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正義と沸点

田舎の町大工の家で育ったわたし

父や祖父のお弟子さんが
ひっきりなしに出入りする
大所帯

仕事終わりで食事をしていく
お弟子さんの膝にはいり
ご機嫌なわたしを
今でも覚えている

母の思い出話

この家にお嫁にきたとき
言葉がキツくて
わたしに悪いところがあるから
おばあちゃんとかの口調がキツいと思っていたのよ

ふむふむ

でも違ったのよね

ふむ

大工さんは高い所でも仕事するでしょ
仕事柄常に気を張ってる

発する言葉にも
それが現れちゃうのよね

そっか
環境って
こんなとこにも出るんだ

勿論もって生まれた気質も関係する

納得

小さい頃からこんな環境にいたら
こうなるのか

いや
環境のせいにしてるわけじゃない

嫌いじゃないから(笑)
この感じ

でもね、お父さんには言ったのよ

「私には普通に話してくれれば分かるから」

あー
思い出した

最初の結婚生活で言われた

「いつも攻撃されているみたいだ」

確かに小さい頃から物事をはっきり言う

普通に会話しているつもりでも
相手は攻撃されていると
感じていたのかもしれない

最近自己分析してみた

どんなに言葉を優しく言ったところで
内面にあるものがキツイから
結局は
攻撃的な口調として
捉えられる

この文字もそう

そこはオブラートでいいのでは?
と言う中途半端なことが
なかなか出来ず
ついつい相手を追い詰めるような
文章になる

も一つ厄介な要因

負けず嫌い

勝ち負けじゃないとわかっていても
ついつい今のやり取りで
勝敗をつけたがる
引き分けがないのだ

親しい人に言われる

「ONかOFFしかないよね」

そうなのだ
自分でも不思議なほど

会話や文字のやり取りで
感じてるのよ

今、それどうでもいいじゃん

それなのに白黒はっきりしたがる

自分のこともさることながら
相手のことも分かってしまう

文字の先にあるその人の感情が

最近これが顕著に現れている

本音と建前

その中でしか生きていかれないなら

枠から出なければいいのに

わたしって
常に攻撃的な言い方にはなるけど
沸点は高いのよ

自分の中の正義があって
これが正しいとは思わないけど
その正義を刺激されると

本当の意味での
攻撃が始まる

相手が再生不可能になるまで
攻撃する

最近も一つ
未遂があった

わたしの正義はどちらかと言うと
わたし本人の誹謗中傷ではなく
大切な人に対するそれを見聞きした時に
現れる

それ
ここで言う?

言うのは本人の勝手だけれど
言ってる相手はわたしですよ

貴方がターゲットとして捉えているのは
わたしの仲間ですよ

この時に
正義が
顔を出す

未遂で終わったのは
お互いにとって良かったのだけれど

これが未遂ではない時には
本当に
とことん
やってしまう

ただし
沸点は
高い

他人に興味がないぶん

腹も立たないから

基本他人に興味をもたないわたしは
周りが思うより
気にしていないことの方が多い

逆に熱く激論交わしているのをみると
ドン引きすることさえある

人の思いや発信は自由だから

目くじら立てて
攻撃することほど
無駄なことはないと思っている

自己分析に戻る

最近特に感じるのは
この文字の向こう側の感情

これは、その事に反論とかがあるわけではない

何故この文字を使って
腹を探るのだろうか
と言う疑問からなのだ

大半の行動の答えはわかる

殆ど共通しているから

故意であってもなくても

厄介なのは
そのことに
本人が気付いていないことかな

枠の話ね

わたしもずっと枠の中で生きていた

これでも(笑)

適度に反発しながら
適度に発信しながら
適度に合わせながら

でも
やっぱり
窮屈だったのかな

枠の中での沸点
枠外での沸点

周りからみたら
同じと思うけれど

雲泥の差があるのよね

枠の中では
本来どうでもいいことに
巻き込まれて
担ぎ出される

枠の外では…………

出る杭が打たれる(笑)

どちらにしても
矢面に立つのなら
枠外のが
面白い

打たれても
沈まない
打たれても
痛がらない

わたしの正義が正しいわけではない

逆に誰かの正義が正しいわけでもない

自分のものさしで
計るだけ

自分と違うからと
否定するのではなく

受け止めるだけ

受け入れなくてもいいから

ただ受け止めるだけ

これはわたし自身に向けた言葉

表面と違い色々な事に気付いてしまうわたし

だからこそ
否定ではなく
受け止めるだけ

それが出来なかったら
スルー

気にしていたら
進めなくなる

正義と沸点

正義は柔軟に

沸点は高く

自己分析の結果かな

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