることはなかった。ひどく珍しいことだった。

「これ渡しに来た。きっぺーパパがね、私から渡してって」

 向日葵はアオイが描かれた小袋を手渡す。しっかりと葵の目を見て「お土産だって。この袋の裏にさ、きっちゃんが描いたお守りが書いてあるでしょ。アオもこの袋、しばらく持っててみて。多分、いや必ず効果あると思うのよ」

 葵は八神のお守りの図柄を見つめた。

 先日、トラが向日葵の頭上で一瞬止まってみえた。この模様には相手を静止させる、もしくは一定範囲内に踏み込ませないような効果があるのではないか。葵はそう推測していた。向日葵との「仲直り」はあくまで己の意志であり、能力は関係ないと確信している。

「…仕事で使ってみるか」

「兄貴とかにばれないよーに。こっそりだよ」

「分かってる。わざわざありがとう」

 それで向日葵は帰るだろうと思った。

 予想に反して、向日葵は家に上がり、「夕飯を作ってから帰るよん」とすたすた台所へ向かっていった。

「え」

 誰も見ていないところでさえ距離を取ってきた彼女が、2人きりの場所で夕飯を作ってくれるという。

 仕事と桜が関係していること以外、つまりプライベートで2人になったのは――菊が亡くなって以来。二人が高校生の頃である。

 夢でも見ているのだろうか。葵は向日葵の行動が信じられなかった。

 向日葵は夕暮れ色に染まる台所の電気をつけ、テーブルの上にトートバックを置いた。

「なに作作るんだ?」

「卵かけごはん~」

「なんだよそれ、俺でも作れる」

 トートバックから、向日葵はスーパーで調達した食材を取り出す。

 ウインナー、ピーマン、玉ねぎ、そして-。

 乾麺パスタの袋がでてきた。400g入り、1.8mm、茹で時間は11分。

「卵かけごはんって」

「てきとーに言っただけ」

 向日葵は冷蔵庫を開け、「うん、やっぱケチャップとソースとバターあったわ。良かった」ケチャップとソースを取り出し、扉を閉めた。

「じゃあ葵君、君にナポリタンの作り方を教えてあげましょう」両手にケチャップとソースを掲げながら向日葵は言った。

「作ってくれるんじゃないの」

「文句あんの」

「別に…」

 葵は古民家で一人暮らしをするようになってから、向日葵が台所に立つ時はお茶でも何でも、一緒にいるようにしてきた。

 そんな時でしか、彼女の側にいられないからだ。桜は第三者としてそれをよくわかっているし、向日葵もその行動の意味は察していた。桜がいるので大きな声でどっか行け、とも言えないし、葵は常に微妙に遠くて近い、ぎりぎりの距離を保っていた。一線は超えてこなかったのだ。

 そういう訳で、料理をするときも一緒に台所に立っていた。彼女に指示されたお手伝いはしてきたのだが、教わるのは初めてだ。

「お鍋に水いっぱい入れて、お湯沸かしてちょうだい」

 葵は言われた通り、鍋に水を入れ、コンロにかけた。

「その間に具材を切りましょう。大きさはとやかく言わないから、食べやすくね」

 小さめの玉ねぎの皮をむき、葵は輪切りを始めた。

「ちょいちょい、なんでそーなる!?食べやすいそれ!?」

 言われて葵は手を止める。

「…食べにくいな」

「櫛切りしようよ~半分に切って!」

 向日葵指導の下、葵は玉ねぎのを櫛切りにした。一応、包丁の持ち方はそれなりの形である。

 続いて、ピーマン。向日葵相手とはいえ、見られていると緊張し、葵はどのように切っていいのか混乱してきた。

 とりあえず縦半分に包丁を入れた。そこで手が止まる。

「どしたの?」

「いやその、種」

「うん、手でほじればいいんじゃない」向日葵はピーマンの片割れの種をとる。葵も、もう一つの方の種をとった。

 葵は半分になったピーマンをさらに縦4等分にする。細ければ食べやすいだろうと思ったからだ。

「こんなもんでいいか?」

「いーんじゃない。じゃ次。ウインナー切って」

 斜めに切る、などというオシャレな発想は葵にはなく、ぶつぶつと切る。食べやすいというより細かくなったが、向日葵は特にコメントしなかった。

 水が沸騰してきた。

「アオ、お鍋にお塩ひとつまみ。そしたらパスタ200g入れてね」

 葵は袋から約半量の乾麺を取り出した。

「俺ひとりで、こんなに食えるかなあ」

「何言ってんの、二人分だよ」

「は?」

「私も食べんの」

 葵は麺を天板の上にばらばらと零してしまった。二人きりでご飯を食べるなぞ、これまでの向日葵なら絶対に避けることだ。

「ぎゃ、ちょっと!!」

「ごめん!」葵は急いで麺を回収する。

 ぷすーと向日葵は息を吐く。

「なーんか、勘違いしてるんじゃない?」

「か、勘違いって」

「葵が考えてるよーなオイシイ話はありません!私は料理を教えに来たの。なんで私も食べるのか、あとでちゃんと言います。ほれ麺入れて」

 指示通り、葵は麺を鍋にぱらぱらと差し入れた。一緒に食べると聞き、オイシイ話も少しは期待していたが、無いらしいとのことで少しがっかりもしつつ、予想通りでもあった。

 鍋のパスタの様子を見ながら、「で、野菜とウインナーを炒めるわけだけども」向日葵は冷蔵庫からバターを取り出し「ゲストに美味しいご飯を食べてもらいたい!もてなしたい!ってめっちゃ思いながら作って」と言った。

「はあ」

「はあじゃないよ。葵ってさ、食べられればいいって思って作ってるでしょ」

 実際その通りで、葵は目分量で適当に作っていた。彼の手伝いの様子をみていて、向日葵はそう感じていた。

「そこだよ、上達しないの。下手こそきっちり材料は計って。そんで」

 向日葵はフライパンを葵に手渡す。

「心を込める。誰かのためを思って作る。一人のご飯でも、自分をゲストだと思って料理するのよ」

 向日葵はバターを分量通りに切るよう指示する。

「今日、私も食べる理由はそこだよ。私は今日、三宮葵さんちにきたゲストなの」

 そういうことか。葵は向日葵も食べるという理由に納得した。

 

 向日葵に美味しいナポリタンを食べてもらおう。

 楽しい夕食にしよう。

 

 その気持ちを強く持って、フライパンにバターを溶かした。

「おもてなし、してね」

 やけに艶があり何かを期待させる声で唱える彼女の言葉に、返事をしようと葵は口を開いた。

 しかし向日葵はニコッと「きっぺーちゃんみたいにね」と付け足す。

 最近、常に付きまとう八神橘平の影。さまざまな出来事のあとに、向日葵は彼の名を口にする。

 よく彼を抱きしめたり腕を組んだりしているけれど、見るたびにかなり羨ましかった。彼にやきもちを焼いても意味はない。一応、葵も少年のことは「大好き」である。それでも心にくすぶる何かを、葵は消せないでいる。

 

 橘平のカレーより美味しいナポリタンにしよう。

 その気持ちも加わった。

 葵は向日葵の指示通りの量を計り、ケチャップとソースも加えて野菜たちを炒めた。炒め終わった頃にパスタの様子をみると、アルデンテ、よりは柔らかめだけれど、食べやすい硬さに茹っていた。葵はパスタをざるに空け、湯切りをする。

 彼がパスタと具材を炒めている間、向日葵はトートバックから何かを取り出し、シンクで洗っていた。

「これでどうかな」

 向日葵監修、葵作のナポリタンができあがった。

 台所に香ばしいケチャップの香りが漂う。バターを多めに入れたこともあってか、ほんのり、その匂いもする。

「おいしそーにできたじゃない!じゃ、このお皿に盛ってね」

「あ。この皿…」

 向日葵が天板に置いたのは、八神家でもらってきた木工の大皿2枚。数種類の木材を組み合わせて作られており、異なる模様同士がコラージュ作品の様相を呈している。

「オシャレな古民家カフェ風ナポリタンみたいになるかな~って!」

 葵が小声で言ったあのセリフ、実は向日葵に聞こえていたのかもしれなかった。

「さーて、出来立て食べましょ~」彼女はナポリタンを居間へ運んでいった。

 絶妙に遠い位置である。
 向日葵はナポリタンの載った皿をテーブルの端と端、いわゆるお誕生席同士に置いた。
 4人でいるときは、ソファに高校生たち、お誕生日席に葵、その角隣に向日葵、という席順である。今日もその通りか、もしくはソファ側に葵が座って対面か、と思っていた。
 まさかの端同士。ドラマや映画でよく見る、お金持ちの家の食事シーンのようだ。
「なんでこの位置なんだ?」
「変なコトされないよーに」
「なんだよ変な事って」
「今までのコト反省しろ!私の中で、葵の信用度はちょー低いから!いただきます!」
 多少は、向日葵の言う「変なコト」もチャンスがあればと考えていた葵は心の中舌打ちしつつ、「いただきます」味に期待せずナポリタンを口にした。
 想像していたのは「ただのケチャップ味」だった。
 しかし、口の中に広がったのは甘く懐かしい、そしてバターのコクが効いたナポリタン。細かくなってしまったウインナーでも十分、肉のうまみは感じられ、ケチャップ味とよく合う。
「…おいしいかも」
「かもじゃないよ、すっごく美味しいよ」
 顔をパスタから向日葵に移す。もう外はとっくに暗くなっているというのに、彼女だけは昼間のように明るい。名前通りだ。
「向日葵の言うとおり作ると美味しいんだな」
「わたし天才だからそれもあるんだけどお」くるくると麺をフォークにからめる。「やっぱり気持ちだよ。ちゃんと、私をお客様だと思って作ってくれたのね~ありがと」そう言ってナポリタンを口に入れた。
 もぐもぐと美味しそうに食べる向日葵を見て、「橘平君のカレーよりうまいか?」その言葉がのどまで出かかった葵だが、高校生相手に対抗しているようで恥ずかしくなった。その代わりに、
「一人で食べるより、向日葵と食べる方がおいしいな」そう伝えた。
 向日葵は赤くなっているだろう顔を隠すために、ひたすら皿を見てパスタを食べ続け、頭を別の方向にもっていくために、適当な雑談をし続けた。

◇◇◇◇◇

 夕食を終え、洗い物も済ませた向日葵は帰り支度を始めた。
「ほいじゃ、お邪魔しました」
「もうちょっといれば?」
「今日は古民家カフェのお客だから。食べたら帰る」
「カフェならゆっくりしていいんだぞ」
「…私はすぐ帰る派なの!」
 そう言って向日葵は大股で玄関に向かった。
 上がり框に腰かけてパールのビジューが付いたフラットパンプスに足を入れると、向日葵は葵の方を振り向き、手を差し出した。
「あくしゅ、しよ」
「握手?なんで?」
 向日葵の瞳が潤んだように見えた。
「私ができるのはここまでなの」
「…手を繋ぐ、じゃだめなのか」
「握手。政治家みたいな握手しよ」
 差し出された手のひらから、彼女なりに葵の事を思っているのを感じた。今はまだ、彼女からは、ここまでなのだ。彼女の精一杯を受け止め、葵は固い握手を交わした。
「ばいばい」
 向日葵は引き戸をあけ、手を振って帰っていった。
 葵は握手した右手をじっと見つめ、ゆっくり握り返す。向日葵の「精一杯」がまだ手に残っているような気がした。
 たった半歩でも一歩でも、彼女から歩み寄ってくれたことが心から嬉しい葵だった。

◇◇◇◇◇

 ソファに胡坐をかいて座った葵は、幸次からのお土産を開封した。
 ダイヤモンド風のペンダントトップがついた、シンプルなペンダントだった。
「向日葵がもらってたのと似てる?」
 それ以上は気にせず、お守り模様を確認した葵は、空になった小袋を通勤バックに入れた。

◇◇◇◇◇

 そして翌週、桜と葵は「お守り」の効果を実感することになった。


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