実は大事なもの
“おしぼり“
居酒屋、喫茶店、定食屋さんなど、外で何か食べるところではおしぼりを置いていない店はほとんどないだろう。
実は私は、この“おしぼり“こそが自分の気にいるお店になるかどうかの判断基準になることが多い。
一口におしぼりと言っても、その大きさや厚さなどの質は千差万別である。
まるで今治タオルかのような、上質で重厚感のあるおしぼりを用意してくれているお店もあれば、ティッシュのような、これだと別にいらないけどな〜と思ってしまうようなおしぼりを置いているお店もある。
無論、そのお店がどこに力を入れているかについて批評する権利は私にはないことは重々承知である。
しかし、店が提供する“おしぼりの質“が案外と客たちに語られていない事実については、以前から私の中では疑問符が付いていた。
なぜなら、おしぼりは食べ始める前から食べ終わった後の、ものを食べる儀式の最初と最後に必ず必要になるものだからだ。
例えば、
仕事に行くとき革靴を履く。家に帰ったら革靴を脱ぐ。
このとき、もし靴べらがすごく小さくて履きにくかったり、かかとを革靴に入れた瞬間に靴べらがパキッと折れたりしたらどうだろうか。
ましてや、そもそも靴べらが無かったら…?
そんなとき、気分はどうだろうか?
晴れ晴れとした気持ちで、颯爽と腰が上がるだろうか?
これと同じことが外で何かを食べる時についても当てはまらないだろうか。
まず席に着く。ウエイトレスがスッキリとした微笑でお水と一緒におしぼりを持ってくる。
持ってきてくれた水を少し口に含みながら、折り重なったおしぼりを解体していく。
そこで、そのお店のリピーターになるかどうかが半分ぐらい決まってしまう。
思わず「おおっっ…!」と心の中で唸ってしまうおしぼりに出会うと、その後に控えているサンドウィッチやコーヒーを堪能するときまで、その時の胸の高鳴りが続いている。
今の時代、極力経費を下げるためにおしぼりなどのメイン以外のサービスは削られがちな傾向にある。
このこと自体は、これまでのいわゆる“過剰サービス“を無くしていく時代の流れのなかでは仕方のないことかもしれない。
しかし、だからこそ、別にあっても無くてもそこまで大きな影響がないものこそが後々大きな差になっていくのではないかと思う。
“神は細部に宿る“という言葉があるように、小さなことにこだわることが、見えないほどの小さな差から始まって、気がつけば誰も真似することができないような“オリジナリティ“になっていくのではないだろうか。
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