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御伽怪談第三集・第五話「背中を流す女」

  一

 江戸時代に最も有名な有馬温泉は今でもある。延宝五年(1677)のこと。その頃の有馬温泉は今以上に繁盛していた。
 湯治とうじとは言え、当時は冬に温泉には行かなかった。秋の頃に行き、冬の前に帰るのが定番であった。最低でも一週間は泊まったそうである。行き帰りに何日も歩くので、日帰りとか、数泊と言う訳にはゆかなかった。

 ある秋の日、尼崎に住む伝左衞門でんざえもんと申す町人が、持病の治療のため、有馬温泉へ向かったことがあった。
 有馬は、伊勢・熊野と並び評される人気の観光地であった。特に大阪からは近く、日本最古の温泉として、湯治に出かける者も多かった。
 伝左衛門の住む尼崎から有馬温泉へ行くには、尼崎を北の塚口まで歩いて、そこから伊丹の昆陽こや池を目指して歩き、宝塚へ向かう。宝塚から有馬街道へ入った。昆陽池は奈良時代に行基ぎょうき上人が造った有名なため池で、景色も良く、美しい野鳥が多かった。
 伝左衛門は、
「えぇ、とこやなぁ」
 と思わすつぶやいた。

 伝左衛門が有馬温泉に到着したのは、すでに夕暮れの時刻であった。早くも月が輝いていた。
 温泉の入り口では、名物の松茸の香りを楽しんだ。有馬の名物と言えば松茸。店先で山盛りになった松茸が安く売られ七輪で焼かれている。
——まったけぇ……香るまったけ、いらんかね。
 売り声が響いていた。
 秋らしい香りが温泉街に漂っている。焼いている物を貰って食べながら宿へ向かった。その時、伝左衛門は神社を通り過ぎたことに気付かなかった。
 古くからあるこの神社は、湯泉とうせん神社と呼ばれていた。『延喜式』には湯泉ゆの神社との記載が残る。温泉の守り神に礼節を尽くすのは人として当然のたしなみ。だが、伝左衛門は信心深くもなく、さして気にも止めていなかった。
——今にして思えば、これがわざわいの元だったかも知れない。
 と、彼は死ぬ前に、ふと、申しておった。

 宿に到着すると、女中たちが、
「いらっしゃいませ、有馬にようこそおこしやす。おひとりさまでっか? ささ、足をすすいでお上がりやす」
 言葉巧みに明るく出迎えてくれた。
 すでに暗くなりかけていた。伝左衛門は宿帳に名を書きながら夕食を注文した。この日は、名物の〈こけら寿司〉を食べることにした。有馬名物と言えばこけら寿司。伝左衛門は食べたことはなかったが、その名だけは知っていた。
 こけら寿司は押し寿司の一種で、細く切った魚の切り身を酢飯に混ぜ、こけら吹きの屋根のように重ねた四角い寿司のことである。
 宿は泊まるだけの自炊だが、到着したばかりでは作りようもない。注文も出来ると聞いていたので、さっそく、頼んだ次第であった。
 晩飯は旨かった。仲居さんが、
「大阪でも、福本鮓ふくもとずしはんのこけら寿司なら食べられます」
「大阪のどこでっか?」
「あぁ、心斎橋の南側にあります」
 と聞き、
——今度、大阪へも行ってみたい。
 と思った。


  ニ

 食事の後、下駄を履いて出かけた。
 宿を出る時、湯殿などの説明を聞いて、
「今は、混み混みでっせ」
 と笑われた。
 石畳の道は、カランコロンと足音が響いて、何だか楽しかった。鈴虫やら蟋蟀こおろぎなど秋の虫の鳴き声が、時々聞こえる宿坊からの三味線の音に混じっていた。遠くて聞き取れなかったが、たぶん有馬節と思われる歌声も風に流れて聞こえていた。宴会の宿坊もあり、静かな宿坊もある。道は何人かの人々が行き交っていた。浴衣で歩くと肌寒く感じたが、やがて湯に入るのだ、十分、温まれば良いだけのことであった。
 宿は泊まるだけで、風呂などはなかった。外の湯殿に通ってつかる形である。ここは古くから知られていたが、湯量は少なく、湯船は一ケ所にしかなかった。中は一之湯と二之湯に仕切られていたが、どの宿坊かによって入る湯船が決められていた。湯そのものは、冷え性や腰痛、関節痛・外傷などに良く、塩気が肌に潤いを与えるそうである。
 湯殿に着くと、紺地に〈合幕〉と染め抜かれた暖簾のれんが風に揺れていた。
 くぐると、
「おいでやす」
 若い女の声が響いた。見るとはなしに女中を見ると、眉を剃り、白粉おしろいの幼さの残る娘であった。ニコリと笑うと、お歯黒が見えた。有馬の湯女ゆなは、嫁入り前でもお歯黒と聞く。笑顔に色香が漂っていて、部屋の金灯篭きんとうろうの揺れる炎が、さらに雰囲気を盛りあげた。
 これが大湯女おおゆなと呼ばれる有馬の女中であろうか?
 それとも小湯女こゆなか?
 いずれにしても有馬小町と勝手に呼びたくなるような娘であった。その娘が入浴用のふんどしを手渡してくれた。

 男は褌、女は腰巻姿で入るのが、ここの決まりである。男女はもちろん混浴であった。
——目の前で着替えるんは少し照れるなぁ。
 と思うと顔が赤くなった。女中が恥ずかしそうに向こうを見ていた。単に、普通に見ていただけかも知れなかったが、伝左衛門は慌てて着替えて湯船にむかった。

 不思議なことに湯船には誰もいなかった。確か宿では混んでいると申していた筈。だが、影すらなかった。
 湯船の上には神棚が飾られている……筈であった。
 宿の説明では、
——そこに手を合わせてから、霊験あらたかなお湯に、しっかりと、おつかりなさりませ。
 との言葉だが、何故か見当たらなかった。
 人のいる筈の場所に、誰もいない怪しさに気づいたら、すぐに逃げるべきである。まかり間違うと命に関わることもある。まず死ぬのは孤独な時、しかし伝左衛門は、そんなことは気にしなかった。元々町人であり、天下泰平の世の中である。誰でも多少の危機など見過ごすものだ。

 湯船は広く深かった。端の石の階段を降りながら、立ったままで湯につかる。湯船と言うより、大きな湯壺に沈む感覚に近かった。薄暗く、行灯あんどんの明かりが揺らめいていた。湯船に肩までつかる……と言うより、立っていて肩が出るか出ないかの深さであった。伝左衛門は深くため息をついて、じんわりと温まっていた。
「あぁ、えぇ湯やなぁ」
 ため息をつく伝左衛門の声が湯殿の隅々にまで響くと、天井から水滴が湯船に落ちた。まったく極楽の気分であった。


  三

 ふと、気がつくと、どこから来たとも知れず、腰巻姿の美しい女がひとり現れた。
 女は恥ずかしそうに頭を下げると、
「わらわも、この湯に入れてたもれ」
 と申すのであった。
 しかし、美しい女であった。他の有馬の女と同じくお歯黒をして、眉はなく、肌は白かった。行灯の明かりで女の影も揺れていた。
 知らない者とは言え裸の女。武器すら隠し持つ筈もなく、警戒する理由はなかった。
 伝左衛門は、
——これが有馬の湯女ゆなか?
 などと、少し期待もふくらんだ。

 有馬の湯女とは、温泉で歌ったり踊ったりして湯治客を楽しませる少女たちのことである。あるいは湯治客の簡単な世話をする。もちろん、湯に入って来るなどありえないが、それを期待する客も多かった。
——たまには入って来ることもあるやろ。
 根も葉もない噂まであった。単に客のいない時に湯に入ると言うだけのことであるが、妙な期待が後をたたなかった。

 女は、湯に入ると申した。
「ささ、お酒など召しあがれ」
 突然、お盆が湯船に浮かび、酒が注がれた。
 あまりに突然だったため、伝左衛門も首を傾げた。どこから現れた物か? まだ酔っていないのに不思議であった。
 しかし、そんなことには構いもせず、
「やんだ、毒など入っておらんぞ。良い心持ちになりまするぞ」
 と、女が笑った。それから、
「大酒は、身を滅ぼすと申す故、ほどほどに……」
 など、また笑った。笑顔の美しい女であった。
 喉が乾いていたこともあり、伝左衛門はググッと酒を飲み干して、
「うん、これは旨い。なんぼの酒や?」
 舌鼓を打ちながら笑っていた。
 やがて、ふたりも笑いながら楽しい時間を過ごした。
 しばらくすると、女が伝左衛門に申した。
「背中の垢をかきましょう」
「えっ、それってなんぼいりますのん?」
「湯治のお客様への、心ばかりのご接待にござりまするぞ」
「さよか、なら、頼んますわ」
 伝右衛門が笑った。ふたりは湯から上がり、伝左衛門が風呂桶を伏せてそこに座った。

 この女、湯女にしては多少年増な感が否めなかったが、まぁ、大湯女おおゆなと申す者もいる。昔はさぞ売れっ子であったであろう雰囲気が女に漂っていた。長月の夜の寒空に、温かな湯につかり、背中を流してもらえるのだ。普段、孤独になりがちな伝左衞門には誠に極楽であった。

 背中をこすってもらっていると、コオロギの声が心地良かった。いかにも気持ち良く垢を擦られ、伝左衛門はとろとろと寝入るような気分になっていた。自分の膝から下を触って、
——これぞ蟋蟀脛こおろぎすねやな。
 と思い笑った。蟋蟀脛とは、蟋蟀のように細い脛を揶揄する言葉である。
 女が、笑い声を聞きつけ、
「何ぞ、面白きことでも、あり申したかや?」
「いや、おのれの脛が、蟋蟀のようじゃと思うと、もう、おかしゅうて、おかしゅうて」
「ほほほ、面白しろき男衆なこと」
 女は伝左衛門の背中を叩いた。しかし、その時、妙な感じがした。感覚がなかったのである。


  四

 伝左衛門は首を傾げた。
「はて?」
 振り向くと、どこに行ったものか、女の姿はすでになくなっていた。伝左衛門は気が遠くなり、そのまま床に伏せてしまった。

 ちょうどそこに、何人かの男たちが湯殿にやって来た。化け物の話題で持ちきりであった。
「ほんでなぁ、時々、この湯殿に化けもんが出ることがあるらしい」
「ほんまかいな」
「だが、安心しいや、ひとりでいる客しか襲わんらしいさかいによって」
「へぇ、そんなもんかいな」
 などと軽口をたたいている内に、伝左衛門の姿を目にした。
「あっ、なんやこれは?」
「せ、背中が……」
 怖れている場合ではなかった。
「ど、どないしましたん?」
「誰か、呼んできいや」
 バタバタとあわただしく足音が響いた。
 驚いたことに、伝左衛門は伏せたまま、背中の皮と肉がなくなっていたのである。骨ばかりとなって、不思議だが血は出ていなかった。湯治場は大騒ぎになった。

 薄目を開けた伝左衛門は、いったい、何か起きたのか分からない様子であった。彼には、まだ意識があり、とろけるような表情をしていた。
「何が、いったい?」
 と叫ぶ声に、伝左衛門は事の次第を語るのだった。やがて語り終えると、突然、体が痛み出した様子になり、悶絶してそのまま死んだと言う。

 蜘蛛が巣を張って虫を食べるように、単に化け物が不注意な者を喰らうのは許されていた。化け物にとっては、不注意な方が悪いのだ。それを捕らえて喰べたところで、悔やんだり、神仏に罰せられることはなかった。ただ、化け物を見つけると狩りをする者はいる。サムライの中には、自らの刀を〈魂〉と呼び霊刀を携える者もあるのだから……。
 山奥の湯治場には、得てしてこのような、女の化け物が棲むと言う。鬼の一種であろうか? 正体は分からない。
 昔から言い伝えられていることであるが、ひとりでいた時は、注意を怠らぬことである。化け物は孤独な者を好む。
 いくらいているとは言え、普通、有馬の湯船にひとりでいることはない。化け物が出る時は、周りの人がいなくなるとも言う。それは人が避けるのか、もしくは自分ひとりの世界に入るものか、理由は分からない。
 そして、化け物から貰った酒や食べ物を口にすると、痛みを感じなくなるそうである。しかも、死ぬような怪我をしても、しばらくは気付かないとも言う。それで、死ぬまでの間に、経緯いきさつを語れた訳である。
 江戸時代の旅行心得集の中には、
「旅先で、知らない者から振る舞われた酒や食べ物を、けして口にしないこと」
 と書かれたものもある。

 さて、山奥の湯治場にいるのは、何も化け物ばかりとは限らない。温泉専門の仙人もいたそうである。猿や熊なども不思議と温泉に入る。今でも山奥の露天風呂に猿が入るので、江戸時代なら、さぞかし動物も多く入っていたことだろう。生き物は温泉好きだ。その中に少しくらい化け物が混じっていても不思議はない。だが、どうせ出会うなら仙人が良いなぁ。『諸国百物語』より。〈了〉

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