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老夫婦が共有するあまりにも静かな世界

(前回の続き)

祖母に挨拶をした後、私は病室のベッドの上に仰向けで横たわる祖父の顔を上から覗き込む。

「おじいちゃん、こんにちは。〇〇です。」
私は祖父に声をかける。

「おじいちゃん、〇〇が来てくれたよ。」
祖母も声をかける。

祖父は足が動かなくなってからは、入院する前から自宅でも基本的に寝ていることがほとんどである。

入院する前は週に2回ほど、介護保険から※リハビリテーションのサービスを受けていたみたいだ。




(ここからは回顧)

※リハビリテーションでは、週に2回のうち1回は檜風呂に入れてもらえるようで、その週に1回の檜風呂が祖父にとっては楽しみのようだった。

ある日、祖父の自宅に顔を見せに行った際にその話を聞いていると、祖父がぼそっと、
「贅沢させてもらってるわぁ」と聞こえるか聞こえないかくらいの小声でつぶやいた。

その小さな幸せを噛み締める祖父の表情が日常の些細な悩み事を愚痴にしている私の胸に響いたことを覚えている。



(病室にて)

祖父は私を認識した後、私に微笑んでくれた。
話すこともままならなくなった祖父からの最大限の愛情に私は心底嬉しさを感じた。

そのあとは、私に特別なにかできることはなく、ただベットの脇に用意されている椅子に座り、祖父を見守ることしかできなかった。

そんな折、祖母が祖父の顔を覗き込み、
「おじいちゃん、せっかく来てくれてるから、
起きなあかんよー」と祖父の頭を優しく撫でるのである。

もちろん、起きなさいと怒るのではなく、
冷たく諭すように言うのでもなく、
本当に、まるで母親が小さな子供を優しく愛でるようにである。

私は様々なことを感じ取った。

20歳そこそこで代々農家の祖父の家に嫁ぎ、60年以上祖父と共に歩んできた祖母の祖父に対する扱い慣れたその優しさ。

多くは語らずとも、人生経験の長さと深さに裏打ちされた若輩者の私には到底味わえない2人だけには共有されている無言の世界。

いち病室のベッドの上でのほんの数十秒のやり取りにも、これだけ深い物語が存在することを私は知った。

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