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私語り

私は今日、地元にある全国的にもそれなりに知られている神社に行ってきた。

実は、ここ最近は日曜日に神社に出向くことが自分の中での習慣になっている。

神社に行けば、現実社会で生きていると味わってしまう、あの差し迫ってくるような灰色の霧が一瞬にして晴れる。

鳥のさえずり、川のせせらぎ、神主が箒を掃くときのあの「サッサッサッ」という音など、普段の社会生活では決して聞くことはない優しい“音“が私を包み込んでくれる。

そして今日も、社会で生きる中で沈澱していった私の心を聖なる光で再び浮き上がらせてくれるその雰囲気に出会うために、神社に赴いた。

しかし、結果はそうはならなかった。

その日、その神社では何かの催し物があったらしく、人でごった返していた。

私は意気消沈した。
場所は同じ、日時も同じ。
なのに心が回復した感じがない。
何がいつもと違うのか。

人の多さがちがう。

別に、人間個人個人のことが嫌いなわけではもちろんない。
その人たちも今日は様々な理由で、気持ちで、神社に来ていたのだろう。
もしかしたら誰かと一緒にだったかもしれないし、何かお願い事があってきていたのかもしれない。

人が多く集まると、そこに多くのエネルギーが集中することになる。
それは何か物事を成し遂げる時やお祝い事をする時に大きな力を発揮してくれる。

他方で、静けさや神聖さなどはどうしても生まれにくい。
それらは、エネルギーが熱狂していると「するっと」どこかに逃げてしまうからだと思う。

そういったものを呼び寄せたり、感じたりしたいのならば、過剰なエネルギーは隅に置いておく必要がある。

元来から私は人混みや喧騒が苦手ではあった。
それは歳を重ねるごとに増している気がする。

いつかの日、出雲大社が目的で島根県出雲市を訪れたことがある。そこはやはり日本海側ということもあり、古の匂いも感じたし、何より日本の原風景がそこにはまだ存在していた。

私は、その時目に焼きついたあの情景を忘れることができない。

いつの日か、再びあの場所を訪ねたいなと思って、一日一日を生きている。

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