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御伽怪談第三集・第二話「首之番が来た」

  一

 天下分け目の関ヶ原の戦乱もすでに終わり、徳川様の時代となって、のんびりとした平和な日々がやってきた。それから十数年の後、そろそろ化け物どもも狩をしなければならなくなった。戦国時代は人と人との殺し合いの時代。化け物がわざわざ狩らなくても死骸は豊富にあった。夜の戦場には喰い切れないほど転がっていたのである。しかし、それも終わりが来て、しばらくは喰い溜めでしのいできた。とうとう狩りをする必要に迫られるようになった。この物語はその頃の出来事である。
 奥州おうしゅう会津・諏訪すわ神社の近くに〈しゅばん〉と呼ばれる化け物が棲んでいた。有名な化け物であったが誰も見た者はなかった。見た者は皆、死んでしまうのである。あるいは記憶を失って思い出すことも出来なかった。首之番は古くは『源氏物語』にも登場する伝説の化け物であったが、その正体を知る者はなかった。
——御神域ごしんいきである神社に棲む化け物などいる筈もない。
 と思う人もいるかも知れない。しかし、夕暮れから夜にかけては、神社は魔物の棲家すみかであった。神の力は昼間の光の中にあってこそのものであるのだ。
 ある秋の夕暮れのこと、二十五、六くらいだろうか? 若いサムライが神社の前を通った。
 その時、ふと、
——このあたりに、あの怖ろしい……。
 噂を思い出しブルッと武者震いした。
 この男、名を藤並ふじなみ角之進かくのしんと申す。腕はからっきしの、しかも度胸すらないサムライであった。まったく情けない限りであるが、それでも家柄だけは良く、将来は重役の跡取りになる予定であった。
 もはや夕暮れ。神社とは言え神のいなくなる時刻であった。夜のとばりが落ちるに従い魔物が巣食うやしろとなる。そんな怖ろしげな時を迎えていたのだ。
 角之進は胸の高鳴りを覚え、後ろを振り向いた。
——誰か、誰でも良い。通らぬものか?
 心の中でつぶやいた。空一杯の真っ赤な夕焼け。鳥居の影だけが黒々と見えていた。カラスがギャーと鳴き声を立てた。すすきの穂が風もなく揺れていた。遠くで寺の鐘の音が響いて、赤ト蜻蛉が群れ飛んだ。あたりは静かであった。角之進には自分の心臓の音ばかりが聞こえていた。ゴクリと生唾を飲み込む感触があった。人影はなかった。それどころか動くものもほとんどなかった。
——早くここを去らねば。
 焦る気持ちにつき動かされ、足がもつれて思わず転んでしまった。
「大丈夫でござるか?」
 ふと、声がした。
 目を開けると角之進より少し年上であろうか、背の高いサムライが手を差し伸べて立っていた。
「あぁ、大事ないでござるよ」
 と苦笑いする角之進に、
「突然、転んだので驚いたでござるよ」
 と笑っていた。
——このサムライ、いったい、どこから来たのだろう?
 とは思ったものの、これ幸いにして、同行する友が出来たことを喜んだ。見たことのある顔ではなかった。
——誰だろう?
 同じお城勤めの者で顔を知らぬ者などなかった筈である。だが、そんなことは言ってられない。誰でも良いから同行する者が欲しかった。角之進は立ち上がってはかまの土を払った。


  二

 パラパラと土と共に枯れ草が落ちてゆく。
「ありがとう。拙者、藤並角之進と申す若輩者でござる」
 このサムライも名乗ったようだが、ボソボソと申したので聞き取れなかった。角之進はあえて聞き返さなかった。
——今のこの場所を離れることさえ出来れば、もう会うことはないだろう。
 と思っていたし、あまり興味もなかった。ただ怖ろしさのあまり、口が達者になっていただけのことである。名が分からないのも何かと不便であろう。二度と会わないなら、それでも良いか?
 角之進は名も知らぬ背の高いサムライを伴なって歩き出した。道すがら角之進が話しかけた。
「拙者はお城勤めが中々辛くて、嫌なものでござるが、貴殿はいかがでござるか?」
「サムライとしては仕方がないことでござろう。それに身共みどもは、これがなかなか……」
「そんなものでござるかのぉ」
「左様、左様。気楽なお役所仕事。のんびりやっていても咎められはせんでござるし」
 ふたりとも笑った。
 しばらく歩いていると耳鳴りがした。自分の声が割れて響いているような気がして、
「声が……」
 と思わずつぶやいた。しかし、とものサムライは首を傾げるだけだった。まだ夕焼けのままなのも妙だった。
——いつになったら日が沈むのであろう?
 空は真っ赤なままであった。いつの間にか、群れ飛ぶ赤蜻蛉の姿が消えていた。神社を過ぎれば間もなく民家が続く筈であった。しかし、まだ神社の敷地を出ていないものか、なかなか民家が見えなかった。
「神社は、こんなに長かったでござるか?」
 角之進がつぶやいた。
 共のサムライが首を傾げた。
「そう言えば、なかなか終わらぬでござるな。まさか、狐につままれたのでもあるまいし」
 角之進が笑い、
「まさかのぉ」
 と申したが、やはり首を傾げてしまった。明らかに妙な感じがした。しかし、角之進は胸を張り、
「化け物など、この世におる筈もない」
 と高らかに宣言した。
「戦乱の世の中ならばまだしも、今の平和な時節に、かようなものがおるなどと、馬鹿馬鹿しい」
「左様でござるな」
「しかっし、狐に何を摘まれると申すのであろう?」
「鼻を摘まれるでござるよ」
「ほぉ、鼻を?」
「その時、眉毛の数を数えながらたぶらかす故、眉に唾を付けて数えられぬようにすると申す」
「へぇ、そのような由来があるでござるか」
「狂言記の『狐塚』にも書いてあるでござるよ」
「詳しいでござるな」
「祖母の受け売りでござるが……」
 ふたりとも笑った。
 共のサムライが申した。
「化け物が出る時は、まず、音が割れて聞こえると申す」
 その時、角之進が真面目な顔をして尋ねた。
「化け物と申せば、このあたりに首之番と申す怖ろしい化け物が出るらしいでござるなぁ。聞いたことはござりませぬか?」
 共のサムライは爽やかにニコリとした。と思うと下を向き、それからケケケと不気味な笑い声を立てた。
「はて、その化け物とは、かようなものでござるか?」


  三

「えっ?」
 共のサムライが頭を上げると、にわかに変わるその姿。大きな皿のごときむき出しの目玉。真っ赤な顔。ひたいには怖ろしげなつの。硬く逆立った針金のような髪の毛。耳まで裂けた口は、歯をガタガタさせ、雷鳴のように鳴り響いた。
「ば、化け物……」
 角之進は思わず気を失った。
 これはよくある話である。と言うか、首之番の物語がすべての化け物の基本となっているのである。だから聞いた話のように予測出来ても仕方がないことだ。だが、この物語には、誰も知らない秘密があった。

 角之進は地面に倒れていた。
 血のような真っ赤な夕焼けの空に、赤蜻蛉の影が黒い煙のように見えた。虫たちは黙った。化け物が、ふたたびケケケと不気味な笑い声をたてた。
 と、突然、化け物の背後に不思議な老人が姿を現わした。青白く光るボロボロの麻の着物を左前に着た、痩せこけた老人。すそほつれたはかまを履いて、老いた頭にチョコンと烏帽子を乗せ……名は知らないが、あえて名をつけるなら骨皮ほねかわ筋衛門すじえもんと呼ぶのが相応しかろう姿であった。貧乏神か何かのわざわいの神にも見えた。
 老人は大きく息を吸った。胸が膨らみ、腹もパンパンに膨らんでゆく。と、あろうことか化け物は、あっと言う間に吸い取られてしまったのだ。
 この老人は神か?
 化け物退治をしてくれたのか?
 吸い取り終わると満面の笑みを浮かべ、化け物と同じようにケケケと笑い声を立てた。
 この者こそ本当の首之番だった。若いサムライは提灯ちょうちん鮟鱇あんこうが餌を誘うために使う触手のようなものだろう。人の姿をした罠なのだ。
 首之番が地面に座ると、角之進を舐めるように眺めた。キチンと角之進の枕元に座りなおし、猫背の首を伸ばした。それから角之進の口もとに不気味な顔を近付けては、スウスウと息を吸い込んでいた。大きなまっ赤な目がれた柘榴ざくろのように見えた。種の一粒一粒が目玉のよう。そのいくつかがジロジロと角之進を見た。老人は何をしているのだろう? 息を吸うことで魂を吸っているのだ。近くを飛ぶ赤蜻蛉たちも、何やら不気味な姿であった。見ると複眼のひとつひとつが人の目玉に見えた。細く長い舌がビュンと伸びて赤蜻蛉にからんで喰べた。ゴクリと呑み込む音が響くと、首之番はまたもやケケケと不気味に笑い、一筋の黒い煙となって消えた。夕暮れは暗い夜空にかわり、虫たちが静かに鳴き出した。
 しばらくして角之進は咳をして息を吹き返した。満天の星空が美しかった。次第に意識がハッキリとして目が覚めた。涙目で星空が揺らいで見えた。大きくため息をついて、
「ここは?」
 と、思わずつぶやくと、誰もいないことに気付いた。あたりには人の気配も化け物の気配もなかった。
——サムライはどこへ行ったのだろう?
 あの者が化け物だったなど信じられもしなかった。そもそも化け物がいるなど、角之進には信じられなかった。
 ふと、あたりを見ると、過ぎた筈の神社の前にひとりとり残されていた。角之進は目をしばたいて起き上がり、現実だと気付いて慌ててその場を逃げ出した。暗くなった道を息も絶え絶えに走っていると、幸いにして道行く先にあかりが見えた。家があった。暗くてハッキリとは見えなかった。


  四

 何件かある民家の最初の戸口に立ってドンドンと力いっぱい戸を叩くと、中から怪訝けげんそうに眉間をしかめた女房が出てきた。
「みっ、水を……」
 非礼かとも思ったが、そんなことは言ってられない。よほど哀れだったと見えて、女房の顔が驚きから笑いに変わった。気がつくと、刀はかろうじて帯に残り、着物はシワクシャで泥と枯れ草まみれであった。まげまでずれて、哀れと言うより滑稽な姿であった。
 家から出て来た女性にょしょうは三十代であろうか優しそうな顔をしていた。眉を剃り、お歯黒を染めた口元が、何やらなまめかしかった。女性は首を傾げ、
「かまいませぬが、なんで水なんぞを?」
 笑いながら奥に戻ると柄杓を手渡した。慌てて水を飲む角之進はひと息ついて、
「ば、化け物を見てござる」
 と、しどろもどろに説明するのであった。
 女性は首を傾げた。
「はて? 化け物は、今、どこに?」
「分からぬ。気がついたらいなかった」
「それは一安心」
「このあたりには首之番と申す化け物が出ると聞く。拙者はそれを見たのだ」
 と、首之番に出会ったことをユックリと話した。
 女は、驚いて、
「さてさて、それは怖ろしきものに出会いたること」
 と、いたく同情した刹那、
「ところでその化け物とは、かようなものか?」
 と言ったかと思うと、たちまち先の化け物に変化へんげした。お約束通りの展開である。
 角之進はまたもや気を失った。ようやく意識を取り戻すと、自宅前の草むらに倒れていた。体が痛く、ぎこちなく自宅にたどり着いて、そのまま床に臥せってしまった。家族や家の下働きの者が様子を見ると、泥だらけの畳の上で倒れた角之進を見つけた。角之進は高熱にうなされたが、化け物に出会ったことは寝言ですら口にしなかった。
——武家の跡取りが、化け物ごときに遅れをとるとは何たることか。
 両親になじられるのがオチだろう。ハッキリしない頭で、そう考えていたのである、謎の高熱は、その後、三日三晩続いた。医者が集められ手を尽くしたが、原因は分からなかった。与えるべき薬もなく、薬師くすしさじを投げてしまった。
 ちょうど三日目の真夜中のことである。
 看病していた者たちが、皆、気を失った。静まり返った屋敷の中、ふと、老人姿の首之番が現れた。角之進が久しぶりに清々しい気分で目を覚ますと、見知らぬ老人が目を閉じて座っていた。痩せた不気味な老人であった。だが優しそうな満面の笑顔に、
「だ、誰でござるか?」
 角之進がつぶやくと、ゴボゴボと声と言うより音が響いた。言葉は聞き取れなかった。果たして言葉であろうか? だが、意味は理解出来た。
「予がお主に呼ばれた魔物じゃよ」
「呼んではおりませぬが」
「名を申したであろう」
 首之番が目を開くと、割れた柘榴のような中の、種のひとつひとつが目玉に見えた。
 角之進は、布団で眠る自分の姿に気付いた。
「せ、拙者は?」
「もう、魂が抜け出ておるぞ」
 首之番は生きる者の魂を吸う魔物。吸われた魂の持ち主は罠となって働かされるとも言う。首之番と言う名さえ口にしなければ彼も死ななくて済んだものを……不用意に噂話はせぬものである。『諸国百物語』より。〈了〉

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