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【短編小説】私と僕と夏休み、それから。(第2話/全12話)

6月に入った。衣替えで夏制服になる以外に変化はないように思えたが、朝のホームルームで予告なしの席替えがあり、キコとシオンは窓側の一番後ろの席で隣同士になった。
あれから一週間、朝の挨拶以外は特に接点はなかった。

「大っ嫌い」の意味はよく分からないが、やっぱり気になってもやもやしていた。週1のごみ置き場掃除と月1の会議さえ乗り切ればいいと思っていたのに、これから毎日隣にいることになってしまった。
隣になったからと言って、その日は特にシオンと話すことはなかった。
席替えの次の日のことだった。いつもならキコから朝の挨拶をするのだが、この日はシオンから「おはよう中村さん」と声をかけられたのだ。

「おはよう渡辺君」
「中村さんって猫好きだよね」

予想もしなかった質問がやってきて、キコは一瞬固まった。これまで、話しかけていたのはキコの方で、彼の方から何か会話が始まることはなかったからだ。

「え、あ、うん、好き、猫好き。な、なんで?」
「……文房具が猫だらけだし、カバンにも猫の人形ついてる」
「あ…うん、猫大好き。猫グッズ見ちゃうと買っちゃってさ」
「今日のヘアピンっていうのかな、それ。それも猫じゃん」
「そうそう。かわいいでしょ。特に三毛猫が好きなんだ」
「猫飼ってるの?」
「昔ね。今はいない。うどんって名前で、すっごくかわいい猫だったよ」
「ふーん。もう飼わないの?」
「飼いたいけどね。私だけいまだに超ロスなんだよ。引きずりすぎて飼えないの」
「そうなんだ」

会話はそれで終わったが、シオンが話しかけてくれたことが、なぜかちょっとだけ嬉しかった。
その日を境に、朝にほんの少しだけ話すようになっていった。シオンも猫派だとか、好きな漫画とか映画とか。たった一つの話題だけで終わる会話。毎日一つ、どちらかの事がわかっていく。少しずつ、お互いの好きや嫌いを知ることができる。たまに、

「中村さんはけん玉できるの?」

という不思議な質問もされたが、朝の情報交換は楽しかった。
休み時間だって話をしたいという気持ちはあったが、友人付き合いもあるので叶わなかった。シオンは中学からの友人である乾のところへ行ってしまうし、キコのところには高校で仲良くなった美紀と凛がやってくるからだ。
しかし、ごみ置き場掃除の日は朝に加えてさらに話すことができた。放課後ということもあって、その日の授業のことが主な話題だった。

「歴史って覚えること多くて、いまいち苦手でさあ。人物名とか事件とか文明の名前とか」
「そう?僕は歴史の授業が一番面白いよ。昔の人たちが何を考えて国を作ったかとか、戦ったとか、あの人とあの人がどう出会ってどう事件につながったとか、書いてある出来事より人間の目線で見たらいいんじゃないかな。表面だけ暗記しようとするからつまらないんだ」
「人間の目線…」
「うん。受験には使えないかもしれないけど、例えばクレオパトラとカエサルの出会いの逸話なんか聞いたら、プトレマイオス朝エジプトのことを忘れられなくなると思う」
「え、何それ知りたい知りたい!」

勉強の話からでも、シオンの人柄や趣味を伺い知ることができたのも面白かったが、何より、誰とでも何を考えているのかよく分からない笑顔で話すシオンが(乾とは結構楽しそうではあるが)、キコが興味を示した時は優しさが感じられたことが印象に残った。

「…相変わらずだね」

シオンがぽつりと言ったその一言は、キコには聞こえていなかった。

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