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播磨陰陽師の独り言・第401話「ミステリー列車」

 昭和の終わり頃のこと、ちまたではミステリー列車が流行っていました。ミステリー列車と言うのは、行き先の分からないイベント列車のことです。
 当時、まだ居候をしていた私は、オジキや家族たちと、ミステリー列車に乗り込みました。三女はまだ小学生だったので、とても楽しみにしていたようです。行き先は分かりません。そもそもミステリーと名のついた列車なのですから知りようもありませんでした。
 列車には、たくさんの家族連れが乗っていました。列車には着ぐるみの手品師が乗っていたり、風船を膨らます人がいたりと賑やかでした。
 夜中に走っている列車ではないので、外の景色は見えています。車窓を眺めていると、ふと、
——あぁ、伊賀上野に向かっているのだなぁ。
 と思いました。
 案の定、列車はひとえに伊賀上野へと向かいました。次第に景色も落ち着いて、
——もう、伊賀上野に到着だろう。
 と思う頃に、
「このミステリー列車は伊賀上野へ到着しました」
 とアナウンスがありました。
 列車を降りると忍者屋敷を見学しました。
 伊賀上野は山間で、景色も良い街でした。後に出来た友人が、この街の出身だと知り、懐かしくなったことを覚えています。
 忍者屋敷は素敵でした。あちこちに戸板返しの仕掛けがあって、パッパッと現れては消える忍者に何だか感動しました。
——ここに昔、本物の忍者が住んでいたのだ。
 と思うと、心がうち震えました。この時、久しぶりに手裏剣を見ました。小学生の時に、忍者の講演を見た以来のことでした。
 播磨陰陽道に伝わる武術には、複数人で襲って来る忍者に対処する技があります。襲い方にも詳しくて、特に伊賀忍者に対するものは詳細に伝えられています。と言うのは、播磨陰陽師にとって伊賀忍者は最大の宿敵だった過去があるからです。
 先祖たちは、かの〈天正伊賀の乱〉で忍者を滅ぼす計略を立てて実行しました。播磨陰陽師の祖先は織田信長公配下の陰陽師集団〈神祓衆〉でした。神祓衆は軍師としてもその力量を発揮していました。
 そして、播磨陰陽師の祖先たちは、忍者を……特に伊賀者を相当嫌っていたようです。その理由は、忍者が、播磨陰陽師に敵対するからです。しかも、陰陽師の真似事をし、
——悪しき妖術使い。
 と噂を流し、批難したり、陥れたりしたからかも知れません。しかし、今では先祖が伊賀者であった人たちとも仲は良いですが……。

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