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御伽怪談第三集・第一話「戻り橋の魔物」

  一

 室町時代、六代将軍・義教よしのり卿の頃のことである。戻り橋のあたりに怖ろしい化け物が出るとの噂が流れていた。もちろん、どのような化け物なのか見た者はなかった。ただ噂ばかりが先行して怖ろしげな尾ひれがついてゆくだけである。
 そんな時、都に播磨守はりまのかみの配下と申す名のある武士がいた。彼のことは宣善のりよしとだけ呼んでおこう。宣善は世を虚しく思い退屈していた。洛中で無意味な日々を過ごしていたのである。
 そんなある日、化け物の噂を耳にして、さっそく下男を呼びつけた。
「太郎冠者かじゃ、戻り橋に化けもんが出るそうじゃが存じおるかや?」
「おぉ、こわっ。聞くたびに身の毛も弥立よだちまする」
「なんや存じおるのか。それにしても、いかなるものぞ? 見てみたいものじゃ」
「いやいや、とてつもなく怖ろしいものにござりまするぞ」
「どうじゃ、ひとつ一緒に見にゆかぬか?」
「と、殿、いくらご先祖様が化け物退治をなされたからと申されても……」
「それは言わぬが良い」
 深々と頭を下げる太郎冠者に宣善が申した。
「先祖の功績は知る者も多いが、名を申したところで、皆、首を傾げるだけじゃ」
 宣善は先祖のことを気に病んでいた。もっと有名な、誰でも知る先祖であったら、どんなにか良かったであろう。だが現実はそうではなかった。すでに名も忘れられた祖先の功績など、誰も気にしなかったのである。
 太郎冠者が元気付けようとした。
「そう肩を落とされるな」
「何じゃ偉そうに。良いは太郎冠者は下がっておれ」
「はっ」
 去って行く太郎冠者越しに、宣善は大きな声で叫んだ。
「次郎冠者、おるかや?」
 廊下の端からドンドンと足音が響いた。
「はい、ここにおりまする」
「戻り橋の噂を存じおるかや?」
「いっこうに」
「それはしめしめじゃ」
「はて、何ぞ?」
「いやいや、独り言じゃ。太郎冠者が嫌がるによって……」
 それを聞くと次郎冠者は喜んだ。
「あれは偏屈な男にござりますれば、殿の申し付けをいなむなど、とんでもないことにござりまする。それがしにご命じくだされ。何なりと叶えましょうぞ」
 宣善は笑いながら続けた。
「しばらく、戻り橋のほとりで、月見を兼ねて涼もうと思うぞ」
「それは良うござりまする」
「橋のほとりに座敷をしつらえて、何日か過ごそうと思うが、どうじゃ次郎冠者も来ぬか?」
「有難き幸せ……」
 次郎冠者が、
「もう秋が近いとは申せ残暑きびしきおり、川床ほどとは申しませぬが、この次郎冠者めが、ご立派なお座敷を仕立てて見せましよう。幸いにして数日後は地蔵盆、間に合わせてご覧に入れましょう」
「ほぉ、頼もしきことじゃ」
「お任せを……」
 次郎冠者は、太郎冠者ばかりが重宝されるのをやっかんでいた。だから殿の言葉が嬉しかった。もちろん、化け物のことは誰からも知らせていなかったのだが……何も知らない次郎冠者は、胸をドンと叩いて安請け合いしたのである。


   ニ

 それから、戻り橋の近くの神社に願い出て、地蔵盆の昼頃にお座敷が完成した。普通なら、勝手に座敷をしつらえるなど許されることではない。しかし、祖先が共に戦ったことから〈化け物退治〉の名目で許されたのである。次郎冠者に使いの文を持たせたが、内容については知らされていなかった。ただ神社から、
「良きにはからえ」
 と言われ、許可証のような書き付けを渡されただけであった。
 座敷と申しても、床を張って柱を立て、障子をはめ込むだけの簡単な作りであった。何日かして立派な座敷が完成した。さっそく宣善は、妻と一緒に座敷に行って、まだ明るい内から、今か今かと化け物を待っていた。

 さるほどに、いつも屋敷に立ち寄る琵琶法師が、夕方に屋敷に来て尋ねた。
「今夜は地蔵盆、ご供養くように平曲などいかがで……はて、お殿様は?」
 留守番の太郎冠者が、
「おぉ、殿は、戻り橋の化けもんを見物に参りましたぞ」
「へぇ、一条の?」
「左様、左様。物好きなことにござる。たいそうなお座敷までしつらえて……おっと、これはお内密に……」
「いえいえ、何も聞いてはおりませぬぞ」
「なかなか」
「それで?」
「人が多くては、化けもんも出ぬであろうと申されて、奥方様と次郎めの三人でおられまする。御伽おとぎに参っては……」
「お手前は行かれまするかや?」
「いやいや、とんでもないことにござる」
 太郎冠者は震えていた。
 話を聞いた琵琶法師はヨイショと掛け声をかけて琵琶を背負い直し、暗くなりかけた戻り橋の座敷に向かった。
 地蔵盆の夕暮れは、あちらこちらの地蔵堂に子供たちが集い、長い数珠じゅずを何人もで持ちながら、順繰じゅんぐりに送っていた。これは〈数珠り〉とよばれる子供たちの遊びで、今も昔も変わらない風景である。かねと僧侶の読経が路地に響いていた。琵琶法師の下駄の音がカランコロンと流れて、時々背中にでも当たるものかベンと鳴った。遠くでカラスが鳴いた。
 地蔵盆は、元々宮中のみの行事であった。初代将軍・足利尊氏の頃から庶民に広まり、六代将軍・義教よしのり卿の頃には、毎年の楽しみとなっていた。
 座敷に着いた琵琶法師を目にした宣善は、いたく喜んだ。
「よう来た、よう来た。次郎冠者、ほれ、法師にささなど……」
「かしこまってござる」
 宣善が法師に向かって申した。
「今宵は地蔵盆なれば、供養も兼ねて平家物語など語られよ」
「はっ、なれば少しお耳汚しを……」
 法師は琵琶を抱えてかき鳴らし、ゆっくりと語り出した。

——山鳩色の衣に鬢髪びんづら結わせ、涙を溜めて手を合わせ、まず東に向かい、伊勢大神宮・正八幡宮に御暇乞おいとまごいを申され、その後、西に向われ、お念仏を唱えられると、やがて二位殿が安徳帝を抱きかかえ、
「波の底にも都がありまするぞ」
 と慰められて、千尋の水底みなそこに沈み給う。
 悲しきかな、無常の春の風、たちまちに花の御姿を散らし、いたましきかな、分段の荒き波、未だ幼き玉体ぎょくたいを沈めたてまつる……。


  三

 川のせせらぎや虫のまでも、琵琶に合わせて奏でるかのような美しくも物悲しい平曲であった。
 琵琶の響きが静まると、
「おぉ、なんと悲しき物語じゃ」
 妻女も涙を拭いてうなずいた。
「平曲を耳にすると、武家の栄枯盛衰が心に染みるのぉ」
「そんなものにござりまするか?」
 次郎冠者が笑った。

 夜も更けて、世の中が静まりかえると、夫婦もことの外、眠くなった。次郎冠者はとっくの昔にいびきをかいていた。遅くなったため、琵琶法師も座敷の片隅でうずくまる。
 宣善はまなこをこすりながら妻女を起こそうとした。
「こないに眠ければ、化けもんを見ることも出来んのぉ。これ起きや……グゥグゥ」
 妻女も眠りそうな目を少し開いて、
「はっ、起きてたも」
 互いに起こし合いしている内に、うかうかと、ふたりとも眠りこけてしまった。
 その時のことである。
 突然、ベンと琵琶が響いた。その刹那、琵琶法師がふたりに飛び掛かった。宣善は音に驚いて目を開けた。迫り来る琵琶法師の着物から、巨大な蜘蛛のような影が、スルスルと抜け出るのを見た。
 次郎冠者も、
「あっ」
 と叫んだまま動けなかった。妻も息を飲んで気を失った。障子は破れ、着物が風に舞う。外は三日月のごとき下弦の月。虫たちも黙った。風がグルグルと回り、千切れた木の葉が激しく舞った。
 宣善は、手を差し伸べて、力一杯、蜘蛛の頭を押さえ叫んだ。
「化けもんめ、捕らえたぞ」
 起き上がり太刀を抜こうとしたが、吐かれた蜘蛛の糸に巻かれて手足の自由を失った。どんと尻餅をついた宣善は、やっとの思いで糸を押し除け、立ち上がると、祖先相伝の業物わざもの国光をキラリと抜き放った。
 宣善は興奮していた。肩で息を吐き心を集中させていた。気を抜けば、即座に命を失いかねない。妻や次郎冠者たちの行方は分からなかった。
 恐怖と、瞬時も気を抜けない状態に、
——これこそ生きている証と言わずして、何をか言わん。
 心の内で叫びながら、心の臓が激しく胸を叩いた。耳鳴りがする。

 月光の下、魔物退治の霊力を持つ刀を振れば、蜘蛛は、そのまわりの空間ごと切り裂かれてゆく。一瞬、空間に真空が出来た。カマイタチ現象である。魔物の肩口は一刀の内に裂け、ドクドクと血が飛び散った。宣善が太刀を手繰たぐり寄せると刃先に血はなかった。さすがは世に聞こえた名刀である。魔物の血は寄せ付けなかった。
 ひるんだ蜘蛛は座敷を蹴破り、戻り橋に踊り出た。バタバタと足が障子に当たる音が遠退いてゆく。後を追って飛び出す宣善は、すでに立ち上がる蜘蛛の影の中にいた。驚くほど大きな蜘蛛の魔物であった。あたり一面に障気しょうきが漂っている。化け物が吐く障気が広まると、木々は枯れ、多くの虫が死んで落ちた。枯れ葉が風でカサカサと音を立てた。
 宣善は怖れず息を止め、続けざまに影を突き刺した。障気が目にしみる。刀が蜘蛛を突き抜け、欄干に当たってカンカンと乾いた音を響かせると、糸が乱れてくうを舞った。血も吹き出して、千切れた糸を濡らしていた。ボトリボトリと橋に落ちた血塗ちまみれの糸で足元が滑った。


   四

 宣善は、渾身の力を込めて注意深く踏み出し、蜘蛛の中心に向かってグサリとひと突きした。悲鳴にも似た声が聞こえ、ついに化け物はガクンとうずくまり、橋の床板を何本もの足がバタバタとのた打った。あたりは血の海。流れ出る血が川をにごしてゆく。暗くて見えなかったが、臭いを追うことで血の行く先が分かった。

 さて、次郎冠者を抱き起こして火をともさせると、死骸がハッキリと見てとれた。その姿は、手足は龍のようなうろこに覆われ、足の長さは一丈三尺五寸(約4メートル)、頭は絵に描かれた酒呑童子かと言わんばかりの怖ろしげな化け物であった。これぞ土蜘蛛と申す魔物の功を経て人を化かすものであろう。
 その夜、宣善は欄干に死骸を打ち付けて、
〈世間を騒がす化け物を退治せし〉
 と書いた紙を貼り付けた。書き付けには退治した者の名は書かなかった。もし書くなら、
〈誰それの子孫・宣善〉
 だろう。しかし先祖の名を連ねても、
——誰やこの先祖とは?
 と首を傾げられるのが落ちである。自分の名も自慢しているようで恥ずかしかった。

 翌朝、この死骸は人の姿に変化していた。それはいつも宣善が贔屓ひいきにしていたあの琵琶法師のものに他ならなかった。肩口は切り裂かれ、胸と言わず腹と言わずいくつもの刺し傷が見られた。血は乾いていなかった。ひとつの死体から出たとは思えないほどたくさんの血糊が、まだ川に流れていて、戦いの悲惨さを思わせた。しかし、死体その物は干からびていた。何年も前からミイラにでもなったかのような体から、まだ血が流れていたのである。かの土蜘蛛が座頭に化けたものか、最初から座頭が化け物であったのか、誰にも分からなかった。その日を境に座頭の姿を目にする者も、消息を知る者もいなくなった。
 その後、死骸がどうなったのかは分からない。間もなくはじまった応仁の乱で、すべて灰塵かいじんしてしまった。この物語は、子孫の家に家宝の国光と共に伝わっていたものである。『曽呂利そろり怪談話』より。

 この後、世の中は応仁の乱に突入した。そして戦国時代を迎え、西暦1600年の関ヶ原の戦いまで130年あまり戦乱の世の中が続いた。
 刀で切れる種類の死骸が残る蜘蛛の化け物とは何であろう?
 それは、山奥で歳を経た蜘蛛に人のはくが宿って魔物になったものである。
 人が亡くなると、たましいから陰の気が離れて魄となり、生霊や魔物を生み出す原因となる。たましいの、陽の気であるこんは天へ昇り、陰の気であるはくは地に留まると言う。魄はすでに人の死後の形ではない。生きたたましいを持つ人々を餌として喰らい、不幸と苦しみを作り出す魔物となる。言うならば霊的食物連鎖の中にあり、人に不幸をもたらす原因を造るものだ。生き物としての人間は食物繊維の頂点にいるかも知れない。しかし、霊的な人間として見ると、食物連鎖的には化け物の下、つまり狩られるものとなる。
 さて、人に戻った死骸はどうなったのだろう? 京都の町のほとんどは戦乱で焼けた。その時、一緒に焼けたものか記録すら残っていない。かろうじて子孫に伝わっていたものが文章に残されていた。大阪でも多くの記録が戦乱で焼け、空襲で失われ、わずかに残ったものが語り継がれている。昔は、もっと多かった筈の物語が失われたことは残念でならない。〈了〉

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