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「雨」と「懐かしさ」と「時間」の流れ

雨が降ったとき、「今日は天気が悪い」とテレビも友達も口を揃える。
「だよね。」と私も合わせるが、心の中では実は反対だったりする。

もちろん、洗濯物が干せないことや靴下がびしょびしょになるのは不快ではある。
でも、どこかで安心感を持って、ほっとした気持ちになる自分もいる。

もっと深く掘り下げると、
「時間の流れが緩やかになっている」気がする。
私たち現代人は自分たちが想像する以上に、この世界を全速力で走り続けている。
まるで、何かが後ろから追いかけてくるみたいに。

子供の頃、時間の流れなど意識したことがあっただろうか。

大人になるにつれて、時間の流れが速くなってくるとよく言われる。それはきっと、時間が速くなっているのではなく、私たちが歩くのをやめ、駆け出し、マラソン大会を開催したからではないか?
もしかしたら、子供の頃に大人になるとマラソン大会が始まると察知して、抜け駆けする子供もいたかもしれないが。

そして、マラソン大会に夢中になっている私たちに雨はストップをかけるかのように突然降り出す。
しかし、そんな雨の警告も無視して、私たちは毎日休まず走り続ける。無視するどころか、傘やテントなんかも作り出して全力で走れる環境を死守しようとする。
「人生はマラソン大会だ!」
「一休みなんかしてたら、置いてかれるぞ!」
こんな声まで客席から聞こえてくる始末だ。

みんな心のどこかではきっと理解している。
「走るのは得意じゃない」
「短距離だったら頑張れるのに」
そんな心の声を押し殺してる。
このマラソン大会を棄権することはない。

でも、心の内で密かに願っている。
「雨、降らないかな」
「雨が降ってきて、この終わらないマラソン大会が中止にならないかな」



久しぶりの雨だ。
本当に良くない天気かな?
私は雨の音に耳を澄ます。
何かが聞こえる。
微かに、確かに。

水は「ものごと」を記録する性質があるという。

雨が降ったとき、無意識に子供の頃を思い出して、懐かしさが込み上げてくるのは、その当時の記憶も雨と共に降ってくるからであろうか。
子供の頃の、まだマラソン大会が開催される前の、まだみんなで楽しく準備体操を笑ってしていた時の、あのときの記憶。

雨は時間の流れを戻してくれる。
そう、ただストップさせるのではない。
時間を逆流させてくれるのである。

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