Mr.S

生きるために、生きています。

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最近の記事

何かで埋めようとする

なぜだかわらない。 僕は、自分の空洞を埋めるように今動いているのがわかる。 仕事、勉強、そして漫画、動画などなど… 常に何かで埋まっていないと不安になる。 隙間があると、そこに影が入り込んできそうな気がするのだ。 埋め合わせるものはなんでもよいのかもしれない。 マグロのように深い海の中をただ泳ぎ続けているような感じだ。 止まることは許されないと思い込んでいる。 そう、思い込んでいる。 それはわかっているが、止まれない。 誰かが一本釣りでもして、釣り上げてくれたら

    • 私語り

      私は今日、地元にある全国的にもそれなりに知られている神社に行ってきた。 実は、ここ最近は日曜日に神社に出向くことが自分の中での習慣になっている。 神社に行けば、現実社会で生きていると味わってしまう、あの差し迫ってくるような灰色の霧が一瞬にして晴れる。 鳥のさえずり、川のせせらぎ、神主が箒を掃くときのあの「サッサッサッ」という音など、普段の社会生活では決して聞くことはない優しい“音“が私を包み込んでくれる。 そして今日も、社会で生きる中で沈澱していった私の心を聖なる光で

      • もう戻ることはできない

        「よし、もうこれで大丈夫だ。」 この安堵感にいったい何度足元をすくわれてきたのだろう。 人生にはさまざまなフェーズが存在している。 そのフェーズが終わる度、私はしっかりと安堵感を覚えてきたと記憶している。 しかし、それは間違いだったと今の私は思う。 あまり、間違いとか失敗だったというようなことは思いたくない質だが、認めざるを得ない。 安堵感を覚えてしまった瞬間に、私はふかふかのベットに沈み込んだときのように気持ちが昇天してしまうのである。 そして、そこからはもう簡単

        • 実は大事なもの

          “おしぼり“ 居酒屋、喫茶店、定食屋さんなど、外で何か食べるところではおしぼりを置いていない店はほとんどないだろう。 実は私は、この“おしぼり“こそが自分の気にいるお店になるかどうかの判断基準になることが多い。 一口におしぼりと言っても、その大きさや厚さなどの質は千差万別である。 まるで今治タオルかのような、上質で重厚感のあるおしぼりを用意してくれているお店もあれば、ティッシュのような、これだと別にいらないけどな〜と思ってしまうようなおしぼりを置いているお店もある。

        何かで埋めようとする

          外国人店員のメモ帳

          コンビニで「いらっしゃいませ〜」と出迎えてくれる外国人。 もはや誰も珍しがらなくなって久しい。 外国人といっても、欧米や中国、韓国の人たちではない。 おそらく、ベトナムなどから来ている技能実習生や留学生ではないかと思う。 彼らは、観光やいわゆるビジネスのために来ているのではない。 まだ発展途上国である母国で働くよりも、日本に来て働く方がよく稼げるから来ているのかもしれないし、母国では学べないようなことを日本で学びたくて、はるばるやってきているのかもしれない。 彼らの顔や

          外国人店員のメモ帳

          欲が無いと果てる

          「欲を捨てなさい」 あらゆる宗教から現代のスピリチュアル、そしてミニマリストの若者まで、古の時代から現代まで脈々と受け継がれてきている人間の精神レベルを高めるための真理である。 そんな真理に対して、私は「待った」をかけたい。 私はこの「欲を捨てなさい」という真理を否定したいわけじゃない。 ただ、若いうちにこの真理に至ってしまうと、少々やっかいなことになる。 端的に言うと、欲を捨てると無気力になる。 そして、無活動の状態に陥る。 人は「あれが欲しい」、「これがしたい」と

          欲が無いと果てる

          「雨」と「懐かしさ」と「時間」の流れ

          雨が降ったとき、「今日は天気が悪い」とテレビも友達も口を揃える。 「だよね。」と私も合わせるが、心の中では実は反対だったりする。 もちろん、洗濯物が干せないことや靴下がびしょびしょになるのは不快ではある。 でも、どこかで安心感を持って、ほっとした気持ちになる自分もいる。 もっと深く掘り下げると、 「時間の流れが緩やかになっている」気がする。 私たち現代人は自分たちが想像する以上に、この世界を全速力で走り続けている。 まるで、何かが後ろから追いかけてくるみたいに。 子供の

          「雨」と「懐かしさ」と「時間」の流れ

          老夫婦が共有するあまりにも静かな世界

          (前回の続き) 祖母に挨拶をした後、私は病室のベッドの上に仰向けで横たわる祖父の顔を上から覗き込む。 「おじいちゃん、こんにちは。〇〇です。」 私は祖父に声をかける。 「おじいちゃん、〇〇が来てくれたよ。」 祖母も声をかける。 祖父は足が動かなくなってからは、入院する前から自宅でも基本的に寝ていることがほとんどである。 入院する前は週に2回ほど、介護保険から※リハビリテーションのサービスを受けていたみたいだ。 (ここからは回顧) ※リハビリテーションでは、週に2

          老夫婦が共有するあまりにも静かな世界

          祖父のお見舞いに行く。

          昨日、入院している祖父のお見舞いに行った。 祖父は現在88歳の米寿であるが、数年前から原因不明の脳の異常により、足が前に進まず、歩行が困難になってきていた。 それ以外は心臓の手術などはしたものの、基本的には元気で、頭も回転しており、活発な人であった。 そんな祖父が数日前、自宅で転倒し、骨折して入院することになってしまった。 入院後に肺炎にもかかり、食べることがほとんどできず、チューブから栄養を補給している状態が続いている。 医者からは、このまま延命治療をすれば、しばら

          祖父のお見舞いに行く。

          今日、会社を休んだ。

          はじめまして。 私は現在25歳で、新卒1年目として会社員をしています。 みなさんもご存知の通り、ストレートで大学に入り、ダブらずに卒業すれば、本来は23歳で新卒1年目になるはずです。 しかし、私は浪人と留年を経験したことにより、同じ歳の人たち(大学進学者)より2年遅れての社会人スタートとなってしまったのです。この浪人時代と留年時代のことについても後々お話できればなと思っています。 前置きが長くなりましたが、そんな経緯で今年の4月から社会人生活がスタートしました。 私は大

          今日、会社を休んだ。