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【小説】神社の娘(第29話 実感-クラスメイト、そして豚退治)

 翌週、桜と葵も「お守り」の効果を実感する出来事があった。

 春休みも近づき、桜の通う女子高では早帰り期間が始まった。

 といっても、赤点生徒は補習がたっぷり待っている。実は理科系が大の苦手な桜は、生物だけ赤点を取ってしまった。その日の午後は、桜は同じ生物赤点組と机を並べた。

 とは言え、いつもよりは早く帰れる日。たまには寄り道したって罰は当たらない、と街の小さな書店に寄る。最近は「なゐ」のことばかり調べていて、一般の本に触れていなかった。

 新刊や流行の本を眺め、気になった小説を手に取る。装丁の風景イラストが橘平の描いた精密な絵に似ており、内容も確かめず、いわゆるジャケ買いをした。

 書店を出ると、クラスメイトの大石朋子が、何人かの女子生徒に囲まれ、どこかへ連れていかれるのが見えた。

 朋子は明るくはきはきしたタイプで、ソフトボール部に所属するスポーツ系女子グループの中心的な存在である。囲んでいるのは優等生系グループの女子たちだった。

 異様な雰囲気を感じた桜は、こっそり後をついていった。

 朋子が連れていかれたのは、常駐する者がいないこじんまりした寺院に隣接する墓地だった。

「カナの万引きチクったの、あんたでしょ?」
「悪いことだから通報するのなんて当たり前じゃないか。何逆切れしてんの?」

 7人相手に全く怯む様子のない朋子に、周りはイライラし、なんだかんだと罵倒を浴びせ続ける。

 優等生系グループの柄の悪さに、桜は驚きを隠せなかった。先生の言うとおりに学校生活を送り、成績も行儀も良い人たち、という印象だったが、裏の顔もあったのだ。万引きもして、じめじめと呼び出して。

 罵倒の効果がないと分かり始め、リーダーの格の女子が朋子の頬を叩いた。朋子も負けじと叩く。すると周りの女子たちも手や足を出し始め、朋子はさすがに劣勢、袋叩きになってしまった。

 これは見ていられない、いや傍観しちゃいけないんだ!と桜は躍り出た。

「何やってるんですか!!」

 精一杯の子猫の大声に、優等生たちは手を止める。

「なーんだ、一宮さんか。粛清だよ粛清。あんたも誰かにチクるわけ?同じ目に合わせるけど」

 武道をやっていたとはいえ、多人数を相手にしたこともなければ、ケンカするようには稽古をしていない。あくまで自分の身を守る手段としてしか身についていない桜だった。

 朋子とともにこの場を出る方法を一生懸命考えたが、全然浮かばない。

 優等生グループたちが桜に向かってくる。逃げても追いつかれる。立ち向かうしかないと腹を決めた。

「一宮さん!!」

 優等生たちの手を離れた朋子が桜に駆け寄る。

 殴られる、と桜がカバンを顔の前に出し盾として立っていると、優等生たちは桜の顔や体のすれすれのところで手を出せないでいた。

 これ以上、桜に近づけない。
 そんな風だった。

「あれ、なんで」

 これ幸いと桜はこの空間を抜け出し、朋子の手を取って走り出した。

 バイクを駐輪していた書店の近くまで逃げてくると、桜は朋子の手を離し、頭を下げた。

「あの、大石さん、差し出がましい真似を」
「顔上げてよ!」

 朋子は桜の両肩に手を載せ、そうするよう促す。桜はゆっくりと頭を上げた。

「ありがとう一宮さん。一宮さんいなかったらあたし、ボロボロだった。助かった。ってか、めっちゃくちゃ勇気あるんだね。尊敬だよ、あたし同じことできないって」
「ゆ、勇気だなんて」
「そういや話したの初めてじゃない?ねえ、ちょっと時間ある?」
「あ、は、はい」
「そこの喫茶店よってこ。あたし、一宮さんともっと話したい。いい?」
「…もちろん!」

 桜って呼んでいい?うん、じゃあ朋子ちゃんでいい?そんな「どうでもいい」会話が帰るまで続いた。

 向日葵との女子会も楽しいけれど、同年代の女子会はまた違った楽しさがあった。学校という共通の話題や悩み。電話帳の連絡先が1つ、増えた。

 朋子と話していて分かったのは、彼女の母親は桜の住む村の出身であり、お伝え様にも毎年初詣に来ているということだった。多少の縁もあったのだ。

 それにしても、女子たちが止まって見えたのはなんだろうか。桜はバイクに乗りながらずっと考えていた。

 その夜、明日の準備のために通学カバンの整理をしていると、橘平がイラストを描いてくれた小袋が目についた。袋の後ろに描かれていたはずのお守りマークの部分だけ、切り取られたように穴が開いていた。

 桜は早速、橘平にメッセージを送った。

〈お守りすごい!!〉
〈え、なんかあった?〉
〈あった!〉
〈なになに?〉
〈文字無理。電話していい?〉
〈OK〉
 ワンコールで橘平は出た。


 月曜の朝から、葵は上機嫌だった。

 感情をあまり露にしない彼が珍しく、誰が見ても機嫌がよさそうだったのだ。係長の三宮伊吹が「何かいいことでもあったのか?」と聞くと、「朝、クモが玄関にいたからです」と適当なことを答えるほどに。

 伊吹も葵とは別方向ながらずれているところがあり、「おお、それは縁起がいいな!機嫌もよくなるはずだ」と特大スマイルで返した。この不思議なずれ方を、葵は面白いけどめんどくさいなと子供のころから思っている。

 廊下で大量の資料を抱えているご婦人の資料を持ってあげたり、給湯室の高い棚が届かない女性職員の代わりにおぼんを取ってあげたり、虫が苦手な樹の代わりに男子トイレのゴキブリを始末したり、貧血を起こした若い女子職員を医務室に運んだり、バケツに躓いた八神課長を倒れる寸前にキャッチしたり、虫が苦手な樹の代わりに彼の机に現れたクモを逃がしたり。 上機嫌の葵は朝一から善行を積んでいく。

 もちろん普段から誰か困っていれば無視はしないし、素行がいいからこそ、人気があるのだ。

 ただこの日の葵はいつにも増して優しく、きらきらしていたという。貧血を起こした女子は、「お姫様の気分を味わえた」と自慢したところ、しばらく周りの女子職員から無視を決め込まれたとか、されていないとか。

 その上機嫌が終了したのは午後2時だった。

 課内には課長と葵の二人しかいない状況、誰も駆除が終わっていない状況、他の仕事がある課員もいる状況、自然環境課は通常業務が忙しく手を貸せない状況…そんな中、唐揚げが「感知」してしまった。

「え、どうしよう葵君。弱くはない、かな」
「…一人で行きます」
「え、大丈夫?」
「課長来てくれますか?」
「お腹痛い」
「だめなら電話します。早急に誰か寄越してくださいね」

 葵は日本刀を入れた猟銃用ケースと、お守りが描かれた小袋を作業着のポケットにしまった。

 一人での駆除は初めてだった。というより、これまで一人で駆除に出た課員は皆無だ。

 課としても、葵としても初めてのことで、どう転ぶかわからない。これまでのような大したことのないヤツならば、一人でも不安はなかったが、弱いヤツの方が少ない今、いかに優れた能力と武術を持つとは言えど、いつもの何倍もの緊張は嫌でも強いられる。

 それでも今は、一人で行かねばならない。メガネを外して車を降り、日本刀を取り出した。

 到着した東南地域の山間には、弱くはなさそうな妖物が待っていた。巨体の豚型。前足が異様に太くぼこぼこしたイボが沢山あり、耳と尻尾はない。

 質量がヤバそうだな、と対峙する。

 どちらも間合いを図り、動き出しは慎重になっている。葵の足元で小枝がぱき、っと折れる音がした。

 はっとした瞬間、豚が葵をめがけて走って来た。そのまま切れる、と袈裟懸けに刀を振るも、豚は寸ででひらりと避け、葵を飛び越えて背後に周った。急いで豚の方に向き直り、間合いを取り直すも、豚はまた襲ってきた。葵は近くの木に急いで登る。

 豚は木には登れないと見え、下から仰ぎ見ている。このまま樹上にいても解決しないことは百も承知だ。このまま降りていけば勢いで突けるのでは、と刀を下に向け、飛び降りた。

 豚は意外にも俊敏で判断力に優れ、葵は飛び降りるだけになってしまった。急いで刀を持ち直し、走り出した。豚は追いかけてくる。

 そういえば、とポケットの中の小袋を思い出した。小袋を取り出し、迫る豚の前にお守りを突き出した。

 豚は止まる、というより手足を動かしてもこれ以上進めない、そういう風であった。葵は左手でお守りを突き出しつつ、右手で豚の喉から日本刀をぶっ刺した。閃光とともに、豚は溶けていった。

 これはやはり有術だ。葵は確信すると同時に、感じたことのないほどの緊張と不安から解放され、その場にしばらく座り込んだ。

 退勤時間ぎりぎりで役場に戻ると、唐揚げ課長と樹が抱きついてきた。「良かったー!!生きてるー!!」と大げさに騒ぐ。「簡単に死にませんから離してください、暑い」と冷ややかに対応した。ぼっちゃりとがっしり系に殺されたら、たまったものではない。

 課長は「はー、終業前で良かった~定時で帰れる~。あ、報告書は書いてから帰ってネ」と時間でさっさと退勤してしまった。

 俺も唐揚げって登録しようかなあ。とぼんやり考えた葵だった。

 実はこの時、葵はメガネをかけ忘れていた。彼のメガネは出力の強すぎる有術を抑えておくものだが、へとへとで忘れていたし、抑える必要もないほど疲れていた。

 素顔の葵を見かけてしまった女子は狂気し、男性陣の目も惹いていた。メガネには顔のきらめきを抑えておく役割もあったらしい。

 他部署だけでなく、駆除で見慣れているはずの環境部も同様だった。緊張感走る仕事中と、落ち着いた室内では全然違って見えたのだ。

 ただ、退勤することしか頭にない課長はそんなこと気づきもしないし、誰よりも素顔を見慣れている向日葵は今更何も思わなかった。

 向日葵はメガネかけ忘れてる、と帰るついでに言おうとしたが、最近入職した一宮あさひが「アオイくん、メ・ガ・ネ」と先に指摘してしまった。あ、車だ、まあいいや、と葵はそのまま報告書作成を続けた。

「アオちゃん」

 帰ろうとしている樹が声をかける。

「女の子のアオイちゃんも見てみたかったナ…」

 樹はそっと葵を抱きしめ、帰っていった。

 動物対策課の前を通った八神幸次は、一人残業に励む葵を見つけ、声をかけた。

「葵君、午前中は助けてくれてありがとう」
「ああ、いえそんな」

 にしても、と幸次は葵の顔を至近距離でじろじろ眺める。知り合い程度の人に顔を近づけられるのは、変な緊張感である。

「素顔、予想以上にかっこいいねえ。きっとあのアクセサリーも似合うねえ」
「ああ、向日葵から受け取りました、ありがとうございます」
「そうそう、あれね、某高級ブランドの男女兼用デザインでさあ。シンプルだからさりげなく付けられそうと思って、お土産に渡してもらったんだよ。そういや、向日葵ちゃんもあれと同じデザインの色違い持ってったねえ。あの子がゴールド、君シルバー。じゃあ、帰るね。残業頑張って」

 今日はみんな一言多いよな、と葵は報告書の作成に戻った。


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